第102話 移送事由書(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 6 — 土地。
封筒 2。原文のまま転記。実名は▇処理。
* * *
7月の2週目の土曜日、私たちは土地を見に行きました。
それは、戸棚のいちばん下の段の靴下が、もう十分に太ったと妻が判断した日でした。
妻は靴下の下の封筒を引っ張り出し、部屋の床に広げ、紙幣を同じ向きに揃えて数えました。
数え終えると、妻は数字をひとつ言いました。
私はその数字を頭の中で数え直しました。
合っていました。
妻の計算は、狂ったことがありません。
その金額なら、城の外の東、川向こうの畑をひと区画買えました。
福徳房の老爺が先月から私たちに教えてくれていた土地でした。
パク書記は、土地を買うという私の言葉に手を叩きました。
土地は逃げない。それがパク書記の持論でした。
人は逃げても、土地はその場にあります。
それでパク書記は、給料をもらうと、土地を買う代わりに妻の実家へ持って行って渡しました。
妻の実家は逃げませんでしたが、お金は妻の実家から戻ってきませんでした。
パク書記はその事実を知りながら、持論を変えませんでした。
持論とは、もともと自分に適用するものではありませんでした。
* * *
朝7時、私たちは赤ちゃんをおぶって家を出ました。
電車に乗って、東の終点まで行きました。
行き先の布が、ひとマスずつ回りました。
妻はその布を、初めてじっくりと見ました。
私は妻に、その布に書かれた停留所の名前を、順番どおりに暗誦して聞かせました。
妻は「それ、どうして覚えてるの」と聞きました。
私は「覚えたんじゃありません。勝手に入ってきたんです」と答えました。
妻は「あなたの頭には、マスがいくつあるの」と言って笑いました。
私は「数えたことはありません」と答えました。
事実でした。
マスを数えるマスはありませんでした。
〈7月14日、07:50〉
城の外の東、川向こう。
あの畑の地番を、私は知っている。
今、その場所に畑はない。
あの人も、この箇所を書くときには知っていた。
だが、この箇所では知らないふりをする。
マスを守ったのだ。
* * *
福徳房の老爺は、長い煙管をくわえたまま、私たちを待っていました。
老爺は煙管を口から一度も離さずに、話しました。
だから老爺の言葉は、いつも煙と一緒に出てきました。
煙が濃いほど、重要な言葉でした。
老爺は私たちを、川向こうの畑へ連れて行きました。
畑には、何も植えられていませんでした。
去年の春に耕しただけで、種を蒔かなかった畑でした。
土は乾いて、ひび割れていました。
妻は赤ちゃんを私に渡して、畑の周りを歩きました。
歩数を数えながら。
妻は米屋の娘らしく、何でも数える人でした。
一周りし終えてから、妻が数字を言いました。
福徳房の老爺が言った坪数とは、合いませんでした。
少し足りませんでした。
老爺は濃い煙を吐き出しながら、「女の歩幅は男の歩幅より短いんでな」と言いました。
私は赤ちゃんを妻に返して、もう一度、畑の周りを歩きました。
私の歩幅でも、足りませんでした。
老爺は今度は、煙を吐き出しませんでした。
代わりに、「値段から一割負けてやろう」と言いました。
値引きの言葉には、煙がありませんでした。
私はその一割が気に入りました。
計算が合ったからです。
足りない分だけ、引かれました。
正確な取引でした。
〈7月14日、10:30〉
一割。
あの人は後に、この一割を別に計算した。
利息まで付けて。
その計算書が別の封筒に入っているかどうか、私はまだ知らない。
入っているだろう。
あの人は計算を後回しにしなかった。
* * *
契約は福徳房の狭い縁側でしました。
契約書は老爺が自分で書きました。長煙管をくわえたまま筆を動かしたので、字を書いている間に、煙管の先から灰がひとつぶ落ちました。
灰はあいにく、買主の欄の上に落ちました。老爺は口でふっと吹いて灰を飛ばしましたが、灰色の染みが残りました。
私は新しい紙に書き直してほしいと頼みました。
老爺は煙を濃く吐き出しながら、灰の落ちた契約書は長持ちするという言い伝えがある、と言いました。そんな話は初めて聞きました。おそらく老爺がその場で作り上げた話でしょう。
それでも私はそれ以上せがみませんでした。長持ちするという言葉が気に入ったからです。
染みは私の名前ではなく、妻の名前が入る欄の上にありました。妻はその染みを爪でそっと引っかいてみて、すぐにやめました。引っかくと紙が傷みました。
売り主は若い女でした。十代前半ぐらいの弟を連れてきました。
土地の持ち主はもともとその女の父親でしたが、父親が家にいないので女が代わりに来た、と言いました。
福徳房の老爺は、委任状は預かってある、と言いました。私はその委任状を見せてくれ、と言いました。委任状なしに他人の土地を買うのは、正確なことではありませんでしたから。
老爺が取り出して見せた委任状には、父親の印章が捺してありました。印は端正でした。朱肉もにじんでいませんでした。
私はその印を良い印だと思いました。
契約書に名前を書く番になったとき、私は妻の名前を書きました。土地は妻の名義にすると、もう決めてありました。
役所に通う者の名前で土地を買うと噂になる、というのが係長の忠告でした。係長自身もそうした、と言いました。
係長の夫人の名義の土地が城の外の西にあることを、我々係の者たちはみな知っていました。
噂にならない方法が、みなが知る方法になれば、それは別の種類の噂になりました。
それでも誰も、その言葉を口にしませんでした。
妻は、名前の隣に印章を押しました。
妻の印章は、嫁に来るときに実家の父が彫ってくれたものでした。妻は押す前に、朱肉を二度叩きました。
私は、危うくもう一度叩けと言いかけるところでした。言いませんでした。
妻の印は、二度でもはっきりと出ました。実家の父の彫りが、良かったのでしょう。
私は金を手渡しました。女が受け取って数えました。弟が横で、一緒に数えました。
二人の唇が、同じ数字を音もなく動かしました。
数え終わって、女が頭を下げました。弟は頭を下げませんでした。
弟は私を見ました。正確には、私の背広の襟を見ました。襟に付けた記章を。
〈7月14日、13時10分〉
委任状の、あの端正な印。
私はその委任状の写しを、登記書類の綴りから見つけました。日付は、契約日より三週間前です。その三週間の間に何があったのか——彼は次の段落に書きます。
書く前に、原稿用紙を一枚、空けてありました。まるまる一枚。
* * *
帰りの電車の中で、私はあの弟の目のことを考えていました。
階級章を見る目なら、待合室で何度も見ました。あの目と同じでした。
私は、あの目がなぜ福徳房の板の間にあったのか、突き合わせてみました。
父が家にいない、という言葉。委任状の日付。城の外の東、川向こう。そして、あの父の姓。
月曜日に出勤して、私は台帳を開きました。開く必要がないことは分かっていました。それでも、開きました。
確認は台帳で行います。記憶では行いません。
6月下旬の欄をめくりました。そこに、あの姓がありました。
本籍は、城の外の東。事由は「移入の疑い」。
申告書の原文には、「その者が鋤き返した畑だけが、干ばつにもひび割れない」とありました。
処理欄には、移送。私の筆跡でした。
その者が鋤き返した畑。この春、鋤き返しただけで、種を蒔かなかった畑。土が乾き、割れた畑。
私は台帳を閉じました。そして、思いました。この取引は、正確だったのか。
委任状は本物でした。印は端正でした。値は坪数どおりに引かれました。金は数えどおりに渡されました。どの欄にも、間違いはありませんでした。
間違いのない取引でした。
それなのに、私はあの土地に二度と足を運びませんでした。
妻は、秋に大根を植えようと言いました。私は、そう答えました。
秋が来る前に、事が起きました。そのことは、次の封筒に書きます。
あの土地の上に今、何が立っているのか、私は知っています。
それも、別の封筒に書きます。一つの封筒には、一つの土地だけを書くと決めていました。
その日の夕方、妻は土地文書を赤ちゃんの枕の下に入れようとしました。
妻の実家の村には、「文書を枕にして寝た子は、その土地を守る者になる」という言い伝えがあるのだと、妻は言いました。
私は、文書がしわになるからと言って止めました。妻は、赤ちゃんに紙をしわにするような力がどこにあるのか、と言いました。
赤ちゃんはその夜、三度寝返りを打ちました。私は三度起きて、枕の下を確認しました。
結局、妻が文書を油紙に包んで、もう一度入れ直してくれました。油紙に包まれた土地文書を枕にして、赤ちゃんは朝まで眠りました。
私は、朝までほとんど眠れませんでした。文書ではなく、あの土地を売った弟の目が、何度も頭に浮かんだからでした。
あの目は、油紙に包まれてはいませんでした。
〈7月16日、09:20〉
* * *
その週の水曜日、台帳の最後のページが埋まりました。
私の指の関節四つ分ほどの厚みがあったその台帳が、最後の欄まですっかり埋まりました。
新しい台帳は、すでに倉庫から出してありました。表紙の巻の番号だけが替わった、それ以外はまったく同じ台帳でした。
係長は、最後の欄を埋める者がその巻の末尾に確認の印を押すのだと、おっしゃいました。それが、私たちの係の古い慣例でした。最後の欄を埋めたのは、私でした。
最後の欄の名前は、知らない名前でした。事由は「挙動不審」。処理欄は、移送。
私はその二文字を端正に書いて、その下の巻末確認欄に印を押しました。朱肉を三度叩いて、欄の真ん中に。一、二。
印を離したとき、朱がにじんでいました。
勤め始めてから、初めてでした。三度叩いて、真ん中に押して、二つ数えました。規則はすべて守りました。
それなのに、にじんでしまいました。7月の湿気のせいだったのでしょう。あるいは、私の手のひらの汗のせいだったのでしょう。
私は、そのにじんだ印をしばらく見つめていました。書き直すことはできませんでした。
巻末確認欄は一つしかなく、台帳を新しく書き直すことは、その巻全体を書き直すことでした。
係長は、私の肩越しにその印をご覧になりました。そして、巻末の印は誰も見ないから大丈夫だ、とおっしゃいました。
私はその言葉を信じました。その後、あの巻を開いた者が何人いたのか、私は知りません。おそらく、ほとんどいなかったでしょう。ですが、私は知っています。あのにじんだ印を見た者は、少なくとも二人はいます。私と、この陳述を読んでいるあなたです。
〈7月18日, 16:40〉
そうだ。私は、あのにじんだ印を見た。18年前、あの巻の最後のページをめくったときに。
私はあのにじみを、あの人の手が初めて震えた痕だと思っていた。
今日、この陳述を読んで、訂正する。手は震えていなかった。規則はすべて守られていたのに、にじんだ。そのほうが、もっと恐ろしい。
* * *
その日、あの台帳の最後の欄でにじんだ朱肉は、あの巻が文書庫の棚で過ごした90年近くのあいだ、一度も乾かなかったように見えた。
あの土地の登記簿では、その後、名義が三度変わった。三度とも、同じ一家の名だった。




