第65話:剣聖の模倣と、闇に堕ちた獣
深夜。
王都の高級宿屋の一室で、賢者セリアは目を丸くしていた。
「ザック……その腕、どうしたの!?」
彼女の部屋を訪ねてきた同じS級クランのアサシン・ザックは、信じられないことに自身の右腕を切り落とされ、しかもそれが『氷漬け』にされた状態で抱えていたのだ。
「……早く、治してくれ」
ザックは青ざめた顔で、ガタガタと震えながら氷漬けの腕を差し出した。
「わ、分かったわ。――【大いなる光よ、欠損を癒す奇跡となれ(ハイ・ヒール)】」
セリアが高度な回復魔法を詠唱すると、光が氷を溶かし、切断面の細胞を急速に繋ぎ合わせていく。S級の賢者である彼女の魔法により、なんとか右腕は元通りに繋がった。
「一体、誰にやられたの? 大会に参加している誰か……?」
セリアが深刻な顔で尋ねるが、ザックは何も答えることができなかった。
(言えるはずがない……。セリアと親しくしているあのテイマーを、暗殺しようとしたなどと)
クランの仲間に軽蔑されるだけでなく、同業の冒険者を殺害しようとする行為は、ギルドの絶対的な掟に反する重罪だ。
それに――思い出すだけで、ザックの全身から冷や汗が噴き出す。
あの絶対的な『死』のプレッシャーを放っていた、美しくも恐ろしい白虎。
そして、あんな規格外の化け物を平然と従え、無防備に眠っていたあのテイマーは、底が知れない。絶対に関わってはいけない危険な存在だと、ザックのアサシンとしての本能が警鐘を鳴らし続けていた。
「……悪いが、俺は明日の試合を棄権する」
「えっ? ベスト16まで残っているのに!?」
「もう……ごめんだ」
うわ言のようにそう呟くと、完全に心を折られたアサシンは、逃げるように部屋を去っていった。
◇ ◇ ◇
大会二日目。
闘技場は昨日以上の熱気に包まれていた。今日を勝ち抜けば、ベスト4が出揃うことになる。
「えっと……ザック選手が棄権したため、俺の不戦勝?」
闘技場の控え室で、俺は運営の騎士から知らされた事実に首を傾げていた。
「はい。理由は不明ですが、今朝ギルドを通じて正式に棄権の申し出がありました。ですので、リオン選手はそのまま『準々決勝』への進出となります」
(なんだかよく分からないけど、ラッキーだな)
「……ふふっ。本当に、運が良い主ですこと」
俺の肩の上で、リコが何かを知っているように小さく笑った。
時間が空いた俺たちは、観客席から別のブロックで行われているジークさんの試合を観戦することにした。
対戦相手は、剣術において【剣聖】の次に位置する高位スキル、【剣王】を持つ凄腕の剣士だった。
「行くぞ剣聖! 【飛燕連刃】!!」
剣王の男が踏み込みと同時に、無数の斬撃を嵐のように放つ。
しかし、ジークさんは涼しい顔で『魔導聖剣エクセリオ』を軽々と振るい、その猛攻をいとも容易く受け流していく。
「いい太刀筋だ。だが、少し直線的すぎるね。――【流剣・水月】」
「なっ……!?」
ジークさんの流れるような剣さばきが、剣王の連撃を完全に無力化する。
「ならば、これでどうだ! 剣王奥義【覇斬・裂空】!!」
「素晴らしい威力だ。それに応えよう。――【絶刀・一閃】」
キィィィンッ!!!
闘技場を揺るがすほどの金属音と、魔力の衝突による爆風が巻き起こる。
次の瞬間、剣王の男は大剣を弾き飛ばされ、場外の壁まで勢いよく吹き飛ばされていた。
『しょ、勝者! 剣聖ジーーーク!!』
大歓声が巻き起こる。
やはり、あの人は別格だ。魔法も使わず、純粋な剣術の技量だけであの強さ。
「リコ、今の動き……」
「ええ。昨日のデータと合わせ、様々な剣術の応酬からジークの【剣聖】スキルの解析とコピー、完全に終了しましたわ」
「よし。……ちょうどいい実験相手がいるしな」
俺は立ち上がり、自分の試合の出番を待つため通路へと向かった。
◇ ◇ ◇
『さぁ、準々決勝の第2試合だぁぁッ! A級冒険者ゴルド vs 謎のテイマー、リオン!!』
実況の声と共に、俺とゴルドが闘技場の中央で対峙する。
「……まさか、テメェがここまで上がってくるとはな」
大剣を肩に担いだゴルドが、憎悪に満ちたドス黒い瞳で俺を睨みつけている。
「あの森での屈辱……ここで、テメェの身体をミンチにして晴らしてやるよォォッ!!」
ゴルドが咆哮を上げ、凄まじい踏み込みで突進してくる。
昨日までの俺なら、この膂力とスピードに少しは警戒したかもしれない。しかし――。
(今の俺には、これがある)
「リンクしてくれ、リコ」
俺は木刀を構え、深く息を吸い込んだ。
「死ねェェェッ!!」
ゴルドが上段から渾身の力で大剣を振り下ろす。
俺は一歩も引かず、木刀を軽く下から跳ね上げた。
――カァァァンッ!!
「なっ……!?」
ゴルドの巨体が、一瞬宙に浮いた。
俺は【剣聖】のスキルがもたらす完璧な身体制御と太刀筋に従い、木刀で大剣の腹を的確に弾き、彼の手首に鋭い痺れを与えたのだ。
「なんだ、今の動きは……ッ! もう一発だァァッ!!」
怒り狂うゴルドが、横薙ぎ、突き、袈裟斬りと怒涛の連撃を繰り出す。
だが、俺はその全てを最小限の動きで躱し、流し、弾き返した。
「……力は強いけど、大振りすぎる。もっと重心を安定させないと」
「テメェ……ッ! 余裕ぶってんじゃねェェッ!!」
ゴルドは気付いていなかった。
観客席でこの試合を見ている者たちは、すでに異変に気付き始めていた。
「おい、あいつの剣の構えと動き……」
「誰かに似てないか? あの流れるような受け流し方……」
「……ジークだ。剣聖ジークの剣技に、そっくりだぞ……!」
俺はゴルドの攻撃を弾いた反動を利用し、木刀の柄で彼のみぞおちをトンッ、と軽く突いた。
それだけで、ゴルドは息を詰まらせて大きく後ずさる。
「ガハッ……! くそっ、なんだ……何なんだお前は……ッ!!」
手も足も出ない。
自慢の剛腕も、鍛え上げた剣技も、目の前のテイマーには一切通用しない。
ゴルドは、まるで自分が『超えられない壁』であるジークを相手にしているかのような、圧倒的な実力差と絶望感に包まれていた。
「俺は、ただのテイマーですよ」
俺が冷たく見下ろすと、ゴルドのプライドは音を立てて粉々に砕け散った。
「ふざけるな……ふざけるなァァッ!! 俺が、こんなクソガキに負けるはずがねェェッ!!」
誰もが、俺の圧倒的な勝利を確信した。
実況も、審判も、俺がトドメを刺すのを待っている状態だった。
だが――その時。
「……殺してやる。殺してやる殺してやる殺してやる……ッ!!」
ゴルドは懐から、禍々しいオーラを放つ『真っ黒な魔石』を取り出した。
「ゴルド選手!? 試合中のアイテム使用は――」
審判が制止しようとするが、遅かった。
ゴルドは狂気に満ちた笑みを浮かべ、その黒い魔石をボリボリと噛み砕き、飲み込んだのだ。
「ゴ、ァァァァァ…………ッ!!」
直後、ゴルドの体が異常に膨張し始めた。
筋肉が服を破り捨てて隆起し、皮膚からは漆黒の硬い体毛がビッシリと生え出す。骨格が歪み、顔は狼のように前へと突き出し、鋭い牙と爪が伸びていく。
「な、なんだあれは……!?」
「ひぃぃっ! ゴルドが……魔獣になったぞ!?」
観客席から悲鳴が上がる。
「グォォォォォォォォォォォォッ!!!」
闘技場の中心に立っていたのは、人間の面影を完全に失った、体長三メートルを超える『漆黒の人狼』だった。
その異形の魔獣が放つ魔力は、Aランクだったゴルドの数倍――S級魔獣にも匹敵する、おぞましいプレッシャーを放っていた。
「……冗談だろ。完全にバケモノじゃないか」
俺は木刀を強く握り直し、紅く目を光らせる漆黒の人狼と対峙した。
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