20 敬愛するマリア先輩、と呼ぶです
翌日の朝、俺は職員室に出向いた。教員たちに囲まれながらもモニュメント像を破壊していない証拠の限りをたんたんと説明した。
俺は担任の体育教官に必死に訴える。
「――なら、そんなに俺がモニュメント像を壊したって言い張るなら、あんたが再現してみせてくれよ!どう考えても非現実的な理屈だ!」
「はいはい、かっかしない。お前の話を聞きたかっただけ。ただならぬ様子で学園内を逃げ回るから、みんなも何か知っていると考えて追いかけただけ! はははは! 若いっていいねぇ!」
まるでおっさんのように高笑いをした担任は俺の頭をわしゃわしゃと撫でまわす。
他の教員たちもあっさり俺の容疑をあやふやにし、犯人探しは延期ということで、俺は解放された。これも金城コミン、生徒会長である魔女の差し金だろうか。
職員室を出ると雄太が心配そうに駆け寄ってくる。
「先生! アホな先公どもを論破できたみたいさね!」
「ああ、腑に落ちないが」
「さっき先公どもがモニュメント像は老朽化により倒壊したって言ってたさ! 無実、おめでとう!」
雄太はマジックで勝訴と書いたいちごミルクを差し出してきた。
俺が犯人という一連の騒ぎは各掲示板の見解で落ち着いた。
俺を犯人扱いしていた生徒たちは後ろ指さすだけで、追いかけたり問い詰めたりする生徒はいなくなった。
しかし、俺は生徒の陰口なんかより魔女や魔族たちが恐ろしかった。奴らは日中が苦手らしく、警戒すべきは太陽の力が弱まる放課後だという。
授業の間の休み時間、ルアから渡された教会や騎士や魔族について解説した単語帳のような冊子をめくりながら歩いていると、小柄で細身ながら目立つ少女が目に入る。
その少女はかなり長い間、廊下から女子トイレの中に鋭い視線を送り続けていた。
「――あの、マリアさん、でしたよね?」
「……ハロ」
「あの魔族たちはまた襲ってきますかね? トイレに何かいるんですか?」
昨日の騎士の姿とは変わって、普通の女子高生にしか見えないマリアは、紫色の長い髪、スカートを揺らしながら表情を変えず俺に走り寄った。
その無表情は何を考えているか想像もつかず、あの金城コミンと比べて背丈も小さく、華奢だった。腰まで伸びた髪の先は横一線にずぼらに切られていた。
「ハロ」
「――ぅ?」
マリアは俺にくっつくくらいに接近して棒立ちする。そして俺の顔をにらみ上げるようにして無言を続ける。
「あ、あの、なんですか? ――近くないですか……?」
胸のリボンの色は1年生のものだ。同じ学年の女子生徒たちと比べても小柄だったが、身体は幼稚ではなかった。なぜなら突き出した胸が俺に触れそうだった。
俺は一歩後ろに下がる。
眠そうにも、無感動にも、無関心にもとれる目が俺を見つめる。
マリアは周囲に生徒がいないことを確認すると、俺の顔を覗き込む。
そして、つま先立ちして顔を近づける。
「あなたが、――とても、心配です」
「……え? ちょっ!」
無邪気な一点の瞳が心の中をさらってくる。気まずくなった俺が顔を逸らそうが目を泳がせようが構わず見つめてくる。
これまで女子にこんなに長く顔を見つめられたことがない。
普通の男だったら、勘違いして抱きしめてしまうくらいに、自己主張のない、弱よわしく頼りない女子だ。
気の強そうな目つきにもどこか愛嬌があり、姿勢よく反らした身体の曲線はあの魔女に次いで優雅かもしれない。俺の歯切れの悪い言葉に子犬のように首をかしげるしぐさもみせる。
「あの、その! マリアさんたちがいなければ、俺、魔族たちにやられてたかも知れないし……、その、感謝してま――ひッ!?」
マリアはつま先立ちして俺の耳元に唇を近づける。まるで内緒話でもするように言った。
「――わたしのことは、敬愛するマリアさん、と呼ぶです」
しかしマリアは一瞬考えると無表情でぶんぶんと首をふる。
「いいえ、訂正です。人前ではごく自然に、心から敬うように先輩、……マリア先輩と呼ぶです」
この学園は学年によってリボンとネクタイの色が分けられているのだが、この先輩は間違いなく1年生の色のリボンを付けている。
「あの、マリアさん、誰かに誤解されるかもしれないから、その、は、一度離れてくれませんか!」
「なぜです?」
「――だって、マ、マリア先輩、他の生徒が見たら……」
マリアは先輩と言われたその無表情はわずかに目を見開く。そして満足げな様子でうなずく。
そして、俺のほほに背伸びしたマリアの小さい手のひらが添えられる。
「あの、ちょ、何を!?」
そして俺の顔を見つめる。
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そう言うと、俺のほほに添えたその小さい手で、ぺしんとはたいた。はたいたというより、触れた程度のビンタだった。
「――あの」
「……なんです?」
「すみません、なんでぶったんですかね?」
さっき、お仕置きといったか。蚊でもついていたのだろうか。
「生徒に魔族の存在を知られてはならないです。そのほほの耐えがたい激痛は、先輩騎士の指導という名目の鉄拳制裁です。私を恨まずに、重く受け止め、気を引き締めるです。戦場でその油断は命とりになるです」
「……え……あ、なるほどー、――す、すみませんす」
マリアは少し胸を張った。俺は痛そうにほほをさすり、反省した素振りを見せる。マリアはまた少し目を見開き、満足したようだ
そしてマリアは思い出したように再びトイレの中をにらみ始める。
たまたま廊下を歩く女子生徒たちが、俺がマリアにビンタされた瞬間の一部始終を見ていたようで、指をさして笑っていた。
「で、何のようです? 先輩は今学園警戒中です。女子トイレの便器に接着剤を塗るという生徒魔族からの報復宣言があったです」
俺はそうなんですねと相槌する。
「その、昨日は助かけてもらって、お礼を言いたくて。奴らまた襲ってきますかね、マリア、先輩――ッ?」
気が付くとマリアは俺の目の前に立ち、また俺の顔を覗き込んでいた。
マリアはため息を漏らす。
「未熟なあなたを戦線に繰り出すのは一体どこの所属部隊の、第何期生です?」
「えっと……確か、ごほん……、ビ、ビグニティ前哨神殿防衛部隊の第兎49期生です!」
ルアの小冊子から暗記した中身のわからない語句のひとつをさらりと言い切った。
「俺はハロですから! これくらいは知ってい――痛ッ!?」
再び、マリアの小さい手が、俺のほほをぺしんとはたく。
「……あの、その、す、すみません、今のは何がダメでした?」
「もし、わたしが騎士を偽った敵のスパイだったら、ビグニティ教会の極秘情報を奪われ、味方に多くの犠牲が出たはずです。安易に手の内をさらすことの危険性を、先輩騎士の激痛を伴う愛あるその指導から学ぶです」
「そ、そんな、無茶ですって! マ、マリアさんが言えっていうから――痛ッ!?」
すかさず、マリアは俺のほほをペシンとはたく。
「――どうして? い、今のはどこが!?」
「わたしに責任をなすりつける非道な行為です。それにしかも、とても残念なことに、先輩も付け忘れているです」
マリアは先輩と言わなかった分としてなのか、思い出したように俺のほほを追加でもう1回はたいた。
「――痛ッ、……だ、だから……って! こんなの――痛ッ!」
またすかさず、小さな先輩は俺のほほをたたく。
「言い訳も、泣き言も、ビグニティ騎士として恥ずべきです」
「い、言い訳なんか――、って何するつもり!?」
マリアは廊下の隅に鎮座している花瓶を片手で軽々と持ち上げた。
「ちょ、まさかと思いますけど、それで、何するんすか!?」
「早くしゃがむです、頭を出すです。お仕置きしにくいです」
「え、いやッ、まさか! 鈍器で殴るの!? それは勘弁してくれません!?」
「先輩に口答えは許さないです、命令違反は重罪に処されるです」
「だってその! ほ、他の生徒が見てますし! 暴力は不味いんじゃ――!」
俺がそう言い終わる前だった。
突然、マリアの目が見開き赤く濃く鋭くなった。
その瞬間、目に見えないスピードでマリアの体が一直線に俺へ襲い掛かる。
「――うそ――や、やめッ!」
マリアはそのまま俺の顔へめがけて手にしていた花瓶を投げつけた。
「嘘だろッ!」




