6話:いただきます
レイが護衛になってから、食事の時間は少し賑やかになった。
以前はメイドさんが運んできてくれた食事を、一人で食べることが多かった。
もちろん、パパやお兄ちゃんたちが時間を合わせてくれる日もあるけれど、それほど多くはない。
それに比べてレイは、最初こそ私のそばで待機しているだけだったが、私と二人きりで食事をする時は、一緒に食べてくれるようになった。
今日の献立は、パンと焼いた魔獣のお肉、スープ、それからりんごに似た果物。
レイは私を抱き上げて椅子に座らせると、自分も向かい側へ腰を下ろした。
目の前に並ぶ料理を見つめる。
美味しそう。
私は自然と両手を合わせた。
「いただきまーす。」
「……いただきます?」
「あっ……。」
しまった。
思わず顔を上げると、レイが不思議そうな表情でこちらを見ていた。
「なんですか?『いただきます』とは。」
「えっと……。」
食事の前には「いただきます」。
食べ終わったら「ごちそうさま」。
前世では、それが当たり前だった。
習慣というものは、そう簡単には抜けない。
前世でも、一人暮らしを始めてから、誰もいない部屋に向かって「ただいま」や「いってきます」と口にする癖は、なかなか治らなかった。
「いただきます」や「ごちそうさま」も、それと同じだ。
この世界には「いただきます」や「ごちそうさま」という文化がないことは、かなり前に気付いていた。
だから一人で食事をする時だけ、こっそり口にしていたのだ。
人と一緒に食べる時は意識して言わないようにしていたのに、今日はついうっかり出てしまった。
「あー……。」
私は慌てて頭を回転させる。
「えっとね!ご飯を作ってくれた人とか、食べ物に『ありがとう』って伝える言葉……かな?」
「どこでそのような言葉を?」
「えっと……。」
本で読んだ、は駄目だ。
まだ私は字をあまり読めないし、どの本か聞かれたら困ってしまう。
「夢!夢の中の人たちが使ってたの!」
レイは少しだけ目を細めた。
「姫様は、想像力も豊かですね。」
どうやら納得してくれたらしい。
私は内心ほっと胸を撫で下ろした。
気を取り直して食事を始める。
ところが、レイはなかなか食事に手を付けない。
どうしたんだろう。
私はパンを頬張りながら、ちらりと様子をうかがう。
するとレイは、静かに両手を合わせた。
「いただきます。」
少しぎこちなくそう口にすると、何事もなかったかのように食事を始める。
私は思わず吹き出した。
「えへへ。」
レイはきっと、小さな私の遊びに付き合っているつもりなんだろう。
それでも嬉しかった。
前世では当たり前だった習慣が、この世界に一つ増えた気がした。
「夢の中にはね、面白いものがたくさんあるんだよ。」
「例えば?」
「ゲームとか!」
「ゲーム……チェスやポーカーのようなものですか?」
「あー、それもゲームだけど違うんだよね。」
どう説明すればいいんだろう。
ゲーム機なんて言っても分からないだろうし、コントローラーなんてもっと伝わらない。
「えっとね……自分が冒険したり、魔物を倒したりするの。」
「……なるほど。」
レイは少し考え込むように顎へ手を添えた。
「魔道具でしょうか。」
「え?」
「街へ行けば、姫様が夢でご覧になったものに似た道具が見つかるかもしれません。」
「街!」
思わず身を乗り出す。
そういえば、私はまだ一度もお城の外へ出たことがない。
前世では当たり前だった街並みも、この世界ではまだ見たことがないのだ。
「街に行ってみたい!」
私が目を輝かせると、レイは少し困ったように笑った。
「それは私では決められません。陛下の許可が必要ですね。」
「じゃあ、エリーがパパにお願いする!」
勢いよく椅子から飛び降り、そのまま駆け出そうとした私を、レイがそっと呼び止めた。
「姫様。」
「なぁに?」
「食事が先ですよ。」
「あっ……そうだった。」
私は恥ずかしくなって、慌てて椅子へ座り直す。
街のことで頭がいっぱいになってしまって、すっかり食事の途中だったことを忘れていた。
レイはそんな私を見て、小さく口元を緩める。
「陛下は逃げませんから、ご安心ください。」
「……うん!」
私は大きく頷くと、今度こそ落ち着いて食事を再開した。
食事を終えると、レイに抱き上げられ、胸を弾ませながらパパの待つ執務室へ向かった。
◇ ◇ ◇
執務室の扉が開く。
「パパ!お願いがあるの!」
レイに抱っこされたまま、私は両手をいっぱいに広げて叫んだ。
書類に目を通していたパパは顔を上げると、ふっと表情を和らげる。
「どうした?」
「お出かけしたいの!」
「お出かけ?」
パパは少しだけ目を丸くした。
「どうして急にそんなことを?」
「夢のお話をしてたの!そしたらレイがね、『街に行けば似たものがあるかもしれません』って!」
私は興奮気味に話す。
「だから行ってみたいの!」
パパは私の後ろに立つレイへ視線を向けた。
「……レイ。」
「はい。」
「これはお前の入れ知恵か?」
「恐れながら、」
レイは一歩前へ出ると、静かに頭を下げた。
「先ほど姫様から夢のお話を伺いました。夢でご覧になったものを確かめてみたいとのことです。」
「ふむ。」
「城の外をご覧になることは、姫様の見聞を広める良い機会になると思われます。」
レイが私のために話してくれている。
そのことが嬉しくて、思わずレイの服をぎゅっと掴んだ。
パパは腕を組み、小さく考え込む。
私は返事を待ちきれず、そわそわと体を揺らした。
「パパ……。」
その様子に気付いたパパは、思わず苦笑する。
「そんなに行きたいのか。」
「うん!」
間髪入れずに大きく頷く。
その勢いに、パパは小さく息をついて笑った。
「分かった。」
「ほんと!?」
「ただし、護衛は必須だ。レイ、お前に任せる。」
「かしこまりました。」
「やったぁ!」
私は思わず両手を上げて歓声を上げた。
その時だった。
「なになに? 何の話?」
執務室の扉が勢いよく開き、お兄ちゃんたちがひょこっと顔を覗かせた。
「どうしたんだ?」
「街にお出かけするの!」
私が嬉しそうに答えると、お兄ちゃんたちはぱっと目を輝かせる。
「えっ!?いいな!」
「俺もついて行く。」
「え!俺も俺も!エリーと一緒にお出かけしたい!」
二人は顔を見合わせると、我先にと名乗りを上げた。
「俺がエリーを案内する」
「ずるい!俺だって!」
二人が口々に騒ぎ始めたものだから、静かだった執務室はあっという間に賑やかになった。
そんな私たちを見渡し、パパは小さくため息をつく。
「……お前たちは駄目だ。」
「「ええーーー!!」」
息ぴったりに抗議の声が重なる。
「どうして?」
「エリーも一緒の方が楽しいじゃん!」
パパは二人を見据え、諭すように口を開いた。
「まず、お前たちが街へ出れば、それだけで人だかりができる。」
「うっ……。」
「社交界へのお披露目も済ませているお前たちは、魔族なら誰もが顔を知っている。そんな二人がエレオノーラと一緒に歩けば、『魔王の娘』だと勘付かれる可能性が高い。」
二人は「それは……」と顔を見合わせる。
「エレオノーラはまだ表舞台に立っておらん。顔を知る者はごく一部だ。」
パパは今度はレイへ視線を向けた。
「レイモンドが護衛についていれば、身分の高い令嬢だとは思われるだろう。しかし、それ以上の詮索をする者はそう多くはない。」
レイは静かに一礼する。
「必ず姫様をお守りいたします。」
パパは小さく頷き、改めて言った。
「今回は、エレオノーラとレイモンドだけで行く。」
「そんなぁ……。」
二人は揃って肩を落とした。
「まぁ、仕方ないか。」
「じゃあさ!」
レグルスがぱっと顔を上げる。
「お小遣いいっぱいあげるから、お土産買ってきてよ!」
「俺の分も買ってきてくれ。」
シリウスも慌てて続ける。
「えへへ、分かった!」
二人から渡された小さな革袋を、大事そうに抱きしめる。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「だからいっぱい楽しんでこいよ!」
「レイ、エリーのこと頼んだぞ。」
「お任せください。」
レイが静かに一礼すると、お兄ちゃんたちは満足そうに頷いた。
初めてのお出かけ。
胸がどきどきして、今から楽しみで仕方なかった。
「そういえば、エリーはなんで急にお出かけしたいなんて言い出したんだ?」
レグルスが不思議そうに首を傾げる。
「実は――」
◇ ◇ ◇
それからしばらくして。
いつの間にかレイがお兄ちゃんたちに教えたらしい。
食事の席で、当たり前のように手を合わせ、「いただきます」と声をそろえるお兄ちゃんたちを見た時は、びっくりして食器を落としてしまったほどだった。




