第109話 証明したものと消したもの(2)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 11 — 親族鑑定。
封筒 4。原文のまま転記。実名は▇処理。
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指紋によって証明されたのは、私がその人事記録の人間である、ということだけでした。
あなたの上役は、それでは足りないと言いました。指紋はその人と同じ指を持っているという証明にすぎず、家族がその人を家族として認めている証明ではない、という判断でした。それで、親族鑑定というものを行うのだと。
血を分けた者の体から何かを少しだけ取り、私の体の何かと突き合わせてみる仕事です。あなたはその仕事を説明しながら、指で空中に梯子のような形を描きました。私はその梯子の形が何なのか、知りませんでした。あなたは、あれは人間の体の中の設計図で、その設計図の桝目は親と子のあいだで半分ずつ同じなのだ、と説明しました。
私はその説明が気に入りました。人間の体の中にも桝目があるということ。そしてその桝目が、代を継いで書き写されていくということ。台帳のように。
鑑定は、私の口の中から始まりました。
あなたの同僚が、マッチ棒より少し長い棒を差し出しました。先には綿が巻いてありました。私はその棒で、頬の内側をこすりました。十回。同僚が数えろと言い、私は数えました。同僚はその棒を小さな筒に入れ、蓋を閉めました。その筒には番号が付きました。
私はその筒を長いこと見ていました。私の唾の染みた綿。盆の老爺が封筒を渡すときに指に付ける、あの唾と同じものです。老爺の唾は、私が布巾で拭きました。私の唾は番号を与えられ、どこかへ送られていきました。同じ唾でした。65年のあいだに、唾の使い道が変わったのです。
〈2010年4月12日、10時00分〉
親族鑑定の依頼書の、照合対象の欄。私はその欄を自分で埋めた。その人の息子。その息子がどこにいるのかを探すのに、2日かかった。その人は、その2日のあいだ、何も訊かなかった。訊く欄のない人間のように、待っていた。
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あなたが私に妻の知らせを伝えたのは、その日の午後でした。
あなたは書類を一枚持ってきて、私の前に座りました。正面ではなく、斜めに。あなたがそう座ったのは、その日だけでした。なぜそう座るのか、私はそのときは知りませんでした。今は知っています。あなたは、相手の顔を正面から見ないで話さなければならない知らせがあるとき、そう座るのでした。
妻の▇▇は1991年の冬、71歳で死にました。再婚はしませんでした。息子を一人で育てました。あなたはその三つの文を、書類を見ずに言いました。
私はその数字を聞きました。1991。71。私はその数字を頭の中で計算しました。私が死んだ7月に、妻は25でした。妻はその後、46年をさらに生きました。私なしで。その46年のあいだのある日、妻は8月下旬の丸を消したのでしょう。大根を植えなかったのでしょう。
あなたはその書類を私に手渡しませんでした。膝の上に伏せて置きました。私はその書類を見せてくれとは言いませんでした。逆さまに置かれた文字なら私にも読めましたが、伏せられた紙は読めませんでした。あなたはそれを知っていて、伏せたのでしょう。
その夜、私は地下の部屋で泣きませんでした。泣ける欄がまだ決まっていませんでした。ただ、その部屋の洗面台で長いこと手を洗いました。手はきれいでした。それでも長く洗いました。
〈2010年4月12日、15時30分〉
その日伏せて置かれた書類には、死亡届の写しが添えられていた。申告人は息子、死亡原因の欄は老衰。その人はその日、その書類を見せてくれとは言わなかった。数年後、たった一度だけ見せてくれと言った。妻の命日だった。
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息子に会いに行ったのは、その週の金曜日でした。
京畿道の療養院でした。あなたの車で一時間半。車は相変わらず静かでした。私は今度は窓の外を見ませんでした。両手を重ねて座っていました。七月の癖でした。手を重ねていると、震えませんでした。
療養院は丘の上の白い建物でした。玄関に訪問者台帳が置かれていました。私はその台帳を見て、少し安心しました。この世界にも台帳はありました。台帳には欄が五つありました。日時、訪問者氏名、面会対象、続柄、署名。
私は日時と氏名を丁寧に書き入れました。面会対象の欄に息子の名前を書きました。そして続柄の欄でペンを止めました。
私は「父」と書きました。正確だったからです。
受付の若い職員がその欄を見て、吹き出しました。職員は私の顔を見て、また欄を見ました。そして「お父様じゃなくて、お孫さんですよね。冗談はやめてください」と言いました。私は答えられませんでした。あなたが私の横からペンを取り、私が書いた文字の上に二本の線を引き、その横に「親戚」と書きました。そしてその横に、朱肉を三度叩いてあなたの訂正印を押しました。
私はその訂正印を見ました。私の続柄は二本の線で消され、その横に別の言葉が入り、あなたの印がそれを確認していました。書類の上で、私はその日、自分の息子の親戚になりました。
〈2010年4月16日、13時40分〉
訪問者台帳の訂正印。あの日、私は朱肉を三度叩いた。あの人が教えてくれたとおりに。あの人があの日、その印をそんなに長く見ていたことを、私はこの陳述を読んで知った。そのときは、自分の印がかすれて押されたので見ているのだと思った。かすれてはいなかった。
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二階へ上がる廊下に、休憩室がありました。
一人のおじいさんがソファに座り、テレビという箱を見ていました。おじいさんは私を職員だと思ったのか、手に持った小さな物を差し出して、音が出ないので直してくれと言いました。
黒い物には、小さなボタンがいくつも並んでいました。私はそれを受け取り、どう持てばいいのか分からず、印章のように握りました。親指で一番上のボタンを押しました。
箱から音が飛び出しました。大きすぎました。
おじいさんはびっくりして耳を塞ぎ、それから笑って礼を言いました。あなたは隣で笑いを堪えていました。私はその物をおじいさんに返し、それが何を確認するための印章なのか、結局尋ねませんでした。
息子の部屋は二階の突き当たりでした。
窓辺にベッドが一つ、その隣に小さな箪笥が一つ。箪笥の上に額縁が一つありました。私は部屋に入るなり、その額縁を見ました。
結婚写真でした。1944年の春、写真館で撮った写真です。昔の婚礼衣装ではなく、洋服と白いチョゴリでした。妻は笑っていました。私は笑っていませんでした。あの写真館の写真師も、私に笑えと言いました。
息子はベッドに座り、窓の外を見ていました。
髪は白く、肩幅は狭く、手の甲には黒い染みが浮いていました。職員が息子に、お客様が来ましたと告げました。息子が振り向いて、私を見ました。
私は息子の顔の中に妻を探しました。眉は妻の眉でした。眉尻が少し下がった眉でした。そして口元は私でした。笑わない口元でした。
息子は私を長いこと見ていました。それから額縁を見て、また私を見ました。顔、額縁、顔、額縁。
私はその場で崩れ落ちそうになりました。その動作を、息子がしていました。確かめる動作でした。私の息子が、私の顔と私の写真を突き合わせていました。上同なのか、そうでないのか。
息子が口を開きました。
「うちの父は、解放前に亡くなりました。書類にはそうなっています」
そう言って、息子は笑いました。優しい笑い方でした。妻の笑い方でした。
息子は私を客として扱いました。孫の友達かと尋ねました。私は違うと答えました。では、教会から来たのかと尋ねました。私がまた違うと答えると、息子はそれ以上訊きませんでした。
代わりに、指が言うことを聞かないので、シャツのボタンを留めてくれないかと言いました。
〈2010年4月16日、14:10〉
* * *
私は息子のシャツのボタンを留めました。
ボタンは五つありました。私は一番下から留めました。一つ、二つ。息子は私がボタンを留めている間、窓の外を見ていました。三つ。
三つ目のボタンで、息子が首を巡らせて私を見ました。
私は手を止めませんでした。四つ、五つ。五つとも留めてから、手を下ろしました。順番を変えたら、ボタンが一つ、一日中留まらないままになりそうだったからです。
七月の朝はいつも、私が三つ目のボタンを留める時に、赤ちゃんは目を覚まして泣きました。私は五つとも留めてからでないと、赤ちゃんを抱きませんでした。
その日、私は息子を抱きませんでした。
抱くための欄が、書類のどこにもなかったからです。
書類の上で、私は親戚でした。親戚は65歳の老人を抱きしめたりはしません。
息子は留め終わったボタンを手で撫でました。それから、ありがとうと言いました。
そして、また窓の外へ目を向けました。
窓の外では、木蓮が咲いていました。
息子が独り言のように言いました。母は木蓮が好きだった、と。
私はその言葉を直しませんでした。
妻が好きだったのは梅でした。嫁いできたときに持ってきた扇に描かれていた梅。途切れた枝を継いで描くと言っていた、あの梅でした。
息子はあの扇を覚えていないでしょう。赤ん坊でしたから。
その扇がまだあるのか、私は息子に訊きませんでした。
訊けば、息子がもう一度私を見るような気がしたからです。
顔、額縁、顔、額縁。
木蓮と梅。
その人はそれから毎年、春になるとこの療養院へ来た。
訪問者台帳には、いつも「親戚」と書いた。
「父」と書いたのは、あの日の一度だけだった。
* * *
鑑定結果が出たのは、次の週でした。
紙一枚でした。数字が書かれていました。親子関係の確率、99.99パーセント。
その数字の下には、署名が印刷されていました。印章はありませんでした。
私はその数字を数えました。100から0.01だけ足りませんでした。
私はあなたに、その0.01は何なのかと訊きました。
あなたは、科学は100とは言わない、と言いました。
私はその答えが正確だと思いました。
そして、その0.01が気に入りました。
その足りない0.01のなかに、私が入り込める場所があるような気がしたのです。
書類の上では親戚である父親。
息子に父親として確認されなかった父親。
99.99と100のあいだにいる父親。
私は証明されました。そして同じ週、私は消され始めました。
そのことは次の陳述に書きます。
〈2010年4月21日、11:00〉
* * *
その日、療養院の訪問者台帳の関係欄には、二重線で消した一文字と、その隣の二文字と、端正な訂正印が残った。
療養院はその台帳を3年保管したあと、廃棄した。
廃棄一覧の事由欄には、「保存期限経過」と一行記されていた。




