3 暗い地下室
鼻の痛みにイライラしながら、放課後の屋上で数学Ⅰを開いていた。そして教科書に聞いてみた。
「なんでこの学園の奴らは、数式のように根拠に基づいた理論で話ができないんだろうな。空想ばかり追いかけやがって。もし、本当にお化けがいるなら家庭科や体育なんかより、祈祷術や除霊が必修科目だろ?」
俺は屋上にたたずむ、規律と勤勉の象徴であるモニュメント像を見上げる。
奇怪な生物を模したような、いかにも奇をてらったデザイナーが造形したと思われる、人の背丈の3倍ほどの大きさの像だ。
そのモニュメント像は、いつも真面目くさったように口をへの字にして険しく難しい顔で学園の生徒たちを見下ろしている。
遠くからうれしそうな子供の声が聞こえた。
学園の校門前では、両親の両手でブランコをしながら歩くランドセルの小学生の姿が見えた。
幸せそうな家族だ。
●
俺の家族といえば、さんざんな思い出しかない。
それは笑顔の消えた家庭が日常となった頃だ。小学校の頃、父が脱サラして始めたベンチャー企業が倒産した。
『夢ばかり追いかけてひとり先走って! この子もいるのにどう責任とってくれるの!』
『お前だって夢が叶う夢見が丘だから大丈夫って背中を押しただろ! 失敗してから文句を言うな!』
ある日、ランドセルを背負って帰宅すると、夕飯前の恒例のケンカが始まっていて、止めに入った小さい俺は突き飛ばされ、割れたガラスのコップの破片で頭を切り、血が噴出した。
『……ぅ……ぅぐ……ッ』
血にまみれた手を眺めている俺にかまうことなく、両親の口論は続いた。頭が真っ白のまま家から出て、目に入る血をこすりながら、ひとり雨の夢見が丘の夜道をさまよった。
誰もが言うように、夢見が丘はどんな願いでも叶う、必ず幸せが訪れると子供心に信じていた。
こんな不幸な自分を女神さまはほうっておくはずない。
こんな不幸な自分を見過ごせず、女神さまが目の前に現れて必ず助けてくれる。
それから毎日学校から帰ると、夢見が丘の伝説の丘で父親と母親との幸せな家庭を願った。ひたすら想像した。
しかし、母親は知らない苗字を名乗り、父親は俺に姿を見せなくなった。
俺は知らない顔の親戚の家に預けられ、知らない小学校に転校させられた。
中学を卒業した俺はその親戚を離れて、夢見ヶ丘高校の男子寮で一人暮らしを手に入れた。
俺は、このふざけた伝説をうたっている夢見が丘に復讐したい。夢が叶うという伝説など、一切存在しないと証明するために。俺みたいにバカを見る人間がいなくなるために。
誰かに頼ったり、人生をゆだねたりすることが、女神にすがることがいかに無意味だということを。
下の校舎から「占い」だの「運勢」だの、にぎやかな声が聞え、屋上にいる我に戻る。
俺は数学の教科書を強く握りしめていた。
「何が呪いだ、魔法だ……! この憎たらしい七不思議に歓喜してるアホめ……! ここは現実だ! 夢が叶う街? どいつもこいつも……ッ! ……ッソ! ……クソったれ! ……ぅッ」
「せ、先生!!?」
振り向くと、ジャンケンに負けた今日の買出し役が購買から戻っていた。俺は涙をぬぐう。
「せ、先生……? ど、どしたさ、誰かにやられたさ!?」
「べ、別に何でもない! 円周率の神秘さに感動して潤んだけだ……!」
「先生、それが本当なら、かなりやばい奴っすよ……」
「で、なんだ手ぶらか? 俺のいちごミルクは品切れだっていうのか?」
「そ、そうさ! 事件があったんさ! 購買のメシが全部万引かれて食うもの何もなしだって!」
「ん!? また全部盗まれたのか!?」
「あんなの絶対、人間じゃ無理さ、やっぱりお化けがかっぱらってんさ!」
「……そんなのあるわけない! お化けなんて絶対に!」
「だけどさ、先生お気に入りの激辛トウガラシパンだけ生き残ってたさ」
雄太は汚物を渡すように、激辛パンを俺に差し出す。
「お化けはグルメみたいさね」
俺はトウガラシパンを弾き、地面に落ちたそれを蹴り飛ばす。
「ちッ! 何がお化けだ! 呪いだッ!」
屋上のフェンスに『スカートめくりお化けに注意!』との落書きが目につき、それも殴りつけた。それを引き剥がし、屋上から投げ捨てる。
「……どいつもこいつも――!」
「……せ、先生ッ? 落ち着いて!」
「お化けなんてな、世界をひっくり返しても、宇宙の果てまで探しても、存在しないんだよッ! 夢見が丘の呪いも! 七不思議も! ……呪われた生徒会長もッ!」
振り向けば、ひきつった顔の雄太が必死に御守りの札を握り締めていた。
「――ッ!? お前もそれ、やめろって言ったろ!」
俺は雄太から御守りの札を取り上げ、同じくフェンスの外へ投げ捨てる。
「――お、おいらの魔よけの御守りッ! 先生なんてことを!」
「そんなの迷信だ! どうやってそんなちっぽけな紙切れが守ってくれるんだ!? ええ!?」
「先生こそ、なんでそんなにお化けや魔法を毛嫌いするんさ!?」
「んな根拠のない非科学的なものはないんだよッ! そんなものにすがってると不幸を見るんだ!」
「それなら絶対に七不思議がないって証明できるさ!?お化けも! ――金城コミンの呪いも存在しないって!」
「……証明だって!? そんなの簡単だ!」
俺は間抜けた表情を作った雄太の腕を引っ張る。
「ちょ、先生! どこに連れて行くさ!?」
「購買の盗みは生徒の仕業だ! 何らかの証拠や痕跡が残っている!」
●
お化けが万引きしたという購買部を見に行く。
生徒の姿はなく、売り子のおばちゃんも引き上げてしまったようだ。
俺は、冷蔵ケースのぶどうジュース80円という値札の棚から青黒い液体がこぼれていることに気が付く。
その液体のシミは壁をつたい、天井の通気口に続いている。その通気口は柵でふさがれており、人間の手すら入る余地はない。
時折その通気口からひらひたと青黒い液体が垂れてくる。
「マジかよ……あんな高い場所、人間の仕業じゃない! お化けが盗んでるんさ! きっと、通気口を通って学園内をうろうろしてるんさ!」
「――そんなわけないッ!」
「日が暮れてお化けが出る前に帰るさッ!」
外へ逃げ出そうとする雄太の襟をつかむ。
「待て、おちつけ! 考えてみろ、ネズミかネコかもしれないだろ!」
「いいや、聞いたことがあるさ! お化けは悪い儀式をするとき、ろうそくとパンとワインを捧げるって! パンとぶどうジュースで黒魔術をする気さ! ……に、逃げるさ!」
「黙れっ!」
俺は雄太の腕をしっかり捕まえて歩き出す。
その通気口は外の通気口へ続いていて、さらにぶどうジュースのような液体が地面に跡を残しながら、校舎裏へ俺たちを導いた。
お化けが最も出ると噂の、旧校舎の地下倉庫への扉の前で、ぶどうジュースのシミが終わっていた。
俺が扉に手を触れると背後から悲鳴が聞こえる。
「いやいやいやいやツ! 旧校舎の地下はシャレにならないって! 先生、気は確かさ!?」
「だからちょうどいい! お前の友達を探しにいくんだからな!」
「そ、……そんな!」
地下につながる、立てつけが悪くなった鉄の扉には『この先、勇者の剣、魔法の盾、必須』とへたくそな化け物の落書きが書かれている。
俺は倉庫の外壁に立てかけてあったクワを手に取る。
「……そんな武器持って、やっぱり先生もビビってるじゃないさ! お化けにビビってるさ!」
「獣を捕まえるためだ! 犯人の獣をな!」
すると雄太はまた御守りを取り出して握りしめている。
俺は扉を蹴り飛ばし、ぐずる雄太をぐいぐいと引っ張りながら地下に降りる。




