4話:騎士との出会い
木登り事件から数日後。
魔王城、執務室。
「……以上が、先日の報告となります。」
側近が一枚の報告書を差し出した。
魔王:オズヴァルトは静かに書類へ目を通す。
そこには、エレオノーラが庭の大木から転落し、シリウスとレグルスが救助した一件がまとめられていた。
「姫様は年々、身体能力が向上しております。」
側近は淡々と続ける。
「奉仕種族では追従できません。今後も同様の事態が起きた場合、対応は困難かと。」
部屋に静かな空気が流れる。
レグルスが口を開いた。
「父上。護衛を付けた方がいいんじゃない? この前だって、本当に危なかった。」
シリウスも静かに頷く。
「俺たちも、いつも傍にいられるわけじゃない。」
オズヴァルトはしばらく目を閉じた。
あの時、エレオノーラが木から落ちる姿を見た瞬間の光景が脳裏をよぎる。
もし、あと一歩遅れていたら。
そんな考えを振り払うように、ゆっくりと目を開いた。
「……そうだな。」
短く呟く。
「ダンウィッチ家へ連絡を。」
側近が一礼する。
「かしこまりました。」
「レイモンド・ダンウィッチを、エレオノーラの護衛に任命する。」
◇ ◇ ◇
「暇ぁ……。」
数日後。
私はソファへ寝転がり、大きく伸びをした。
木登りはもちろん禁止。
一人で庭へ行くのも禁止。
メイドさんは必ず二人以上付き添うこと。
全部、あの日から増えたルールだ。
「姫様、お行儀が悪うございます。」
「うー。」
返事だけはしたものの、身体は動かない。
だって、本当に暇なのだ。
前世みたいにゲームや漫画があるわけでもない。
絵本はあるけれど、まだ三歳。文字を読むのは一苦労だ。
言葉は普通に分かるのに、文字だけは前世の知識がまるで役に立たない。
不自由なもんだ。
パパは今日も仕事。
お兄ちゃんたちは魔法の訓練や勉強。
遊び相手がいない三歳児に、この静かな部屋は退屈すぎる。
そんな時だった。
――コンコン。
部屋の扉が叩かれる。
「はーい!」
私が返事をすると、扉がゆっくりと開いた。
「パパ!」
部屋へ入ってきたパパを見つけると、私は勢いよく駆け寄る。
パパは慣れた手つきで私を抱き上げる。
「元気そうだな。」
「ひまー。」
「……そうか。」
相変わらず反応が薄い。
でも、今日はそのまま部屋を出ようとはしなかった。
「今日は、お前に紹介したい者がいる。」
「しょうかい?」
「ああ。」
パパに抱っこされたまま廊下を進む。
向かった先には、お兄ちゃんたちが待っていた。
その隣には、見たことのない少年が一人。
お兄ちゃんたちと同じくらいの年齢だろうか。
明るい茶色の髪。
頭には後ろへ緩やかに湾曲した二本の角。
金色の瞳は、よく見ると山羊のように黒い横長の瞳孔をしている。
(……ヤギみたい。)
少年は私と目が合うと、片膝をつき、首筋が見えるほど深く頭を垂れた。
首の後ろでは、深緑の魔石が静かに輝いている。
「初めまして、エレオノーラ様。私はレイモンド・ダンウィッチ。本日より姫様の護衛を務めさせていただきます。」
私は首を傾げる。
「ごえい?」
「姫様をお守りする役目です。」
「どうして?」
私がパパを見上げると、パパは短く答えた。
「お前は活発すぎる。」
「うっ……。」
反論できない。
「奉仕種族では、お前に追いつけない。」
……それも、この前証明されてしまった。
「ダンウィッチ家は軍事を司る公爵家だ。」
パパはレイモンドへ視線を向ける。
「レイモンドは同世代の中でも特に優秀だ。」
レグルスがにこりと笑う。
「レイモンドならエリーが走り回ってもちゃんと追いつけるよ。」
シリウスも短く続けた。
「エリーを抱えたままでも木に登れる。」
「ホントに!?」
私は思わず目を輝かせる。
レイモンドは突然話を振られ、少し戸惑ったように瞬きをした。
「お、おそらく……。」
双子たちの声色は、心なしか少し楽しげだ。
(なんて運動神経! 身体能力!)
護衛なんて言ってるけど――
実質、遊び相手なんじゃないの?
私はもう一度、少年を見つめる。
「レイモンド。」
「はい。」
「長い。」
「……え?」
「レイ!」
部屋が一瞬静まり返る。
レイモンドは困ったようにパパを見る。
パパは小さく頷いた。
「好きに呼ばせてやれ。」
「……承知いたしました。」
私は満面の笑みで手を伸ばす。
「よろしくね、レイ!」
少し戸惑いながらも、レイモンドは柔らかく微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。姫様。」
パパが静かに立ち上がる。
「レイモンド。」
「はっ。」
「今日からエレオノーラの護衛を任せる。」
レイモンドは胸に手を当て、深く頭を垂れた。
「命に代えましても、お守りいたします。」
(“命に代えて”ねぇ……。)
少し大袈裟じゃないかと思う。
でも同時に、私は一国の姫なんだと改めて実感した。
そして、もう一つ分かったことがある。
「レイ。」
「はい。」
「遊ぼ!」
この人となら、思いっきり遊べそうだということだ!
私はレイの手を掴むと、そのまま部屋を飛び出した。
「えっ、ひ、姫様!?」
手を引かれながら、慌ててレイも走り出す。
「姫様、お待ちください!」
後ろからメイドさんの声も聞こえる。
「行ってきまーす!」
私は振り返りもせず叫んだ。
レイは一瞬だけパパへ視線を向けた。
「任せる。」
「……承知いたしました!」
返事をすると、レイは私の手をしっかりと握り返し、そのまま一緒に庭へ駆けていった。
庭へ飛び出す。
「鬼ごっこ!」
「……はい?」
「レイがおにー!」
「え、えぇっ!?」
先手必勝!とばかりに、私は全力で走り出した。
――が、
「つかまえました。」
「!?」
あっという間だった。
気付けばレイは私のすぐ後ろにいて、ひょいっと抱き上げられる。
「うわー!」
「姫様、お怪我をされてはいけませんので。」
「もう一回!」
「……承知いたしました。」
私は再び走り出す。
でも。
「つかまえました。」
「もう一回!」
「承知いたしました。」
私は向きを変えて駆け出す。
「つかまえました。」
三秒。
長くても五秒。
何度逃げても、毎回あっさり捕まってしまう。
「レイ、速すぎるー!」
「姫様も十分お速いですよ。」
「ほんと?」
「はい。」
少し嬉しい。
「いや、そうじゃなくて!」
私は思わず声を上げた。
「エリー、まだ三歳なんだよ!? もう少し手加減してくれてもいいんじゃないの!?」
レイは少しだけ首を傾げる。
「ですが、姫様。護衛が手加減をして取り逃がすわけにはまいりません。」
「むぅー!」
真面目すぎる!そういうことじゃないんだけど!
どうやら私の護衛は、遊びでも一切手を抜かないらしい。
「レイ、速すぎてつまんない!」
「……申し訳ございません。」
違う、そういうことじゃない。
謝ってほしかったわけじゃないんだけど……。
私はもどかしい気持ちで小さくため息をつき、庭の大きな木を見上げた。
「あ。」
レイも私の視線を追う。
「姫様?」
「木登りしよ!」
私は木へ向かって駆け出そうとする。
しかし、その瞬間。
ふわり。
身体が浮いた。
「木登りは禁止だと伺っております。」
「じゃあ、このままレイが登ってよ。抱っこしたまま。」
「……。」
一瞬だけ言葉に詰まる。
だが、すぐに私を抱き直すと、小さく頷いた。
「承知いたしました。しっかり掴まっていてください。」
レイはぐっと膝を深く曲げる。
「行きます。」
次の瞬間。
地面が弾けるような音を立てた。
凄まじい脚力で蹴り出された身体は、一瞬で木々の高さを追い越していく。
胃がふわりと浮き、風が耳元で唸りを上げた。
「ひゃあっ!?」
私が声を上げた時には、もう目の前には青空しかない。
そして次の瞬間には、私たちは大木の頂近くの枝へ音もなく着地していた。
「す、すごいねぇ!!どうやるの!?」
私は目を輝かせる。
レイは私をしっかり抱きかかえたまま答えた。
「姫様も、いずれできるようになりま……。」
そこで言葉を切る。
「……いえ。できるようになっても危険ですので、お勧めはいたしません。」
「えー。」
私は口を尖らせながらも、木の上から景色を見渡した。
「たかーい!」
自分で登っていた時より、ずっと高い。
手を伸ばしても届かなかった枝の上から眺める景色は、それだけでまるで別世界だった。
庭の花壇や噴水がいつもより小さく見える。
風が頬を優しく撫で、葉がさらさらと揺れる音が心地いい。
「ねぇ、レイ。」
「はい。」
「ここまで登るのって大変?」
「私どもダンウィッチ家では、幼い頃から鍛錬を積みます。これくらいであれば、それほど苦ではありません。」
「へぇー!」
私は思わずレイを見上げた。
「レイって何歳?」
「十三です。」
「お兄ちゃんたちと一緒だ!」
「はい。」
「じゃあ、お兄ちゃんたちとも仲良し?」
「……仲が良いかは分かりませんが、幼い頃から何度か合同で訓練をしております。」
「そうなんだ!」
私は興味津々で身を乗り出した。
「好きな食べ物は?」
「……好きな、食べ物ですか。」
レイは少しだけ考え込む。
「考えたことがありません。」
「えぇー? エリーはねぇ、果物が好き!」
「そうなのですね。」
「レイは果物好き?」
「嫌いではありません。」
「好きじゃないの?」
「……意識したことがありません。」
好き嫌いも考えたことがないんだ……。
もしかして、自分のことより、いつも周りのことを優先してるのかな。
だったら、急に私の護衛を任されても、『嫌だ』なんて言えなかったのかも。
「レイ。」
「はい。」
「エリーの護衛、いやじゃない?」
レイは少し考え込んでから答えた。
「嫌……と思うことはありません。」
「本当?」
「はい。これは陛下より賜った大切な任務です。」
少し間を置いて、レイは続ける。
「ですが……兄弟はおりますが、皆、私より年上です。」
「うん。」
「年下の、それも女性をお守りするのは初めてでして……。正直、少し戸惑っております。」
私は首を傾げた。
「でも、抱っこするの上手じゃん。」
「……。」
レイは少しだけ視線を泳がせた。
「弟や妹を抱いた経験はありませんので、乳母に聞いて、大きめのぬいぐるみを用意し、練習しました。」
「えぇー!?」
思わず大きな声が出た。
「ぬいぐるみで!?」
「はい。」
「そんなことまでするの!?」
「初めてお預かりする大切なお方ですので。」
なんという真面目さ。
私は思わず吹き出した。
「レイって面白い!」
「……そうでしょうか。」
本人は至って真面目に答えているだけなのだろう。
それが余計に面白くて、私はしばらく笑いが止まらなかった。
木の上でレイの話を聞いている時間は、とても楽しかった。
退屈だった毎日に、少しだけ色が付いた気がする。
この日から、私のすぐ隣には、いつもレイがいるようになった。
◆ ◆ ◆
壁に飾られた一本の剣へ視線を向ける。
あの日まで、剣の手入れなんてしたこともなかった。あの人に教わってからは、こうして定期的に手入れを続けている。
どんなに丁寧に手入れをしても、時間の流れだけは止められない。少しずつ劣化していくのを見るのが耐えられなくて、私はこの剣に劣化防止の魔法をかけた。
「その剣、大事なものなのか?」
私の視線を追った少年が尋ねた。
「うん。昔、一緒に過ごした騎士の剣なんだ。」
そう言って、柄をそっと撫でる。
「良い剣だな。」
少年は素直にそう言った。
そんなふうに褒められるとは思っていなかった。
少し嬉しくて、少し照れくさくて。
「あげられないよ。」
少しいたずらっぽく笑って返すと、少年は呆れたように肩をすくめる。
「いや、欲しいって意味じゃねぇよ。」
◆ ◆ ◆




