23 愛する人は人妻という呪い
すると長津田さんは、目に涙をため始める。
「……見てないけど、きっといたずらっ子なお化けちゃんたちが、こんなふうに悪ふざけで、い、いたずらを……しているだけなんですぅ!」
長津田さんはチラシの手描きイラストを指さして熱心に説明してきた。
「あの長津田さん、……こうやって見回りしている長津田さんがいれば、……奴らも絶対悪さしなくなりますって!」
「ほ、ほんとぉ……?」
潤んだ瞳の魔力というものの存在を思い知らされ、目だけが狂ったように泳いだ。
俺はチラシのイラストを指差し、励まそうとした。
「長津田さん、中学校から絵が美味くて、美術のコンクールに何度も入賞してましたよね。俺には棒人間がやっとです」
「あ、あー、そ、そうだよね! 中学校が一緒だったのに、あなたもすっかりお兄さんになって、き、気が付かなかったのよ! 中学校は何組だったの?」
「ずっと同じクラスですよ」
「あ、あー! 中学校でも同じクラスだったのに、初めてこんなにお話しましたね、嬉しいです!」
「いえ、幼稚園からずっと一緒のクラスで、小学生のときは一緒に下校したんですが――」
それを聞いて慌てふためく長津田さんは俺の膝に手を添える。そして必死に何とか別の話題を切り出そうとしているようだ。
「……あ、あの! 長津田涼子です! みんな涼子ちんって言うの! また1年間よろしくお願いしまーす!今は風紀委員会のお仕事中だから、委員長って呼んでもいいですよ」
「長津田さんもすっかりお姉さんになっていて、その――とてもきれいに……」
俺は、しゃがんでチラシを拾い集める長津田さんの胸元や太ももに視線を向けないようにした。
メガネは変わらずだが、少し大人になった長津田さんが遠い存在のようになってさみしく、昔みたいに気さくに話しかけられず、入学後から俺はずっと躊躇していた。
「そ、そんなことないよ! あなたこそ、よく覚えてないけど、まじめでおとなしいって印象があります!」
「……ま、まぁ」
「あ、違うの! 気を悪くしないで! 別に影が薄かったとか、暗い子だったとかじゃなくて……じゃなくて、えっと……」
苦笑する長津田さんは俺の腕に手を置き賛同を求めるような、曖昧な謝罪のようなしぐさをみせる。
「俺は覚えてますよ! 幼稚園で4回、小学校で3回、中学校で2回、長津田さんと話した!」
「……そ、そうだよね!」
「中学の体育祭のリレーでがんばってって応援をもらったし――、文化祭の打ち上げのファミレスで会計とみんなのお金が合わなくて泣いてたとき一緒に計算したし――、音楽祭の練習の放課後に音楽室のカギをなくして一緒に探したし――、俺が友達とげんかしたときにイジメちゃダメと3時間も叱られたし――、幼稚園の親子リレーでひとりスタートラインでいじけていた俺に一緒に一番取ろうって俺の手を取って走ってくれたし――、……あ! 家庭科でホットケーキを焦がしたときのエプロン姿と泣き顔が目に焼きつ――……」
「へー、へー」
長津田さんは俺の話の後半から耳に入っていないようだ。なぜなら廊下の金魚を眺めながら、俺が話を終えているのに相槌している。
俺も無心で彼女を眺めていた。変わらない横顔と昔の思い出をたどっていた。俺はだんだん恥ずかしくなってきた。
長津田さんは金魚から俺に視線を戻し、また相槌した。
「あ! ああ! すごーい、やっぱり記憶力いいんですね! 私はそんなに昔のこと覚えてませんよ! さすが学年2位!」
長津田さんは無邪気に微笑んだ。俺のことは覚えていないらしい。
「そういえば、どこかの委員会に入ってます?」
「い、いえ――」
「うれしい! よかったぁ! ありがとう! この防犯役員が集まらなくて困っていたの!」
長津田さんは俺にチラシを渡して来た。
「さっそく今日の放課後から一緒にがんばりましょうね!」
やるとは一言も言っていないのだが、何故か参加の方向で話が進んだ。
「さっきも更衣室でいたずらがあったみたいですが、そういうのを防ぐ見回りすか?」
「ええ、犯人探しはしたくないので、未然に防ぐための防犯活動が必要です、……お化けちゃんのね」
長津田さんは、天廊下の井のふき取りきれず残った魔法陣を見上げると細い肩でため息をつく。
「いたずらが続けば学園の風紀が乱れますから……」
これらのいたずらはすべて俺の仕業である。
俺はうつむく。
「あの……、もしお化けが苦手なら他の人に頼みますけれど」
「とんでもない! 大好きです、そういうの! それにどちらにしろ魔族どもの見張りで遅くまで居残る予定なんで!」
「まぞく?」
しまった。
「あ、いえ! ……あ、で見回りって具体的に何をするんですか?」
「じゃあまずは生徒会の腕章をとりに行きましょうね、活動内容はそれから説明します。でもその前に――」
長津田さんは膝の上に乗せた『防犯委員メンバー』と題された名簿の1行目に『長津田涼子』と書いた。
そして、2行目の枠内にペン先を押し付けてしばらく停止していたので、俺は再び自分の名前を教えると、俺の肩にタッチしながら困った笑顔で何か言い訳をする。俺は自分で名前を書きこんだ。
長津田さんは2人の名前が書かれた名簿をまじまじと見ると、俺に最高の笑顔を見せてくれた。
長津田さんに手を引かれる。また触れた暖かい手に胸がどうしようもなく熱くなる。ないはずの胸が。
●
長津田さんの約束の時間まで、俺は雄太にジュースと菓子パンをおごってやった。俺の話を一通り理解した雄太は、口をとがらせている。
「ああ、長津田さん、真面目でいい人だ」
「で、のろけ大先生は一緒に見回りするの?」
「ああ、もちろんだ。――なんだと?」
雄太は俺の目の前に立つ。そして夢から起こすように俺の鼻先で指を鳴らした。
「……なんだよ?」
「もしもーし! 先生しっかりするさ! 魔女に脅されてること、すっかり忘れてないさーッ!?」
「どちらにしろ生徒会の警備で放課後まで学園に残らなきゃならないだろ!?」
「そうじゃなくて! 逆に先生が近くにいると、長津田さんが魔族たちの厄介ごとに巻き込まれないさ?」
「……! そ、そんなことは!」
「さっきも魔族に襲われたんでしょ!?」
俺はいちごミルクの容器を落とした。
「だって先生は魔族たちに目の敵にされて、魔女たちもいつ襲ってくるかわからないじゃんさ!」
「それは、そうだが――!」
雄太はごちそう様と叫び、ゴミ箱に乱暴に空き缶を押し込む。
「じゃ! おいらは邪悪な放課後が始まる前に、帰宅するさねー!」
雄太が背伸びをしてスクールバッグを背負って帰って行った。
雄太は俺を煽ったのだ。そうだ、俺は普通の人間じゃなかった。防犯警備なんて、おままごとしている身分ではない。
しかも、生徒魔族が襲ってきたらマリアがいなければ自分の身も守れない情けない状態だ。
俺は、まだまばらに生徒たちが残る廊下で長津田さんがクラスから出てくるのを待っていた。
しばらく廊下の壁にもたれて待っていたが、一向に長津田さんが出てこない。
女子生徒だらけが残る教室の扉を開けようとためらっていたが、教室から漏れて聞こえるクラスメイトの女子たちの会話に手が止まった。
「涼子! 駅前であの子と歩いてたでしょ!?」
「あら? 見られちゃった?」
「え~っと、なんて名前だっけ?」
「うん、ヒカルと散歩してたの」
――ヒカル?
長津田さんが――、ヒカルと、――駅前?
廊下に掲示されているクラス名簿を指で追うが、ヒカルって生徒はいない。他のクラスか? 2年生か3年生? あるいは他校か?
「すごく似合ってたわ、涼子とヒカルちゃん! なんかもう息ぴったり、彼氏彼女以上の関係みたいな~!」
「よしてよ、もう違うでしょー! そんな大きな声で言わないでよ!」
長津田さんが付き合っている?
彼氏彼女以上――……
ヒカルちゃんと?
一体何者なんだ、ヒカルちゃん……
「それに、ヒカルちゃん、すごく体格いいよね~!」
「うん! イタズラの犯人見つけても噛みついてでもヒカルなら私を守ってくれるよ」
「へ~、だからヒカルちゃんと一緒に夢見が丘の見回りをしてるわけね」
「実はね、話したかな……? また、できちゃったの」
「ん? できたって?」
「赤ちゃん」
―――あか、か――あか……ち”ゃん――?
「え……、またぁ~? 涼子も大変ね――」
――長津田さん、子供――が……いるのか――
しかも、またって――
でも、この年だから――
子供がいても、そうおかしくはない――のか?
「こうやってね、抱っこして、ミルクあげるの。ちゅーちゅー吸いついてきて、すごくかわいいの!」
……ミルク――、長津田さんが――ミルクを――。
苦しい――はぁ……。
――……。
――はぐぁッ……ッ。
長津田さんが友達と別れを告げ教室から出てきた。
「あ、すみません、待たせちゃいました?」
「い、いえ、あ、今さっき、来たところだと……思います――かも……!」
「――へ? あ、そうですか。では、見回りを始めましょうか」
さっきのは……本当なのか?
長津田さんは子供がいるのか……――?
長津田さんほどの立派な女性だ、お子さんがいてもおかしくはない――。
俺は廊下を歩きだした長津田さんに言う。
「あの……」
「はい?」
「今日はお帰りになって、お子さんたちのそばにいてあげてください――」
「え!? さ、さっきの話ですか? だ、大丈夫ですよ! 気を使わないで!」
「言ってくれれば、見回りなんて自分がいくらでも!」
「ありがとうございます。でも大丈夫、10人兄弟なんて普通ですから」
「じゅ、じゅうにん兄弟!?」
「授乳期なんで、私も少し疲れますけど……」
「じゅ、じゅじゅ、授乳――……ぐ……ヵぁ――ッ」
「どうされました? 苦しそうです――……?」
「ぁ――はぁ――はぁ、ふぅ……なんでもありま……せん」
「た、大変! 鼻血! 鼻血でてますよ! 早く保健室に!」
「じ、自分でいけますから……!」
俺は長津田さんから逃げた。




