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2話:初めての一歩

◆ ◆ ◆


一人暮らしの隠れ家に、この少年少女たちが時折訪れるようになってからしばらくたった。


少年少女……とは言ったが、青年と女性と言ったほうが正しいだろう。


魔族の感覚からすると、どうも子供っぽく見えてしまう。というより、実際に私からしたら生まれたての赤子同然なのだが……。


私ももう、おばあちゃんってことね。


そんなふうに思って、自嘲気味に笑った。


「なんだよ急に」


怪訝そうに少年が眉をひそめる。


「いや、君たちはまだまだ歩き始めたばかりの赤ん坊なんだなと思ってね」

「はぁ?」


少年は少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに考えることを放棄したのか、私が用意したお茶とお菓子へ無遠慮に手を伸ばした。


最初は魔法を教えてほしいとか、魔物について知りたいとか、そんな用事ばかりだった。

だけど最近では、お茶を飲みながら他愛もない話をする時間の方が長い。


「魔族は寿命が長いですから……エリーさんから見れば、私たちなんて赤子同然なのでしょうね」


湯気の立つ紅茶を口に運びながら、少女が穏やかに言う。

聡い彼女は、私が考えていたことをあっさりと言い当てた。


「エリーは子供の頃のことも覚えていらっしゃるのですか?長寿だと忘れてしまいそうですが……」


もう一人の少年が静かに尋ねる。


「魔族は記憶力がいいらしいよ」

「らしい?」

「他の魔族と記憶力を比べたことはないからね」


前世の、現代日本の記憶はもうほとんど思い出せない。

成人女性……だったはずだ。名前も、仕事も、家族のことも思い出せない。


でも、この世界で生きてきた記憶は驚くほど鮮明に残っている。


「たとえば、歩きはじめた頃のこととか……」


◆ ◆ ◆


時は流れ、もうすぐ一歳になろうとしている今日この頃。


毎日、メイドさんたちが交代で私の面倒を見てくれている。

哺乳瓶でミルクを飲ませてもらい、おむつを替えてもらい、眠くなれば抱っこして寝かしつけてもらう。

異世界だろうが魔族だろうが、赤ん坊の食事はミルク一択らしい。


前世の記憶があるだけに、「お肉食べたいなぁ」とか「ラーメン食べたいなぁ」なんて思うこともある。

でも、歯も生えていない私に食べられるはずもない。

文句を言っても始まらない。

与えられたミルクをたくさん飲んで、たくさん寝る。

早く大きくなることが、今の私の仕事だ。


そして最近のマイブームは、歩く練習だった。


「姫様、こちらへ。」


今日も歩く練習に付き合ってくれるのはメイドさんだ。

相変わらず、表情はぴくりとも動かない。

まるで精巧に作られたマネキンみたい。


初めて見た時は結構怖かった。

でも今ではもう慣れた。

転びそうになればすぐ支えてくれるし、泣けば優しく抱き上げてくれる。

表情が動かないだけで、みんなとても優しい人たちなのだ。


私はメイドさんの指をぎゅっと握り、小さな足を前へ出した。

一歩。

二歩。

三歩。


「……!」


(よし、このまま……)


ぺたん。

足がもつれ、見事に尻もちをつく。


「ぅー!」


悔しい。

あと少しだったのに。


メイドさんは何事もなかったように私を抱き上げ、無表情のまま服についた埃を払ってくれる。


「焦らずとも、姫様はすぐに歩けるようになります。」


相変わらず表情は変わらない。

でも、その声はどこか優しかった。


そんな歩く練習を毎日続けていると、双子のお兄ちゃんたちも見学に来るようになった。


双子とは言うものの、髪型が違うから見分けるのは簡単だ。

短髪なのが兄のシリウス。

少し長めの髪なのが弟のレグルス。

それに、レグルスの方がほんの少しだけお喋りなので、一緒にいると自然と区別できるようになった。


その日も、歩く練習をしていると、

「陛下がお見えです。」


部屋の扉が開く。

黒髪に赤い瞳。

立派な角を持つ父――オズヴァルトが姿を現した。


「歩く練習をしていると聞いた。」


……また来た。

父は毎日忙しそうにしている。

詳しくは分からないけれど、部屋にはひっきりなしに部下が出入りしているし、机にはいつも書類が積まれている。


魔王って何をする仕事なんだろう。

前世では、勇者に倒されるラスボスくらいの認識しかなかった。

でも、この世界の魔王は国を治める王様だ。


……うん。

大変に決まってる。

そんな忙しいはずのお父さんが、私が歩く練習をしていると聞いただけで様子を見に来てくれる。

なんだか少し照れくさい。


父の後ろから、兄たちも部屋へ入ってきた。

シリウスが静かにしゃがみ込み、両手を広げる。


「エリー。俺のところまで来られるか?」


すると反対側でレグルスもしゃがみ込んだ。


「今日は俺のところまでおいでよ。」

「……いや、俺だ。」

「兄さん、この前もそう言ってたじゃん。」

「今日は今日だ。」

「それじゃ毎回兄さんじゃないか。」


二人とも表情はほとんど変わらない。

でも。

……張り合ってる。

私にもそれくらいは分かるようになってきた。


父は小さく息を吐く。


「エレオノーラが困っている。」

「……。」

「……。」


二人とも黙ってしまった。

少しだけ気まずそうな空気。


私はメイドさんに床へ降ろされる。

右にはシリウス。

左にはレグルス。

二人とも両手を広げて待っている。


(いや、お兄ちゃんたち。

どっちかなんて選べないんだけど。)


私はゆっくり立ち上がった。

一歩。

二歩。

三歩。

よろよろと前へ進む。

あと少し。


「おっ。」


兄たちの声が重なる。


もう一歩。

そう思った瞬間。

ぺたん。


二人のちょうど真ん中で尻もちをついた。

すぐに二人が駆け寄り、同時に私を抱き上げる。


「俺の勝ちだね。」

「いや、俺だった。」


父はそんな二人を見て、小さく頷いた。


「……引き分けだな。」


二人は顔を見合わせる。

納得していないらしい。


(だから勝手に勝負しないでってば。)


思わず心の中でツッコミを入れる。

その日、私は人生で一番長い距離を歩いた。


父も。

兄たちも。

メイドさんたちも。


誰一人笑顔は見せなかったけれど。

きっと、みんな喜んでくれていた。


……たぶん。


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