表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

8話:羽

月日は流れ、私は五歳になった。


三歳の頃と比べると、私の背はずいぶん伸びた。

鏡の前に立てば、自分でも少しお姉さんになったような気がする。


けれど、お兄ちゃんたちやレイの方が、もっとずっと大きくなったように感じられた。

身長も伸びたし、肩幅も広くなって、なんだか以前よりずっと逞しく見える。

私だって成長しているはずなのに、まるで少しも追いつけていないような気がする。


最近は、レイに前世の話をすることも増えた。

もちろん、前世のことをそのまま話しているわけではない。

私が別の世界で生きていたことなど、いくらレイでも簡単に信じられる話ではないだろう。


だから私は、夢の話ということにしている。

夢の中には、高い建物が並ぶ街があった。

馬のいない乗り物が走り、遠く離れた人とも話すことができた。

夜になっても電気で街は明るく、冷たい箱の中に食べ物を入れておけば、何日も腐らない。


そんな話をすると、レイはいつも静かに聞いてくれる。

信じているのかどうかは分からない。

けれど、馬鹿にしたり、笑ったりすることもない。


「不思議な夢ですね。」


そう言いながら、私の話が終わるまで付き合ってくれる。


以前のレイは、いつ見ても同じ顔をしていた。

怒っているようにも、困っているようにも見えない。

まるで精巧に作られた人形のようだった。


けれど最近は、ほんの少しだけ表情が豊かになった気がする。

私が変なことを言うと、わずかに眉が動く。

困らせると、ほんの少しだけ目を細める。

面白い話をしたときには、口元がわずかに緩むこともある。

他の人には分からないかもしれない。

けれど、毎日一緒にいる私には分かる。

レイは、少しずつ笑うようになった。


それがなんだか嬉しくて、私は今日も夢の話をする。


そんな穏やかな日々が続いていた、ある日のことだった。


「……痒い。」


頭が、なんだかむずむずする。

虫に刺されたときのような痒みではない。

皮膚の奥から押されているような、妙な感覚だった。


私は指先で頭を掻いた。

けれど、掻いても痒みは治まらない。

それどころか、触れた指先に、奇妙な膨らみが当たった。


「なに、これ。」


髪をかき分けながら、何度も触ってみる。

頭皮がぷっくりと盛り上がっている。


できものだろうか。

けれど、押しても痛くない。

柔らかくもない。

皮膚の下に、硬い何かがあるような気がする。


レイに言おうかとも思った。

けれど、痛くもないのに騒ぐのは少し恥ずかしい。

きっとすぐに治るだろう。

私はそう考え、その日は何も言わずに過ごした。


けれど、翌日になっても膨らみは消えなかった。

むしろ昨日よりも少し大きくなっている。

さらに次の日には、もう片方にも同じような膨らみができていた。

痒みも、日に日に強くなっていく。

それでも痛みはなかった。

熱があるわけでもない。


私は毎朝、鏡の前で髪をかき分け、膨らみを確かめた。

けれど、後頭部にあるうえ、髪に隠れてしまって、鏡越しではよく見えない。

いったい何なのだろう。


そんなことを考えながら過ごすこと、数日。

その朝、私はいつものように鏡の前へ座った。

寝癖を直そうと髪に手を伸ばし、指先に硬いものが触れた。

昨日までとは違う。

皮膚の中ではなく、外に何かが出ている。

私は慌てて髪をかき分けた。

そして、鏡の中に映ったものを見て、目を見開いた。


「……羽?」


後頭部から、小さな羽が生えていた。


髪の毛に埋もれてしまうほど、小さな羽だった。

左右に一枚ずつ。

漆黒で、まるでカラスの翼のように艶がある。

見た目は柔らかそうだった。

けれど、恐る恐る触れてみると、指先に返ってきた感触は想像以上に硬い。

羽毛のようにしなやかなのに、芯は鋼のようだった。

力を込めても、ほとんど曲がらない。


「本当に、羽だ……。」


私は鏡に顔を近づける。

髪を持ち上げなければ見えないほど小さい。

けれど確かに、私の頭から生えている。


私はそれに見覚えがあった。

お母さんの肖像画。


そこに描かれたお母さんの後頭部にも、同じような漆黒の羽があった。

お母さんと同じ羽。


そのことに気づいた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。

私はお母さんのことを、ほとんど知らない。

声も、顔も、温もりも。

覚えているのは、生まれたときに聞いた言葉だけだ。

それでも、同じものが自分の体に生えた。

まるで、お母さんとの繋がりが目に見える形で現れたようだった。


そのとき、扉を叩く音がした。


「姫様。お目覚めでしょうか。」


レイだ。

いつもなら返事をしてから中へ入ってもらう。

けれど今日は、返事より先に立ち上がっていた。


「レイ!」


勢いよく扉を開けると、レイが僅かに目を見開いた。


「おはようございます、姫様。」

「見て!」


私はレイに背を向け、髪を両手で持ち上げた。


「羽が生えたの!」


レイはしばらく何も言わなかった。

見えていないのかと思い、私はもう少し頭を下げる。

すると、後ろから小さく息を呑む音が聞こえた。


「……エリー様。」


声が、いつもより柔らかい。

振り返ると、レイは目を細めていた。

口元にも、はっきりと笑みが浮かんでいる。

こんなに嬉しそうなレイの顔を、私は初めて見たかもしれない。


「おめでとうございます。」

「おめでとう?」

「はい。羽や角が生えることは、魔族にとって特別なことです。」


レイはそう言って、私の前に跪いた。


「姫様が、無事に一人前の魔族へ成長された証でございます。」

「一人前……。」


まだ五歳なのに。

そう思ったけれど、どうやら“成人”とは少し意味が違うらしい。


乳歯が抜けて永久歯が生えるようなものだろうか。

赤ん坊ではなくなり、次の成長へ進んだ証。

それが、魔族にとっての角や羽なのだ。


「では、お支度を済ませましょう。」


レイは立ち上がる。


「陛下へ、すぐにご報告いたしましょう。」

「うん!」


朝の支度を終えると、私はすぐにパパのもとへ向かった。

執務室の扉を開けてもらい、中へ入る。


パパは机に向かっていたが、私の姿を見るとすぐに手を止めた。


「どうした、エレオノーラ。」

「パパ、見て!」


私は机の前まで駆け寄り、くるりと背を向けた。

髪を持ち上げる。


「羽が生えたの!」


一瞬、部屋が静かになった。

次の瞬間、椅子が大きな音を立てた。

パパが勢いよく立ち上がったのだ。


「見せてみろ。」


パパは私のそばまで来ると、膝を折った。

大きな手が、そっと髪を持ち上げる。

羽に触れられた感覚は、不思議だった。

皮膚に触れられているのとは少し違う。

けれど、自分の体の一部だということは分かる。

パパはしばらく羽を見つめていた。

その顔が、ゆっくりと綻ぶ。


「そうか。」


低い声が、いつもより優しい。


「おめでとう、エレオノーラ。」


パパの手が、私の頭を撫でる。

羽に触れないように、慎重に。


「ママと同じ羽だよね。」

「ああ。」


パパは短く答えた。

その目が、ほんの少しだけ遠くを見る。


「セレーネと同じだ。」


その声には、懐かしさと寂しさが混じっていた。

けれど、すぐにいつもの穏やかな表情へ戻る。


「シリウスとレグルスを呼べ。」


パパがそう命じると、控えていた侍従がすぐに部屋を出ていった。

しばらくして、お兄ちゃんたちがやって来た。


「エリーに羽が生えたって?」


部屋へ入るなり、レグルスお兄ちゃんが私の後ろへ回り込む。


「見せて、エリー。」

「まだ小さいよ。」


私は髪を持ち上げた。


「本当だ。」


シリウスお兄ちゃんも、すぐそばまでやって来る。

二人とも、よく似た赤い目を細めた。


「おめでとう、エリー。」

「おめでとう。ちゃんと生えてきてよかったね。」

「生えないこともあるの?」

「かなり遅い魔族もいるよ。」


レグルスお兄ちゃんが答える。


「種族によっても違うけど、五歳なら早くも遅くもないかな。」

「そうなんだ。」


私はもう一度、指先で羽に触れた。

まだ小さい。

けれど、これから少しずつ大きくなるのだろう。


「羽や角が生えることは、一人前の魔族になった証だ。」


パパが言った。


「我が国では、家族でその成長を祝う習わしがある。」

「お祝いするの?」

「ああ。」

「ケーキもある?」

「あるよ。」


シリウスお兄ちゃんが笑う。

どうやら、甘いものもちゃんと用意してもらえるらしい。


「ただ、その前に俺たちは準備をしないと。」

「準備?」


私が首を傾げると、レグルスお兄ちゃんが少し得意そうな顔をした。


「祝いには、特別な獲物が必要なんだ。」


その言葉に、シリウスお兄ちゃんも頷く。

二人にとって、お祝いの狩りは大切な役目らしい。


「父上も来る?」

「いや、私が行くまでもないだろう。」


パパは当然のように答えた。

お兄ちゃんたちも、それで十分だと言わんばかりに顔を見合わせる。


「じゃあ、俺たち二人で狩りに行ってくるね。」

「二人で?」

「そうだ。」

「何を狩ってきてくれるの?」


そう尋ねると、お兄ちゃんたちはまた顔を見合わせた。

どちらからともなく、少しだけ楽しそうに笑う。


「それは、まだ秘密。」

「帰ってきてからのお楽しみだ。」

「えー。」


不満そうな声を出してみたけれど、二人は教えてくれなかった。

それでも、嫌な気はしない。

秘密にされると、ますます気になってしまう。

私は少し考えてから、別の聞き方をしてみることにした。


「私が食べたことないもの?」

「そうだ。」

「角や羽が生えたお祝いの日に、初めて食べることが許されるんだ。」

「へ~。」


それなら、きっとよほど特別なご馳走なのだろう。


私のために、お兄ちゃんたちが特別なものを狩りに行ってくれる。

パパも、レイも、お兄ちゃんたちも、みんな私の成長を喜んでくれている。

羽が生えただけで、こんなにも祝ってもらえるなんて思わなかった。

数日後に開かれるというお祝いが、私は楽しみで仕方なかった。


――あの日が来るまでは。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ