第12話:幻影の壁と、不器用な相棒
実技試験の舞台となる岩山には、無数の洞窟の入り口が口を開けていた。
今回の試験の合格条件は、洞窟内に生息する指定の魔物『ロックリザード』を討伐し、その証となる部位を持ち帰ること。
周囲を見渡すと、他の受験者たちは手近な洞窟や、一番大きな入り口へと次々に吸い込まれていく。
「あーあ、あっちの洞窟に入っちゃったよ。あの湿った空気じゃ、ロックリザードは絶対にいないのにな」
『ええ。ロックリザードは乾燥した岩肌を好む魔物。水気の多い洞窟に入っても、徒労に終わるだけです』
俺の肩に乗ったリコが、呆れたようにヒゲを揺らす。
ロックリザードの特徴と生態。リコの【森羅の叡智】による知識の共有があったからこそ、俺は迷うことなく、一見目立たない乾燥した洞窟の入り口を選ぶことができた。知識がない受験者は、こうして最初のルート選びの時点で脱落していく仕組みなのだろう。
だが、洞窟に足を踏み入れた途端、リコが真剣な声を出した。
『リオン。厳しいことを言いますが、今のあなたのステータスと装備では、まともに戦ってロックリザードに勝つことは不可能です』
「……だよな。テイマー本体が貧弱すぎるし」
『ですが、この洞窟にはあなたの勝率を飛躍的に上げる方法があります。私についてきなさい』
リコの先導に従って暗い洞窟を進むと、やがて行き止まりの岩壁にぶつかった。
「行き止まりだけど……」
『そのまま、壁に向かって歩いてみてください』
言われるがままに岩壁に手をつくと、なんと手のひらが波紋のように壁をすり抜けた。
ホログラムのような幻影の壁。その奥には、隠し通路が続いている。
「すごいな、こんな仕掛けが……」
通路を抜けた先には、広大なドーム状の空間が広がっていた。
そしてその中央に、圧倒的な存在感を放つ巨大な獣がいた。
ダンプカーほどもある巨体に、岩のように隆起した筋肉。大木のような二本の角を持つ『牛』の魔獣が、手足と口を『光の紐』で厳重に縛り上げられ、地面に縫い付けられていたのだ。
『リオン! 見てください、あの強力な魔獣を!』
リコが肩の上でピョンと跳ね、興奮したように叫ぶ。
『誰が封印したのかは知りませんが、身動きが取れない今なら、力の差があるあなたでも安全にテイムできます! さあ、早く主従の契約を!』
しかし、俺はリコの言葉に頷かなかった。
テイム用の魔力を練ることもなく、ゆっくりと巨大な獣に歩み寄る。
「リオン? 何をしているんですか。早く契約を……」
「まずは、助けるのが先だろ」
俺は獣を縛り付けている光の紐に手をかけ、一つずつ慎重に解き始めた。
戸惑うリコ。そして、目の前で縛られている巨大な魔獣。
光の紐を解きながら、俺の中にあった小さな違和感が、確信へと変わっていく。
(……おかしい。普通、動けない状態で人間に近づかれたら、殺されると思って暴れたり、威嚇したりするはずだ)
だが、この魔獣からは『警戒心』が一つも感じられない。
むしろ、凪いだ瞳で、俺という人間を静かに観察しているような感覚すらあった。
口元の最後の紐を解き終わったとき。
俺は振り返り、真っ直ぐにリコの赤い瞳を見つめた。
「なぁ、リコ。……これ、お前がやったのか?」
『――――っ!?』
リコはビクッと肩を震わせ、分かりやすく動揺した。
「この幻影の壁も、光の紐も、光属性のお前なら作れる。それに、この魔獣は本当に苦しんでいるわけじゃなかった。俺を待っていたみたいに大人しかったからな」
『……っ、そうですわよ!』
観念したように、リコが叫んだ。
『あなたが街で寝ている間に、私が呼び出したんです! これくらい強固な盾役がいなければ、最弱のあなたがこの先、無傷で生きていける保証なんてないんですから!』
リコの小さな体が、プルプルと震えている。
俺に怒られると思ったのだろう。耳をペタンと寝かせて、落ち込んだように視線をそらした。
そんな俺たちのやり取りを見て。
『ふはははっ! 今回の主人は中々鋭いやつだな!』
突然、目の前の巨大な牛の魔獣が、野太くも優しい声で笑い出した。
『驚かせてすまなかったな、兄ちゃん。俺ぁ大地の獣、ベヒーモスだ。そこの霊鼠とは昔からの仲でな。今回、お主に協力するよう頼まれたんじゃ』
やっぱりそうか。
俺はため息をつき、リコの小さな体を両手でそっと包み込んだ。
「……リコ。俺の安全のために、色々と裏で動いてくれてありがとう」
『リ、リオン……?』
「でも、俺は誰かに辛い思いをさせたり、お前が無理をして悪役になるようなことはしてほしくないんだ。だから、二度とこんな無茶な真似はしないでくれ。約束だぞ」
俺が優しく言い聞かせると、リコはポカンとした後、目を潤ませて『……はい』と小さく頷いた。
洞窟を包んでいた重い空気が、ふっと溶けていく。
ゴルルルルルォォォ……ォォン……。
その時。
洞窟全体を揺らすような、低い地鳴りのような腹の虫の音が響き渡った。
音の主は、目の前にいる巨大なベヒーモスだ。
ベヒーモスは気まずそうに視線を泳がせている。
張り詰めていた空気が完全に弾け飛び、俺もリコも、思わずクスクスと笑い出してしまった。
「ははっ、んじゃ、とりあえず飯にするか!」
俺がそう言って、持参した魔導コンロと昨日市場で買った食材を取り出すと、リコの顔にもいつもの食いしん坊な笑顔が戻った。
厚切りにしたレッドホーンブルの肉を、火竜の岩塩と特製のスパイスで豪快に焼き上げる。ジュワァァァッと暴力的な音と匂いが広がり、完成した熱々の肉をベヒーモスの前に運んだ。
『……うめぇ。なんだこりゃあ。こんなに温かくて美味ぇメシ、俺ぁ生まれて初めて食ったぞ……っ!』
あっという間に肉を平らげたベヒーモスは、大粒の涙を流して感動していた。
食事が落ち着いた後、ベヒーモスがふと真面目な顔をして口を開いた。
『……なぁ、兄ちゃん。一つ聞かせてくれ』
『俺のこんなデカくて厳つい姿を見て、怖くなかったのか? 普通の人間なら、腰を抜かして逃げていくぜ』
「ん? そうだな……」
俺はベヒーモスの岩のようにゴツゴツした顔を見上げて、素直な感想を口にした。
「デカくてカッコいいとは思ったけど、不思議と怖いとは思わなかったよ」
『! ……ふ、ふはははっ! デカくてカッコいい、か! こいつは傑作だ!』
ずっと俺の行動を観察していたベヒーモス。
規格外の魔獣である自分を前にしても恐れず、真っ先に助けようと近づいてきて、あまつさえ「カッコいい」と笑った俺の人柄に、完全に心を許してくれたようだ。
『兄ちゃん。お前の近くは、なんとも居心地がいい。……少しなら、俺の力を貸してやってもいいぞ』
「本当か? ありがとう、ベヒーモス。これからよろしくな」
俺が巨大な鼻先を撫でると、ベヒーモスは気持ちよさそうに目を細めた。
『へへっ。最後にこの美味ぇ飯も、毎日食えるしな!』
ピコンッ!
【特定条件:『食の共有』および『大地の獣との相互理解』をクリアしました】
【クラス『魔を知る者』の進行度が 17% に上昇しました】
【対象:丑(土属性・ベヒーモス)のステータスを最適化し、還元します】
俺の全身に、鋼鉄のような分厚い力が満ちていくのを感じる。
不器用な相棒の優しさと、頼れる大地の重戦車。
これなら、洞窟の奥にいるロックリザードなんて目じゃない。俺たちは新たな絆と共に、試験のターゲットが待つ洞窟の奥へと歩き出した。
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