7話:初めてのお出かけ
ガタゴト、ガタゴト。
馬車がゆっくりと石畳を進んでいく。
窓の外へ目を向けると、見慣れた魔王城が少しずつ遠ざかっていくのが見えた。
私は向かいに座るレイへ視線を向ける。
「お兄ちゃんたち、ずっとついて行くって言ってたね。」
「そうですね。」
レイは小さく微笑んだ。
「先日は納得されたご様子でしたのに。」
お兄ちゃんたちの顔を思い浮かべる。
『俺も行く』
『エリーと一緒にお出かけしたい!』
『せめて俺が選んだドレスで行け』
『いいや、俺が選んだドレスの方がかわいい!』
稽古をサボりそうな勢いだった。
……いや、お兄ちゃんたちは意外と真面目だ。
きっと本当にサボったりはしない。
ただ、約束のお土産をちゃんと買って帰らないと、きっと拗ねちゃう。
「何がいいかなぁ……。」
私が腕を組んで悩んでいると、レイが穏やかな声で言った。
「きっと、姫様がお選びになった物なら、お二人とも喜ばれますよ。」
「そうかな?」
「ええ。」
レイが迷いなく頷く。
「お二人とも、姫様のことを大変可愛がっていらっしゃいますから。」
思わず頬が緩む。
……うん。
私も、お兄ちゃんたちのこと大好き。
だから喜んでもらえるものを選びたい。
そんなことを考えているうちに、馬車の揺れが少しだけ穏やかになった。
「姫様。」
レイが窓の外へ視線を向ける。
「もうすぐ街へ到着いたします。」
その一言に、胸がどきりと高鳴った。
異世界の街。
前世では、ゲームや漫画の中でしか見たことのなかった世界。
魔族が暮らす、本物の異世界。
私は待ちきれず、窓へ身を乗り出した。
「危のうございますので、お気を付けください。」
「あっ、ごめん。」
レイに注意され、慌てて座り直す。
そうこうしているうちに、馬車は大きな門をくぐった。
「わぁ……。」
思わず声が漏れる。
窓の外に広がっていたのは、今まで城の中から想像することしかできなかった魔族たちの街だった。
黒や灰色の石造りの建物が立ち並んでいる。
相変わらず空は厚い雲に覆われている。それでも街は少しも暗くない。
建物や街灯には、色とりどりの灯りがともっていた。
「どうして灯りの色が違うの?」
「魔力の性質によるものです。」
『魔力には、その人だけの特徴があるんだ。』
以前、お兄ちゃんがそう話していたのを思い出す。
なるほど、灯す人によって色が違うということなんだ。
色鮮やかな灯りが石造りの街並みに溶け込み、幻想的な景色を作り出していた。
行き交う魔族も様々だ。
大きな角を持つ者。
背中に翼を生やした者。
四足で歩く魔族までいる。
荷車を引く大きな魔獣。
屋根の上を飛び回る小さな魔物。
道端には食べ物や魔道具を売る様々な屋台が並び、楽しそうな笑い声があちこちから聞こえてくる。
胸が高鳴る。
これよ、これ!
異世界転生ってこういうことでしょ!
前世では何度も漫画やゲームで見てきた景色。
ずっと憧れていた世界。
その中に、今の私はいる。
やがて馬車はゆっくりと速度を落とし、一軒の店の前で止まった。
「到着いたしました。」
早く歩いてみたい。
お店を見て回りたい。
どんな物が売ってるんだろう。
どんな人がいるんだろう。
考えるだけで、わくわくが止まらなかった。
レイが先に馬車を降りると、私へ手を差し伸べる。
「参りましょう、姫様。」
私はその手をぎゅっと握り、ゆっくりと馬車を降りた。
初めて踏みしめる、魔王城の外の地面。
見上げれば、どこまでも続く異世界の街並みが私を迎えてくれていた。
「今日は夢でご覧になったものを探してみましょうか。」
「うん!」
私は大きく頷き、レイと手をつないで歩き始めた。
まず向かったのは本屋さん。
残念ながら漫画は見当たらなかったけれど、小説や絵本、画集など、娯楽として読む本はたくさん並んでいた。
驚いたのは植物図鑑だ。
ページを開くと、描かれた花の香りがふわりと漂ってくる。
「わぁ、すごい!」
「魔力を込めたインクで描かれているそうです。魔力が尽きるまでは香りを楽しめるのですよ。」
本を読むだけでなく、香りまで楽しめるなんて。
異世界ならではの発想に、私は思わず感心した。
次に入ったのは魔道具屋さん。
傍を自動でついてきてくれるランプ。
汚れた水を綺麗な水に変えてくれるボトル。
見た目は小さいのに、中には無限に荷物が入るバッグ。
便利そうな魔道具が所狭しと並んでいる。
さすがにSwitchは無かったけれど、ボードゲームによく似た遊具はいくつも見つけた。
「これも面白そう!」
遊び方は違うけれど、前世を思い出して少し嬉しくなる。
文房具屋さんでは、お兄ちゃんたちへのお土産にぴったりな万年筆のセットを見つけた。
値札は読めるけれど、お金の計算はまだ難しい。
「レイ、お小遣いで買えるかな?」
「ええ。十分お買い求めいただけます。お菓子もご一緒に選べそうですよ。」
「やった!」
これでお兄ちゃんたちへのお土産は決まりだ。
最後に立ち寄ったお菓子屋さんでは、見たこともないお菓子がずらりと並んでいた。
前世でも、量り売りのお菓子屋さんや駄菓子屋さんに行くと、何を買おうか迷う時間が大好きだった。
この世界にも、そんなわくわくがある。
生き物のように動き回るチョコレート。
食べるまでどんな味か分からないグミ。
膨らむと何日もしぼまない風船ガム。
まるで、前世で好きだった魔法学校のお話の世界みたい。
「これも気になる……!」
見ているだけでも楽しくて、時間を忘れてしまう。
街には見たこともない物が溢れていて、気付けば随分と歩き回っていた。
「姫様、お疲れではございませんか。」
「うーん……。」
言われてみれば、少しだけ足が重い気もする。
「少々休憩いたしましょう。」
レイはそう言うと、慣れた手つきで私を抱き上げた。
「このまま、飲み物でもいただきましょう。」
「えへへ。」
パパに抱っこされるのも、体が大きい分安定感があって好きなんだけど、レイに抱っこされると、それとは違う安心感がある。
レイが屋台で飲み物を選び始める。
私は見たこともない、時間とともに色が変わる炭酸ジュースを指差した。
「これ!」
レイは店主から受け取ると、いつものように毒味のため一口飲む。
「……!」
驚いたように目をぱちぱちと瞬かせた。
「大丈夫?」
「姫様、これは口の中でパチパチいたします。お飲みになれますか?」
どうやら炭酸に驚いたらしい。
「大丈夫だよ!」
レイから受け取り、一口飲む。
口いっぱいに広がる炭酸のしゅわしゅわ。
それだけでなく、ぱちぱち弾ける飴まで入っている。
酸っぱいゼリーも入っていて、とても好きな味だった。
「おいしい!」
「それなら良かったです。」
安心したように、レイが微笑んだ。
にこにこしながらレイと話していると、不意に少女の声が聞こえた。
「まぁ、レイモンド様ではありませんか?」
声のした方へ視線を向けると、レイやお兄ちゃんたちと同じくらいの年頃の少女が立っていた。
淡い金色の髪を上品に結い上げ、頭には鹿を思わせる美しい枝角が伸びている。人の耳の代わりに鹿の耳が頭の側面についており、若葉を思わせる緑色の瞳が静かにこちらを見つめていた。
上質なドレスを身にまとい、その後ろには護衛らしき男性が二人控えている。
レイは私を抱いたまま、一礼した。
「ご無沙汰しております。」
「やっぱりレイモンド様でしたのね。」
少女は嬉しそうに目を細める。
「社交界へなかなかお顔をお出しにならないものですから。久しぶりにお会いできて嬉しいですわ。」
「身に余るお言葉です。」
短いやり取りを聞きながら、私は少女を見つめる。
身なりからして、それなりの家のお嬢様なのだろう。
レイとも顔見知りらしい。
やがて少女は私の視線に気付くと、不思議そうに首を傾げた。
「こちらのお嬢様は……?」
私は慌てて頭を下げようとする。
しかし、その前にレイがやんわりと制した。
「私がお仕えしておりますお方です。」
それ以上は何も語らない。
少女も深くは尋ねず、小さく頷いた。
「そうでしたの。」
そう言って、改めて私へ視線を向ける。
その視線は、値踏みをするようにゆっくりと私の全身をなぞった。
居心地が悪い。
「ごきげんよう。」
「ご、ごきげんよう。」
ぎこちなく挨拶を返すと、少女は小さく微笑んだ。
「街は楽しんでいらっしゃいますの?」
「……うん! すっごく楽しいよ!」
思わず笑顔になる。
「見たことない物がいっぱいあって、どのお店も面白くて!」
少女は静かに耳を傾けていた。
「……そう。」
短く返事をすると、一歩だけこちらへ近付く。
「随分と素直に感情を表へお出しになるのですね。」
「え?」
突然の言葉に、私はきょとんと首を傾げた。
「楽しそうなお顔も、驚いたお顔も、そのまま表情に現れておりますもの。」
少しだけ口元に笑みを浮かべる。
「ダンウィッチ家がお仕えするほどのお方ですもの。もっと威厳のある方かと思っておりましたわ。」
一拍置いて、
「……随分と、人間臭い方ですのね。」
心臓がぞわりとした。
『母上もエリーみたいにコロコロ表情が変わる人だったよ。昔は「人間臭い」っていじめられる事もあったらしい。』
鈍い私でも分かる。これは明らかに侮辱されている。
「失礼ですが。」
静かな声だった。
怒鳴るでもなく、責めるでもない。
いつもと変わらない、穏やかな声色。
けれど、その場の空気が一変する。
肌にぴりりと電気が走るような緊張感が、辺りを支配した。
「そのようなお言葉は、お控えいただけますでしょうか。」
少女は表情こそ崩さなかったものの、その声音に気圧されたのか、わずかにたじろいだ。
「侮辱したつもりは……」
「エリー様は、エリー様です。」
少女の言葉を遮るように、レイは静かに続ける。
「あなたの尺度で、誰かと比べてよいお方ではございません。」
その声は終始穏やかだった。
だからこそ、そこに宿る揺るぎない意思が際立つ。
「私は、エリー様にお仕えしていることを誇りに思っております。」
少女は息を呑み、レイを見つめた。
やがて唇をきゅっと結ぶと、今度は私へ鋭い視線を向ける。
ほんの一瞬だけ。
けれど、その瞳に宿った感情は隠しきれていなかった。
「……失礼いたしました。レイモンド様のお考えは、よく分かりましたわ。」
優雅に一礼すると、少女は踵を返す。
護衛の騎士たちも黙ってその後に続き、やがて人混みの中へと姿を消した。
(……あぁ。)
胸の奥で、小さく納得する。
(あの子、レイのことが好きだったんだ。)
だから、あんな目で私を見た。
嫉妬。
その感情だけは、前世でも何度か見たことがあった。
だから私は、なんだか彼女を嫌いにはなれなかった。
「ありがとう。」
私はレイの服をぎゅっと掴んだ。
「私の代わりに怒ってくれて。」
レイは少しだけ目を丸くすると、ふっと柔らかく微笑んだ。
「姫様。姫様は、怒ってもよろしいのですよ。」
「え……?」
思わずレイを見上げる。
「姫様がお望みになれば、荒野は花畑となり、川の流れすら変えられるでしょう。私だけではございません。魔王国に生きるすべての者が、姫様の御命令を果たすために力を尽くします。姫様のお言葉一つで、この国は動きます。姫様のお立場は、それほど重いものなのです。」
レイは真っ直ぐ私を見つめる。
「だから、姫様はご自身が侮辱されたとき、怒ってもよろしいのですよ。」
私は小さく頷いた。
……どうやら、私が思っている以上に、魔王の娘という立場は重いらしい。
それから私たちは、もう少しだけ街を歩いた。
さっきまで夢中になっていた屋台や露店を眺めながらも、私の頭の中にはレイの言葉が残り続けていた。
夕暮れが街を茜色に染める頃、私たちは魔王城へと帰った。
◇ ◇ ◇
――その日の夜。
執務室。
「失礼いたします。」
レイモンドが執務室へ入ると、魔王陛下は書類から目を離さぬまま口を開いた。
「どうした。」
「本日、姫様との外出中に、ご報告すべき出来事がございました。」
レイモンドは、昼間の出来事を包み隠さず報告した。
オズヴァルトは最後まで口を挟まない。
「……そうか。」
短く呟く。
「その家へ伝えよ。娘を責めるつもりはない。」
赤い瞳が静かに細められた。
「だが、王族への礼節は教え直せ。二度目はない、とな。」
「御意。」
レイモンドは一礼すると、静かに執務室を後にした。




