第106話 帰宅(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 9 ― 目を覚ました場所。
封筒 3。原文のまま転記。実名は▇処理。
* * *
水の中でした。
冷たかったのです。7月の水ではありませんでした。息をしようと口を開けると、水が入ってきました。上下も分かりませんでした。目を開けても暗いままでした。手を振り回しました。手のひらが水を押しました。
そして、水がなくなりました。
正確にそう書くしかありません。押しのけたのではありません。散ったのでもありません。手のひらに触れた水が、その水とつながる水が、その水につながるすべての水が、一度に消えました。音もありませんでした。私は突然、空気の中にいました。体が下へ落ちました。さほど高くはありませんでした。泥の上でした。私は泥の上にうつ伏せたまま、水を吐きました。咳が出ました。咳をするたびに、泥のにおいがしました。
しばらくして、顔を上げました。
私は大きな水たまりの底にいました。水たまりの壁は石ではなく、滑らかな灰色でした。その灰色の壁の上に、空が見えました。空はまだ暗かったのですが、東の方が少し明るくなりはじめていました。水たまりの底から、白い湯気のようなものが立ち上っていました。霧でした。水があった場所から、霧が上がってきていました。
そして、霧の向こうに明かりが見えました。
〈4月9日、05:12〉
初めて、キャプションに「4月」が出てくる。7月から4月。彼はこの数字を書くとき、年を書かなかった。最後のキャプションまで、年を書くのを先延ばしにした。その人の癖どおり。大事な言葉は、欄のいちばん端に。
* * *
光は上にありました。とても高いところに。
私は最初、それが星だと思いました。星が四角くなっていました。そして列をなしていました。横に何列も、縦に何列も。台帳の欄のように。
霧が晴れると、その四角い星が建物の窓だと分かりました。
建物は空に届いていました。一棟ではありませんでした。何棟もの建物が並んで、同じ形で立っていました。どの窓にも明かりがついているわけではありませんでした。ついている窓と消えている窓が混ざっていました。
けれど、ついている窓に黒い布は掛かっていませんでした。
灯火管制ではありませんでした。
私にはそれがいちばん奇妙でした。建物の高さよりも、その数の多さよりも、それらの窓が光を隠していないということのほうが。
班長が手帳を持って歩き回らなければならない窓が、何百もありました。なのに、誰も窓を塞いでいませんでした。
私は水たまりの壁を這い上がりました。灰色の壁には手をかけるところがありませんでした。片側に鉄の梯子が打ち込んでありました。私はその梯子で上へ出ました。
背広は泥だらけでした。革靴が片方ありませんでした。
水たまりの上は公園でした。よく刈り込まれた芝生、木のベンチ、まっすぐに敷かれた道。道に土はありませんでした。赤い煉瓦のようなものが隙間なく敷き詰められていました。
道端に鉄の柱が立っていて、柱の先で明かりがついていました。油の匂いのしない明かりでした。
柱の一つに板が掲げてありました。ハングルでした。
貯水池安全規則。遊泳禁止、釣り禁止、ペットの入水禁止。
私はその板を長いこと見ていました。私の国の文字だけで書かれた官庁の案内板を、私は初めて見ました。
〈4月9日、05:31〉
貯水池安全規則。あの案内板は今もそこにある。規則が一つ増えた。無人飛行装置の禁止。その人はその規則を見なかった。
* * *
懐中電灯の光が近づいてきました。
私は身を縮めました。その懐中電灯の光は、最後に私の顔を照らしました。
光の後ろから人が走ってきました。青い制服でした。帽子をかぶっていました。私はその制服を知りませんでした。巡査の制服ではありませんでした。軍服でもありませんでした。
その制服は、私から五歩ほど離れたところに立ちました。
懐中電灯で私を照らし、水たまりを照らし、また私を照らしました。顔、水たまり、顔、水たまり。
その動作に、私は息が詰まりました。確認する動作でした。
ところが、その制服は「上同」とは言いませんでした。
「おじさん! そこで何をしているんですか! 水、水はどこへ行ったんですか!」
私はその言葉が聞き取れました。朝鮮語でした。抑揚が少し耳慣れなかったけれど、朝鮮語でした。
ところが、その制服は私に、朝鮮語で、それも大声で、水がどこへ行ったのかと尋ねていました。私には答える言葉がありませんでした。水がどこへ行ったのか、私にもわからなかったのです。
その制服は無線機のようなものを取り出し、貯水池の水がすっかり抜けてしまったこと、人が一人いるが酔っているようだということを告げました。私は酒を飲んでいませんでした。私はその言葉を訂正しようとしました。口を開きましたが、先に出たのは咳でした。
その制服は警備員でした。後になって知りました。あの公園はアパートという建物についた公園で、あの水たまりは住民たちが貯水池と呼んでいる池で、警備員はそのアパートの警備員でした。警備員が巡査より良い制服を着る時代でした。
〈4月9日、05:40〉
警備員の最初の言葉。あの人は原稿用紙を前にして、この箇所を書きながら初めて笑ったと、私に話したことがある。何がおかしかったのかと訊くと、水はどこへ行ったのかという問いは、その日に自分が受けた質問の中でいちばん正確な質問だった、と言った。
* * *
警察署は明るかった。
天井に白い棒のような灯が埋め込まれていて、その灯はまたたかなかった。
私は椅子に座り、濡れた背広を着たまま震えていた。
誰かが毛布を持ってきてくれた。毛布からは初めて嗅ぐ匂いがした。石鹸の匂いのようでいて、石鹸ではなかった。
巡警が一人、紙コップに入った茶色い水をくれた。コーヒーだと言った。
私はコーヒーを茶房で一度だけ飲んだことがあった。あのコーヒーは苦いだけだった。
紙コップのコーヒーは甘かった。砂糖が配給される時代ではないということを、私はその甘さで先に知った。
コップが紙でできていることも奇妙だった。紙を一度使って捨てるということ。
私は飲み終えた紙コップを捨てられず、手に握っていた。巡警がそれを取り上げ、屑籠に入れた。
それが国の紙だったらパク書記が何と言っただろう、と私は思った。
そしてパク書記が今どこにいるのかを考えかけて、その考えを止めた。勘定を始めてはいけない気がした。
私を座らせたのは若い巡警だった。
巡警は四角い板の前に座り、指で板を叩いた。
板を叩くと、その前の硝子のようなものに文字が現れた。
私はそれがタイプライターの一種だと思った。紙のないタイプライター。
巡警が名前を訊いた。私は名前を名乗った。巡警は板を叩いた。
巡警が年を訊いた。私は26だと言った。巡警は板を叩いた。
巡警が住所を訊いた。私は行廊の住所を名乗った。町の名と番地。
巡警は板を叩いていて、手を止めた。そんな町の名はない、と言った。
私はある、と言った。巡警はもう一度叩いてみて、首を振った。昔の地名のようだ、と言った。
巡警が職業を訊いた。私は自分の課と係の名を名乗った。書記。
巡警はその名を板に叩かなかった。私を長く見た。そして職業の欄に何かを書いた。
私は立ち上がって、その硝子を覗き込んだ。職業の欄に二文字があった。
無職。
私はその欄を直してくれと言った。私は無職ではなかった。昨日まで出勤していた。
巡警は私を座らせ直し、その勤め先に今電話をかけて確認してやれるか、と訊いた。
私は電話番号を答えた。事務所の番号だった。
巡警はその番号を押さなかった。桁が足りない、と言った。
調書の終わりで、巡警は私の指を掴み、朱肉に押しつけた。指章を押せ、と言った。
私は印章を押す、と言った。印章は背広の内ポケットにあった。いつもそこにあった。
巡警は印章はいらない、と言った。
私は印章があるのに、なぜ指を使うのか、と言った。
巡警はため息をつき、それなら印章を押せ、と言った。
私は内ポケットに手を入れた。印章があった。そしてその隣に、濡れて潰れた紙が一枚あった。
〈4月9日、07:20〉
無職。
その調書の写しはこの部署にある。
職業欄の「無職」の隣に、あの人の印章が押してある。実に端正だ。
自分を無職と書いた欄に、自分の印章をあれほど端正に押した人間を、私はあの人以外に知らない。
* * *
私は印章を取り出し、朱肉を三度叩いて、調書の枠のちょうど真ん中に押した。一、二。
印章はまっすぐに押せた。巡警はそれを見て、口笛に似た音を出した。近ごろ、こんなふうに印章を押す人を初めて見た、と言った。
それから、その紙を出した。
7月2日付、あの青年の移送事由書だった。水に濡れて、字がにじんでいた。
だが、にじんでいたのは墨ではなかった。
紙の真ん中、確認事項の欄の近くに、褐色の染みが大きく広がっていた。「上同」の二文字は、その染みの下に埋もれて読めなかった。
私は、その染みが何なのか知っていた。
そして、背広の前を開けてみた。泥の下、シャツの前身頃に、同じ色の染みがあった。
シャツの背を手で探った。布に穴が二つあった。指が一本入るほどの穴だった。
なのに、その穴の下の私の背中は無事だった。痛くもなかった。傷跡もなかった。
そのとき、警察署の壁に掛かった「テレビ」という箱から、朝のニュースが流れた。音が小さくて、よく聞こえなかった。
画面の下のほうを、文字が流れていた。その文字は、私にも読めた。ハングルだったからだ。
未明、アパート団地の貯水池の水が蒸発…原因を調査中。
画面の上の隅には、小さな文字で日付が浮かんでいた。
2010年4月9日。
私はその数字を数えた。癖だった。昭和20年は西暦で1945年。2010から1945を引くと、65。昭和で言えば85年になる。
昭和がそんなに長いはずはなかった。ならば、昭和は終わったのだ。いつ、どうやって終わったのか、私は知らなかった。
ただ、数は合っていた。私は数を間違えたことがない。
私は1945年7月に死んだ。そして、今は2010年だった。
なぜ今なのか。なぜ私が生きているのか。私は知らなかった。
その欄は、空いていた。
巡警が私の肩を叩いて、大丈夫かと訊いた。私は大丈夫だと答えた。
その答えは正確ではなかった。私は初めて、正確ではない答えを、わかっていながらした。
貯水池が一晩で干上がったというニュースを、私はそうやって警察署のテレビで見た。
〈2010年4月9日、07:45〉
* * *
その日の朝、あの貯水池の底で革靴が片方見つかった。警備員はそれを落とし物の箱に入れた。
その革靴は、7月の路地で脱げたものだった。落とし物の箱の保管期限は三か月だった。




