5話:お母さんってどんな人?
レイが護衛になってから、数日が過ぎた。
私についてこられないメイドさんたちに代わって、レイはいつでも私のすぐ隣にいる。
相変わらず鬼ごっこでは一度も勝てないし、木登りも一人ではさせてもらえない。
真面目すぎる護衛だけれど、それももう当たり前になっている。
それに加えて、最近は前世でいう梅雨のような季節がやってきた。
もともと魔界は厚い雲に覆われた日が多い。
けれど、この時期は黒く重たい雲が空を埋め尽くし、冷たい雨が何日も降り続く。
魔界の雨には酸や毒が混じることもあり、丈夫な魔族でも長時間浴びるのは身体に良くないらしい。
そのため、お兄ちゃんたちの屋外での訓練もお休み。
最近は四人で過ごす時間が増えている。
今日も部屋の中。
私は床に寝転がってお絵描きをしている。
その隣では、レイがいつものように私を見守り、お兄ちゃんたちは宿題に取り組んでいた。
私は床に寝転がったまま、紙いっぱいに絵を描いていた。
パパと、お兄ちゃんたちと、レイ。
みんな思い思いの色で描いて、最後に満足そうに絵を掲げる。
「できた!」
我ながら、三歳にしては上手に描けたと思う。
思わずにへへ、と笑っていると、不意にレイがぽつりと口を開いた。
「姫様は、少し変わっておられますね。」
「変わってる?」
私は首を傾げる。
「魔族は個人差こそありますが、あまり表情が豊かな種族ではありません。ですが姫様は違います。喜んだり、驚いたり、怒ったり……まるで天気のように表情がころころ変わる。見ていて飽きません。」
レグルスがくすりと笑う。
「それ、分かる。」
シリウスも静かに頷いた。
「昔からそうだった。」
「むぅ。」
褒められているような、子ども扱いされているような。
少しだけ複雑な気分になる。
そんなことを考えながら、私はもう一度、自分の描いた絵へ目を向けた。
(そういえば……。)
パパと、お兄ちゃんたちは、みんな黒い髪に赤い瞳。
頭には立派な角が生えている。
それに対して私は、雪のような白い髪に紫色の瞳。
角もまだ生えていない。
前世の感覚で見ても、かなり整った顔立ちだと思う。
将来は絶対、美人になる。
……うん、それは間違いない。
でも。
(誰とも似てないんだよね。)
気付けば、その疑問は口から零れていた。
「……本当に兄弟?」
その瞬間だった。
部屋の空気が、ぴりっと張り詰める。
火花が散ったような殺気に、私は思わず肩を震わせた。
「姫様。」
反射的に、レイが私を庇うように抱き寄せる。
レイの腕の隙間から、机に向かっていた二人がこちらを見ているのが見えた。
相変わらず表情はほとんど変わらない。
それでも、二人から放たれる静かな怒りが部屋中に満ちていた。
シリウスが低く問いかける。
「……誰だ。」
レグルスも続ける。
「エリーに、そんなことを言った奴。」
しまった!声に出てた!
「ち、違うの!」
私は慌てて両手をぶんぶん振る。
「誰かに言われたんじゃないの!パパとも、お兄ちゃんたちとも全然似てないから、そう思っちゃっただけなの!」
二人はしばらく黙ったまま私を見つめ――
やがて、ゆっくりと顔を見合わせた。
そして同時に、ふっと息を吐く。
「……そういうことか。」
「なんだぁ。びっくりした。」
部屋を満たしていた重苦しい空気が、すっと和らぐ。
それを感じ取ったのか、レイも安心したように小さく息を吐き、私を抱き寄せていた腕をそっとほどいた。
シリウスは机の上のノートと本を静かに閉じる。
立ち上がると、短く言った。
「来い。」
「?」
「見せたいものがある。」
◇ ◇ ◇
案内されたのは、私がまだ入ったことのない部屋の一つだった。
中にはたくさんの肖像画が飾られている。
どれもパパやお兄ちゃんたちによく似た顔立ちをしていて、きっと歴代の魔王やその家族なんだろう。もちろん、中には全然似ていない人もいた。
その部屋の一番奥。
ひときわ大きな肖像画が、大切そうに飾られていた。
「……!」
私は思わず息を呑む。
そこに描かれていたのは、一人の女性だった。
雪のように白い髪。
宝石のような紫色の瞳。
後頭部には、角の代わりに美しい漆黒の翼が生えている。
柔らかな笑みを浮かべたその姿は――
「……私にそっくり」
もちろん大人だから雰囲気は違う。
でも、誰が見ても親子だと分かるほど似ていた。
「母上だ。」
シリウスが静かに言う。
「似てるだろ。」
私は何度も何度も頷いた。
レグルスが懐かしそうに微笑む。
「母上もエリーみたいにコロコロ表情が変わる人だったよ。昔は『人間臭い』っていじめられる事もあったらしい。」
(人間みたい……。)
私はずっと、前世で人間だったから魔族みたいに無表情ではいられないんだと思っていた。
でも、それは母親譲りだったのか。
なんだか少し、ほっとした。
「それに、エリーはまだ魔力を感じられないから分からないだろうけど。」
「魔力?」
「うん。」
レグルスは自分の首の後ろ――魔石へ手を添えた。
「魔力には、その人だけの特徴があるんだ。エリーの魔力には、父上と母上、二人の魔力がちゃんと混ざってる。」
シリウスも続ける。
「だから間違いなく、俺たちは兄弟だ。」
なるほど。
魔力が、血液型やDNAのような役目をしているんだ。
ちゃんと親から受け継がれていくものなんだな。
私はもう一度、肖像画へ目を向けた。
優しく微笑むその人を見つめているうちに、胸の奥から別の疑問が湧いてくる。
「ねぇ……ママは、私を産んだから死んじゃったの?」
レグルスは少しだけ驚いたように目を見開き、すぐに表情を和らげた。
「魔族の女性はさ。子どもを産む時に亡くなる人が、とても多いんだ。」
私は黙って耳を傾ける。
シリウスが静かに口を開いた。
「双子の俺たちを産むときに本当は母上は死ぬはずだったんだ。」
レグルスは小さく笑う。
「でも、俺たちは早産だったからね。母上への負担が少なくて、運よく助かったんだ。」
シリウスは小さく頷いた。
「その代わり、俺たちは未熟児だった。何度も生死の境をさまよった。」
レグルスは肖像画を見上げる。
「母上ね、よく言ってたんだ。『次の子は、絶対に元気な子で産む』って。」
私は肖像画を見る。
優しく笑うその人は、本当にそう言いそうだった。
「だから。」
レグルスが私の頭をそっと撫でる。
「エリーは、元気に生まれてきてくれた。」
その優しい手の温もりに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
今度はレイが静かに口を開いた。
「私の兄弟も、皆、異母兄弟です。私の母も、私を産んで亡くなりました。魔族では、決して珍しいことではありません。姫様が、ご自身を責める必要はございません。」
誰も私を責めていない。
むしろ、みんなが「違う」と言ってくれている。
私はもう一度、肖像画を見上げた。
白い髪。
紫の瞳。
優しく微笑むお母さん。
一度だけ、その声を聞いたことがある。
『エレオノーラ……私の可愛い子。』
あれが最初で、最後だった。
それでも、不思議と分かる。
この人は、きっと私に会いたくて。
私を抱きしめたくて。
命を懸けて、私を産んでくれた。
胸の奥にあった重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
私は小さく頷く。
「……うん。」
その返事を聞いて、シリウスとレグルスは静かに微笑んだ。
「母上がいなくても。」
レグルスは私の頭をもう一度優しく撫でる。
「エリーは俺たちが、誰にも恥ずかしくない立派な魔族にしてみせる。」




