2話:初めての一歩
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一人暮らしの隠れ家に、この少年少女たちが時折訪れるようになってからしばらくたった。
少年少女……とは言ったが、青年と女性と言ったほうが正しいだろう。
魔族の感覚からすると、どうも子供っぽく見えてしまう。というより、実際に私からしたら生まれたての赤子同然なのだが……。
私ももう、おばあちゃんってことね。
そんなふうに思って、自嘲気味に笑った。
「なんだよ急に」
怪訝そうに少年が眉をひそめる。
「いや、君たちはまだまだ歩き始めたばかりの赤ん坊なんだなと思ってね」
「はぁ?」
少年は少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに考えることを放棄したのか、私が用意したお茶とお菓子へ無遠慮に手を伸ばした。
最初は魔法を教えてほしいとか、魔物について知りたいとか、そんな用事ばかりだった。
だけど最近では、お茶を飲みながら他愛もない話をする時間の方が長い。
「魔族は寿命が長いですから……エリーさんから見れば、私たちなんて赤子同然なのでしょうね」
湯気の立つ紅茶を口に運びながら、少女が穏やかに言う。
聡い彼女は、私が考えていたことをあっさりと言い当てた。
「エリーは子供の頃のことも覚えていらっしゃるのですか?長寿だと忘れてしまいそうですが……」
もう一人の少年が静かに尋ねる。
「魔族は記憶力がいいらしいよ」
「らしい?」
「他の魔族と記憶力を比べたことはないからね」
前世の、現代日本の記憶はもうほとんど思い出せない。
成人女性……だったはずだ。名前も、仕事も、家族のことも思い出せない。
でも、この世界で生きてきた記憶は驚くほど鮮明に残っている。
「たとえば、歩きはじめた頃のこととか……」
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時は流れ、もうすぐ一歳になろうとしている今日この頃。
毎日、メイドさんたちが交代で私の面倒を見てくれている。
哺乳瓶でミルクを飲ませてもらい、おむつを替えてもらい、眠くなれば抱っこして寝かしつけてもらう。
異世界だろうが魔族だろうが、赤ん坊の食事はミルク一択らしい。
前世の記憶があるだけに、「お肉食べたいなぁ」とか「ラーメン食べたいなぁ」なんて思うこともある。
でも、歯も生えていない私に食べられるはずもない。
文句を言っても始まらない。
与えられたミルクをたくさん飲んで、たくさん寝る。
早く大きくなることが、今の私の仕事だ。
そして最近のマイブームは、歩く練習だった。
「姫様、こちらへ。」
今日も歩く練習に付き合ってくれるのはメイドさんだ。
相変わらず、表情はぴくりとも動かない。
まるで精巧に作られたマネキンみたい。
初めて見た時は結構怖かった。
でも今ではもう慣れた。
転びそうになればすぐ支えてくれるし、泣けば優しく抱き上げてくれる。
表情が動かないだけで、みんなとても優しい人たちなのだ。
私はメイドさんの指をぎゅっと握り、小さな足を前へ出した。
一歩。
二歩。
三歩。
「……!」
(よし、このまま……)
ぺたん。
足がもつれ、見事に尻もちをつく。
「ぅー!」
悔しい。
あと少しだったのに。
メイドさんは何事もなかったように私を抱き上げ、無表情のまま服についた埃を払ってくれる。
「焦らずとも、姫様はすぐに歩けるようになります。」
相変わらず表情は変わらない。
でも、その声はどこか優しかった。
そんな歩く練習を毎日続けていると、双子のお兄ちゃんたちも見学に来るようになった。
双子とは言うものの、髪型が違うから見分けるのは簡単だ。
短髪なのが兄のシリウス。
少し長めの髪なのが弟のレグルス。
それに、レグルスの方がほんの少しだけお喋りなので、一緒にいると自然と区別できるようになった。
その日も、歩く練習をしていると、
「陛下がお見えです。」
部屋の扉が開く。
黒髪に赤い瞳。
立派な角を持つ父――オズヴァルトが姿を現した。
「歩く練習をしていると聞いた。」
……また来た。
父は毎日忙しそうにしている。
詳しくは分からないけれど、部屋にはひっきりなしに部下が出入りしているし、机にはいつも書類が積まれている。
魔王って何をする仕事なんだろう。
前世では、勇者に倒されるラスボスくらいの認識しかなかった。
でも、この世界の魔王は国を治める王様だ。
……うん。
大変に決まってる。
そんな忙しいはずのお父さんが、私が歩く練習をしていると聞いただけで様子を見に来てくれる。
なんだか少し照れくさい。
父の後ろから、兄たちも部屋へ入ってきた。
シリウスが静かにしゃがみ込み、両手を広げる。
「エリー。俺のところまで来られるか?」
すると反対側でレグルスもしゃがみ込んだ。
「今日は俺のところまでおいでよ。」
「……いや、俺だ。」
「兄さん、この前もそう言ってたじゃん。」
「今日は今日だ。」
「それじゃ毎回兄さんじゃないか。」
二人とも表情はほとんど変わらない。
でも。
……張り合ってる。
私にもそれくらいは分かるようになってきた。
父は小さく息を吐く。
「エレオノーラが困っている。」
「……。」
「……。」
二人とも黙ってしまった。
少しだけ気まずそうな空気。
私はメイドさんに床へ降ろされる。
右にはシリウス。
左にはレグルス。
二人とも両手を広げて待っている。
(いや、お兄ちゃんたち。
どっちかなんて選べないんだけど。)
私はゆっくり立ち上がった。
一歩。
二歩。
三歩。
よろよろと前へ進む。
あと少し。
「おっ。」
兄たちの声が重なる。
もう一歩。
そう思った瞬間。
ぺたん。
二人のちょうど真ん中で尻もちをついた。
すぐに二人が駆け寄り、同時に私を抱き上げる。
「俺の勝ちだね。」
「いや、俺だった。」
父はそんな二人を見て、小さく頷いた。
「……引き分けだな。」
二人は顔を見合わせる。
納得していないらしい。
(だから勝手に勝負しないでってば。)
思わず心の中でツッコミを入れる。
その日、私は人生で一番長い距離を歩いた。
父も。
兄たちも。
メイドさんたちも。
誰一人笑顔は見せなかったけれど。
きっと、みんな喜んでくれていた。
……たぶん。




