ネイガーの過去
西の里の老婆が旅立ってすぐ、酒屋で会合が開かれた。情報交換だ。
お互いの持つ情報を一つ一つ提示していく。バックルも同席を許され、卓の周りには男たちもいた。そしてブローナも今回は後ろで控えていた。
バックルは体中がひしひしと痛むのをこらえ席に着いた。わずか二日の間だったが、ネイガーにしごかれた証だ。魔石を取り戻すためにも頑張らなければならないと落ち込む心を励まし、鍛錬している。
「ふむ。これで出揃ったか」
卓の上に置かれた紙には総合した情報が記されている。里長は感嘆したようにネイガーを見た。
「流石。これでまだまだ若いというのだから……将来が末恐ろしい」
ネイガーの持つ情報の方が圧倒的に多く、的確だ。西の里は実地経験のない若者ばかりなためか、情報量は少なく、あいまいなものも多い。結局、ネイガーの言っていた通りになった。
「では、これで帰らせてもらう」
ネイガーはさっと席を立ち、扉へ向かうので、バックルも慌てて立ち上がる。老人に頭を下げると、扉の方へと向かおうとし、足を止めた。
「一つ、聞きたいことがあるんだ」
老人に再び向き合う。
「会合の時、入り口で、どうしてあいつが本当にネイガーだと思ったんだ? 俺の連れてきた偽物かもしれないだろう?」
初めに抱いた疑問をここで口に出してみる。すると老人はああ、とバックルから視線をそらした。
「……目を見ればすぐ分かったんだ。静かな暗い瞳だった。すぐ、納得してしまった。……ああ、こいつが里の者を殺したんだと」
バックルはあまり驚かなかった。代わりに頭を下げる。
「そうか。つらいことを聞いてすまなかった」
老人がそっと頷いたのを見て、今度こそ、バックルは出ていった。
***
「ネイガー、つまらなかったのは分かるが、そう急ぐ必要はないだろう」
酒屋から離れたところで、一応窘めようと試みる。しかしネイガーは思った通り鼻を鳴らす。
「いつカエル野郎の屋敷に潜入するか、お前も今日はっきりしただろう。急ぐ必要があるに決まっている。お前を鍛えなければならないからな」
バックルは言葉に詰まる。そう、潜入するならば、狙うはあの日しかなかった。二週間後、カエルの屋敷では宴会が開かれるそうだ。西の里となんら打ち合わせはしていないが、あちらも分かっているだろう。
「それに、情報がしくまれている気がする。誰かに踊らされている気がして胸糞悪い」
バックルは首を傾げた。
「西の里がいまさら何か仕込むことはないと思うぞ」
「違う。あいつらじゃない。情報源の話だ」
そこでネイガーは話を打ち切った。結局、バックルには何の話か分からない。
「まあ、いい。おい、いつもの場所だ。行くぞ」
どうやら、早速稽古をつけてくれるらしい。バックルは隣にいたブローナを見る。
「ブローナは今からどうするんだ?」
「カエル野郎について少し探ってくるわ。私も引っかかるところがあるから」
じゃあ、と方向を別にする。怪我が気になるが、引き留めても無駄だというのはここ数日でよく分かっている。それに、治ってきたみたいなので、あまり心配もいらないだろう。
やっぱり兄妹なのだと、バックルは呆れてしまった。
***
数日経った今でも、日々稽古をつけてもらっている。ネイガーの動きは無駄がなく、洗練されていて、初めは天と地との差だった。今は少し上達したと信じたい。
回された足を避け、懐へ入り込み、一気に拳で突いたつもりだったが、いつの間にか背後に回ったネイガーの足が頭上から降ってきた。避けるのではなく、逆にネイガーの足を間一髪で捕まえる。勝ったと思えば、素早く体を科のけぞらせたネイガーに背中から思いっきり殴られた。あえなく顔から床へと突っ込む。
「いててて。あ~、決まったと思ったんだけどなぁ」
体を起こし、肩を落とすバックルにネイガーは内心驚く。
(この数日でここまで強くなるなんて思わなかった。里に閉じこもっていたなんて、惜しい人材だな)
ネイガーにはまだまだ敵わないが、ブローナには追いついてきたかもしれない。
「お前、里では何をやっていた?」
「ただ吞気に暮らしていただけだ。山の中だったから、獣がたくさんいて、そいつらを食って暮らしていたんだ。ここでは全て買って食べるから驚くよ」
なんとなくバックルの体力と俊敏さ、判断力の理由が分かった気がした。
「ネイガーは? 何していたんだ? っと、悪い余計なことを聞いたな」
バックルは慌ててネイガーから目を反らす。バックルがこれまでこの話題について無理に聞いてこなかったのは分かっていた。なぜか遠慮しているらしい。そこでネイガーは、焦るバックルの前に腰を下ろした。
「別に教えてやる」
えっ! とひどく驚いた様子で凝視してくる。
「いいのか。聞いても」
「なぜそう思う」
ネイガーは逆に聞き返す。するとバックルはどこか気まずそうに地面を見た。
「話したくないんじゃないのか。家族のこととか。俺は愛されて育ったから、なんだか聞きにくいんだよ」
ネイガーはため息をついた。まったく。勘の鋭い奴だ。ネイガーはバックルに話すのをためらっていたのは事実だ。バックルには、余計なことも言ってしまう気がするからだ。だが、バックルならいいかとも思う。そう思うのは、里の奴じゃないからだと、どこか自分を納得させた。
「俺は特に気にしていない。つまらない話だぞ」
少し目を輝かせたバックルを前に、故郷を思い浮かべる。ネイガーにとってあそこは監獄だ。猛獣を捕らえ、いいように利用するための。いい思い出は皆無と言っていいだろう。
「俺は生まれてすぐ、里長であるバアサンの元に引き取られた。強大な力を持つ証が出ていたらしい。バアサンは次世代の守り手として、自分の元で鍛えたかったんだろう。バアサンももう歳だったからな。あれでも前よりは衰えたと言っていた。俺は物心つく時には既に、十歳上の奴らと同じような修行を与えられた。早く次世代の里長を育てるためだ」
修行をこなすうち、いつの間にか天才だともてはやされ始めた。まだ十にもならないうちに、大人と張り合えるほど強くなり、そこから、成長速度が加速していった。
その頃から裏の仕事が始まる。
「他の里への潜入、情報集め。里の侵入者から里を守ること。これが主な任務だ。お前の想像できないような汚いことも数多くやってきた」
その頃からバアサンに負けたくなくて必死に任務をこなした。見返して、いつか自分の手で殺してやると決めていた。
だが、そのうちどこか疲れてしまった。もう取り返しのつかないほど手を汚したときから、生きるのも面倒になっていた。
しかし、そんな時バアサンがふとこぼした言葉で目が覚めた。
『ブローナか。いいかもしれんな』
「あいつがその頃急成長していたらしい。バアサンが裏の仕事をさせようとそれに目をつけた。……なぜか気づいたらバアサンを止めていた」
『俺があいつの分も働いてやる』
バアサンにすぐさまつかみかかっていた。頭の中で思い浮かべていたのは、いつの日かこっそり見た、楽しそうに笑う、血は繋がった家族の姿だった。
『ほう。お前にもそんな感情があったとはな。まあいい。お前がそういうならしばらく様子を見てやろう』
面白そうに、皺だらけの顔を歪めて笑った。
「任務を増やされ、魔石の使い手として、医術に関しても同時に鍛えられた。あのくそババアは俺がどこまでやれるのか試したかったらしい。片方では人を殺し、片方では傷を負った者を治した」
そこでネイガーはふっと笑った。いつもとは違い、苦笑に似た、疲れたような笑いだった。
「喋りすぎたな。……今日の稽古は終いだ。ゆっくり休んどけ」
立ち上がったネイガーを見て、バックルはどうしても言いたくなってしまった。今しか届かない気がする。
「もっと素直になればいいと思うけど」
ネイガーは何も言わず、顔を背け、どこかへと消えていった。
その後ろ姿を、バックルは寂しそうに見つめた。




