第52話:小さな勇気と、賢者の救済
王都の宿屋、その裏庭。
そこは今、濃厚な血の匂いと、張り詰めた絶望感に包まれていた。
「ハァッ、ハァッ……お願い、リオン! タンク! 持ち堪えてください……ッ!」
人型へと覚醒したリコが、美しい銀色の髪を振り乱しながら、必死に【広域回復魔法】をかけ続けている。
しかし、相手は世界最強の竜王バハムートだ。その桁外れの破壊力によってつけられた傷は、リコの魔力を以てしても塞がりきらない。
リコの体から発せられていた神々しい光が、次第に弱まっていく。魔力切れが近いのだ。
「……ルー! お願いです、前に会った『星天の導き』の賢者、セリア様を探して連れてきてください!」
結界の隅で震えていたルーが、ビクッと肩を揺らす。
「きゅ、きゅぅ……」
人間は怖い。リオン以外の人間は、ルーの額にある国宝級のルビーを狙って、恐ろしい目をして追いかけてくるからだ。ルーは本能的な恐怖で躊躇った。
「このままでは、リオンもタンクも助かりません! お願い、急いで……ッ!」
リコの悲痛な叫びと、血の海に沈んでピクリとも動かないリオンの姿。
(みんながいなくなるのは、絶対に嫌だ……!)
ルーは恐怖を振り払い、小さな体を弾丸のように弾き飛ばして、宿屋の屋上へと駆け上がった。
屋上の瓦屋根に立ち、夕暮れの王都を見渡す。
目を閉じ、額のルビーを輝かせ、持ち前の【索敵】スキルを王都全体へと広げる。
(だめだ、見つからない……もっと、もっと遠くまで……!)
ルビーが限界まで眩い光を放つ。
微弱な魔力の波長の中から、以前グランツの街で会ったセリアの温かい魔力を、ついに捉えた。
「きゅぴっ!!」
いた! ルーは屋根から屋根へと飛び移り、猛スピードで王都の街中へと飛び出していった。
◇ ◇ ◇
王都の大通りは、夕暮れ時で多くの人でごった返していた。
その中を、額に巨大な宝石を輝かせた見慣れぬ幻獣が駆け抜けていく。当然、周囲の人間がそれに気づかないはずがない。
「おい、なんだ今のは!?」
「額に宝石……嘘だろ、カーバンクルだ!!」
「捕まえろ! 売り飛ばせば一生遊んで暮らせる大金持ちになれるぞ!!」
四方八方から伸びてくる強欲な手。投げつけられる網。
「きゅぅぅっ!」
ルーは悲鳴を上げながらも、持ち前の【神速】の逃げ足で人間たちの間をすり抜け、ひたすらにセリアの魔力元へと走り続けた。
そして、大通りの交差点。
屋台で買い物をしていたローブ姿の女性の背中に、ルーは全力で飛びついた。
「わっ!? ちょっと、何事!?」
振り返ったのは、間違いなく賢者のセリアだった。
「あら? あなたはたしか、リオン君のところの……」
「きゅぴ! きゅきゅっ!!」
ルーは人語を話せないが、必死にリオンたちの方向を指差し、服の裾を引っ張って助けを求めた。
その必死な様子にセリアが事情を察しかけた時、ルーを追いかけてきた柄の悪い男たちが息を切らして到着した。
「ハァ、ハァ……! おい姉ちゃん、その魔獣は俺らの獲物だ。大人しく返してくれ」
「いいからさっさと寄越せ!」
男の一人が強引にルーを掴もうと手を伸ばす。ルーは怯えてセリアの背後に隠れた。
「……この子は、私の知り合いの従魔よ。立ち去りなさい」
セリアが冷ややかな声で警告するが、金に目の眩んだ男たちは引き下がらない。
「うるせぇ! 女はすっこんでろ!」
男が剣の柄に手をかけた、その瞬間。
ガシッ、と。男の腕が、横から伸びてきた力強い手にがっちりと掴まれた。
「そこまでにしておきなよ。うちのセリアが、君たちに何かしたかい?」
爽やかな笑みを浮かべた青年が、静かな、しかし有無を言わさぬ威圧感を放ちながら立っていた。
S級クラン『星天の導き』のリーダー、ジークだ。
「じ、ジークだ! 『星天の導き』のリーダーだぞ……!」
「ひぃっ、す、すみませんでしたぁっ!」
相手が王都でも有名なS級冒険者だと気づいた瞬間、男たちは顔面を蒼白にさせ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
「セリア、その子がこんなに必死なんだ。普通じゃない。ついて行ってあげてくれ」
「ええ、分かってるわ!」
ルーが先導して走り出し、セリアとジークがそれに続く。
◇ ◇ ◇
宿屋の裏庭に飛び込んだセリアとジークは、その凄惨な光景に息を呑んだ。
「リオン君!? それに、この巨大な魔獣たちは……!」
リオンの胸は深く抉られ、巨大な白虎と黒い巨獣も血の海に沈んでいる。
そしてリオンの傍らで、銀髪の女性が光の粒子となって崩れ落ち、元の小さな白ネズミ(リコ)の姿へと戻ってしまった。
『……セリア様……お願い……助けて……』
魔力が完全に尽き、リコが力なく目を閉じる。
「任せて! 【ハイ・ヒール】!!」
セリアは即座に強力な回復魔法を展開した。だが対象が多すぎる。
『……我はいい』
ふらつきながら立ち上がったハクが、静かに言った。
『我の傷は浅い。それよりも、より重傷の主とタンクを優先してくれ』
「え……喋っ、えええ!?」
白虎が流暢な人語を話したことに、セリアは目を丸くして驚愕した。
「セリア! 驚いてる場合じゃない、集中しろ!」
ジークの檄を受け、セリアはハッとしてリオンとタンクの治療に全魔力を注ぎ込んだ。
「はぁぁぁぁっ!!」
賢者の膨大な魔力により、リオンの胸の深い裂傷が徐々に塞がっていく。血の気がなかった顔に微かに赤みが戻り、なんとか一命を取り留めることができた。だが、ダメージが深すぎたのか、意識は戻らない。
「リオン君は峠を越えたわ。次は……」
セリアはタンクの全身の火傷と裂傷に魔法をかける。
しかし、いくら魔力を注いでも、タンクの傷は全く塞がろうとしなかった。
「な、なんで!? 私の魔法が弾かれている……!? 一体どんな攻撃を受けたのよ!」
セリアが焦りの声を上げる。
『……バハムートの咆哮だ』
ハクが忌々しそうに吐き捨てる。
『竜王のブレスには、絶対的な【龍属性】の魔力が込められている。それが呪いのようにタンクの体に纏わりつき、外部からの回復魔法を拒絶しているのだ』
「バハムートですって!? なんでそんな伝説の存在と……いや、今はとにかくこの龍の魔力をどうにかしないと、この子が死んでしまう!」
だが、セリアの浄化魔法でも、竜王の魔力は強すぎて払いきれない。
どうすればいいのか。皆が絶望しかけた時。
「きゅぴっ!!」
ルーがタンクの巨大な顔の前に飛び乗った。
ルーは、自分にできる唯一のサポート魔法を思い出したのだ。
「きゅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
ルーの額のルビーが、かつてないほど強烈に発光する。
放たれたのは、状態異常や厄介な魔力を洗い流す浄化スキル――【クリーン】だ。
ルーが出せる全ての魔力を振り絞った光がタンクを包み込むと、タンクの傷口に纏わりついていた黒い龍属性の魔力が、シュゥゥゥと音を立てて霧散していった。
「嘘……竜王の魔力を払った!? 今ならいける! 【リザレクション】!!」
セリアがすかさず、賢者の最高位回復魔法を放つ。
タンクの全身を神聖な光が包み込み、致命傷だった傷が見る見るうちに塞がっていった。
「…………ん、がぁっ……」
やがて、タンクが大きく息を吸い込み、ゆっくりと目を開けた。
『……姉ちゃん、ありがとうな。おかげで助かったぜ』
「こ、こっちの巨獣も喋ったぁぁぁっ!?」
タンクの渋い声に、セリアはついに限界を迎えて頭を抱えた。
『主の代わりに、礼を言う。恩に着るぞ、人間』
ハクも頭を下げる。
「まったく、とんでもない連中だぜ。……おいリオン、こんな冷たい地面で寝てたら風邪引くぞ」
ジークが呆れながらも優しい手つきでリオンを抱え上げ、宿屋のベッドへと運んでくれた。
◇ ◇ ◇
長い、長い夜だった。
ハクはリオンの影の中に身を潜め、魔力切れのリコと疲労困憊のルーは、リオンの枕元で丸くなって眠りについた。
一命を取り留めたタンクは、裏庭で静かに星空を見上げていた。
絶対的な強者との遭遇。
そして、異世界に来て初めて味わった、手も足も出ない『敗北』の夜は、静かに、重く更けていくのだった。
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