第31話:森の異変と、みんなのための冷蔵倉庫
交易都市グランツへと戻る道中、俺たちは少しばかり奇妙な事態に遭遇していた。
「グルォォォォォォッ!!」
木々をなぎ倒しながら、俺たちの前に突然、見上げるほど巨大な熊の魔物が飛び出してきたのだ。全身に古傷があり、目は血走っている。
『Bランク魔物、【ディープ・フォレストベア】ですわ!』
リコが即座に鑑定結果を告げるが、その声には少しだけ戸惑いが混じっていた。
『でも、おかしいですわね……。あのような森の最奥に生息する主クラスの魔物が、なぜこんな街道近くの浅い森に?』
「確かに。なんか、怒ってるっていうより……何かに怯えて逃げてきたみたいにも見えるな」
俺が観察している間にも、パニック状態の巨熊は大きな爪を振り上げてこちらへ突進してきた。
「まあいい、街に行かせるわけにはいかないしな。――ハク、少しサポート頼む!」
「承知した」
俺が足に力を込めた瞬間、ハクが静かに目を細め、【氷魔法】を発動させた。
ピキキィッ! と乾いた音が鳴り、巨熊の足元が瞬く間に分厚い氷で覆われ、その巨大な体が地面に縫い留められる。
「グォッ!?」
「よし! 今度は失敗しないぞ……【神速】!!」
リコの【森羅の叡智】による視覚サポートを受けながら、俺は神速のステップを踏み込んだ。
今度は木に激突することはない。流れるような超高速の動きで巨熊の死角に回り込み、攻撃力1200まで跳ね上がった力で、急所に的確な一撃を叩き込む。
「ガァッ……」
巨熊は抵抗する間もなく、ズスッとその場に崩れ落ちて光の粒子となり、後には立派な毛皮と魔石だけが残された。
『がははっ! 兄ちゃん、すげぇ動きだったな!』
「ははっ、リコとハクのおかげだよ。でも……」
俺は巨熊が現れた森の奥深くを、ジッと見つめた。
「こんな大物を怯えさせるなんて、森の奥でいったい何が起きてるんだ……?」
「……ただならぬ強者の気配を感じて、住処を追われたのだろうな。嫌な予感がする」
ハクの静かな呟きに、俺たちは顔を見合わせた。
少し胸のざわつきを覚えつつも、素材をマジックバッグに回収した俺たちは、再びグランツへの帰路を急いだ。
◇ ◇ ◇
街に到着した俺たちは、そのまま真っ直ぐに『ロレンス商会』の本部へと向かった。
ハクの姿を街中で晒せば大パニックになるのは目に見えていたため、ハクには【神隠し】のスキルを使って俺の影の中に潜んでもらっている。
商会のVIP専用応接室に通されて一息ついていると、知らせを聞いたロレンスさんが小走りで部屋に飛び込んできた。
「おお、リオン様! お帰りなさいませ! まさか、たった一日で戻ってこられるとは」
「ええ、無事に目当てのものは見つかりましたよ。とりあえず、一部だけ出しますね」
俺がマジックバッグを傾けると、ゴロン、ゴロンとテーブルの上に巨大な氷の塊が転がり出た。周囲の空気が一気にひんやりと冷たくなる。
「おおおっ……!! こ、これは……!」
ロレンスさんは目を丸くして、その氷結晶の表面を震える手で撫でた。
「なんという純度! しかも冷気が全く衰えていない……! これほどの品質の氷結晶は、王都でも滅多にお目にかかれませんぞ! さすがはリオン様だ! これを貴族たちに独占販売すれば、とんでもない利益を生み出しますぞ……!」
興奮のあまり、頭の中でそろばんを弾き始めたロレンスさんに、俺は少しだけ待ったをかけた。
「あ、ロレンスさん。実はお願いがあるんです。この氷結晶、特定の貴族に独占して高く売るようなことはしないでほしいんです」
「……えっ? 高く売らない? では、どうするおつもりで?」
「街の市場で働く人たちが助かるように使いたいんです。この商会の敷地内に、巨大な『冷蔵倉庫』と『冷凍倉庫』を作れませんか?」
「れいぞうそうこ……? れいとう……?」
聞き慣れない単語に、ロレンスさんが首を傾げる。
俺は前世の知識を思い出しながら、その仕組みを説明した。
「この氷結晶と、冷気を閉じ込めるような魔道具を組み合わせて、常に冷たい空間を維持した大きな倉庫を作るんです。そこに街中から届く肉や野菜、魚を保管できるようにすれば、市場の食材が腐らずに済みますよね」
「なるほど……!」
「遠方から運ばれてきた食材も長持ちするし、市場の人たちも廃棄が減って助かるはずです。利用料を安く設定して、みんなが気軽に使えるようにしてほしいんです」
俺の提案を聞き終わると、ロレンスさんはハッとしたように息を呑み、そして深く、深く頭を下げた。
「……目先の利益に飛びつかず、街全体の食糧事情と流通を根本から救う仕組みを作ろうというのですね。利用料が安くとも、街中の商品がここに集まれば、我が商会の信頼と利益は揺るぎないものになります。リオン様、あなたは……本当に恐ろしいお方だ」
「えっ、そ、そうですか?」
「ええ。料理人としての腕、テイマーとしての底知れぬ力、そして商人顔負けの先見の明と慈悲の心……。このロレンス、心の底から感服いたしました! その倉庫、必ずや最優先で建設してみせましょう!」
ロレンスさんが熱い決意を込めて宣言してくれた。
これで、グランツの食事情は劇的に良くなるはずだ。鮮度の高い魚や肉がいつでも手に入るようになれば、俺の料理の幅もさらに広がる。
「ありがとうございます、ロレンスさん。さて、ビジネスの話が終わったところで……もう一つ、報告があるんです」
「報告、ですか?」
「ええ。実は今回の探索で、新しい仲間が増えまして」
俺がそう言って足元に視線を落とすと、俺の影がヌルリと歪み、そこから気高く美しい白き神獣が音もなく姿を現した。
「私を呼んだか、主よ」
「ええっ……?」
突然現れた巨体に、ロレンスさんの顔面からスゥッと血の気が引いていく。
青白い瞳、絶対的な強者の威圧感、そして周囲の空気を凍てつかせるような神聖な魔力。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!? で、ででで、伝説の、白虎ぉぉぉぉぉぉっ!?」
『がははっ! おっさん、腰抜かしてやんの!』
『まったく、ロレンスさんはいつもリアクションが素晴らしいですわね』
大爆笑するタンクと、呆れ顔でヒゲを揺らすリコ。
ハクはそんなロレンスさんを冷ややかな目で見下ろしながら、フッと鼻で笑った。
「驚くのも無理はない。だが安心しろ、私は主の客人を取って食うほど野蛮ではない」
「しゃ、喋っ……!! 神獣様が、喋ったぁぁぁっ!?」
その日、ロレンス商会のVIPルームからは、大商会のトップらしからぬ悲鳴が何度も響き渡ることになった。
なんとかロレンスさんを落ち着かせた後、俺はハクの歓迎会も兼ねて、新しく手に入れたこの『氷結晶』を使った、極上の冷たいスイーツを作ることを約束したのだった。
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