10 ニーソな生徒会長
薄暗い部屋で目が覚めた。
「ここは? 痛――っ! 頭が……」
周囲を見回す。教室の半分くらいの部屋だった。
身体の節々(ふしぶし)が痛い。
ゆっくりと立ち上がる。
カーテンや棚に身に覚えがあったため、学園内のどこかであることはわかった。
床には柔らかなカーペットが敷いてあり、壁には紅茶のカップが並んでいる。
誰の気配もしない。
俺は逃げ道を探した。
背後に、光が漏れてくる扉を見つけた。その扉を静かに開けて、隙間から様子をうかがう。
「――という現状です、金城コミンさま」
そういう声が漏れて聞こえる。
「……金城コミン!? 生徒会長!?」
デスクの周りを落ち着かない様子で歩きまわる女子生徒のシルエットを目で追う。この学園の制服を着た女子生徒が、窓の外を見ては、またデスクの周りを歩き始める。
生徒会長と書かれた黒板が見える。その肩書に添えられた”金城コミン”という名前を確認する。
ここは生徒会室で、そこにいるのは俺が今最も会いたいと願っていた生徒だとわかった。
俺はその扉を開け放つ。
「……助かった! あ、あんたが金城コミンか!?」
その女子生徒は俺の呼びかけに振り向く。
「わかるだろ!? 学園に隠れている魔女に困ってるんだ! 助けてく……れ――な――い――か……」
そいつを目の前にして、俺の駆け寄る足が力なく停止した。生徒たちが女神と絶賛する理由が理解できた。
すらっと伸びた背は女子生徒の平均より少し高いくらいだ。
胸のリボンがほどけていて、その頭と同じくらいの大きさのふくらみが突き出されている。そのシルエットではこの学園の制服はさぞかし規格外だろう。
近くで見るとそういう細かい点も見て取れた。
一方で、この最悪な現状を解決するために、今置かれている状況は全く助かる方向へ進んでいないと気付いた。
まず、俺がここであの世に行くものなら、佐藤という男をまず呪ってやりたい。
俺の手からは汗が吹き出し、胸が捕まれる感覚がする。この胸に刻まれた恐怖が蘇った。
俺の問いかけに、その美しい女子生徒は振り返り、ほほ笑む。そしてこう答えた。
「……あら奇遇ね、アタシもアナタに困ってるわよ?」
気絶から覚めた頭がしだいに金城コミンという女子生徒の正体を理解していく。
「きんじょ……こみ……ん? ――え……?」
俺は絶望した。
金城コミンという女子生徒がくるりと指を回すと、その腕に『生徒会長』の腕章が巻きつく。
そしてデスクに伏せてあったプレートがひとりでに立ち上がり『生徒会長 金城コミン』という表記が見えた。
金城コミンという女子生徒、さっき屋上で俺の心臓を踏みつぶそうとした、あの制服の魔女がそこにいた。
「……この学園の……生徒会長が、金城コミン――。金城コミンが魔女……」
まぶしい生足、黒のニーソックス。その生徒会長にはめまいがした。
「金城コミンが……あの魔女!? いや、そんなはずはない……そんなことあって、たまるかよ……」
俺は後ずさり、暗い部屋の隅にもたれかかる。
「――生徒会長の皮をかぶった魔女め……」
俺がそうつぶやくと同時に、生徒会室の扉が開き、女子生徒たちが入ってきた。
「あ、金城コミン生徒会長! 本日の会議の資料、ここに置いておきますね!」
金城コミンは女子生徒にありがとうと伝えた。
「学内が騒がしいですけど、生徒会長も気を付けてくださいね」
「噂の犯人のチンピラが逃走中らしいですよ! 早く捕まればいいのに!」
金城コミンはそうねと笑顔を見せて、退室する女子生徒たちを見送る。女子生徒たちは俺の存在に気が付かず部屋を後にした。
窓の外を見つめながら金城コミンが続けてとつぶやく。すると部屋の暗い隅から屋上で見た化け物が現れた。
「……しかし金城コミンさま、この不届き者に内容を訊かれても?」
金城コミンは再び続けてとつぶやく。
「……半世紀前から金城コミンさまという舞台の役柄を準備してお待ちしておりましたが、未だ幹部役職者も数少なく、さらには厄介な騎士たちがここ神殿学園に集結中です。卿のお力を持ってしても、この神殿はいささか危険です。教会の老人どもは卿のいわれなき罪を世界中に吹聴しています。政治腐敗、天災、ありとあらゆる不幸はフィシス教派の所業であると因縁付け、世界の矛盾と不安と苦しみを卿に転嫁しています」
その巨大な銅像のような化け物は、デスクに腰掛け窓を眺めながらカップに口をつけている制服の魔女に新聞記事を見せる。
「卿の力があればすぐにでも詭弁家、異論者を論破し、潔白を証明できることは万も承知です。しかし、なぜこの謂れなき罪にいつまで黙っておられるつもりですか?」
金城コミンは記事をちらりと見るが、再びカップに口をつける。
「ご命令ください。卿の手は汚させません。罪深きワタクシめが、卿を魔女と呼ぶ不届き者の首をみな掻っ切ってご覧に入れます」
まだ魔女は興味なさげにしている。
俺は魔女たちを刺激しないように這いながら扉へ向かい、ドアノブに手をかける。
「痛ッ!」
「手始めに不届きなニンゲン、あの世に堕す前に女神さまに無礼を謝罪する遺言はあるか?」
俺よりひと回り巨大な化け物は、俺の制服の襟をつまんで軽々とつるし上げ、のどにナイフを当てる。
「結界を破壊した小僧はお役御免だ! 今ここで永遠に退場しろ!」
「何も聞えない、何も聞えないぞ……」
俺は目をしっかり閉じて、耳をふさいだ。
「おびえてるでしょ、その狂気を沈めなさい。どんな理由があれ魂を奪うことに意味はないわ」
「しかし、この者の無礼を見過ごすことは……! それに、卿もさきほど屋上にてこの者を堕そうと――」
「アタシの教えを忘れたの? 役目を逸脱してるわ。執事という役職に専心しなさい」
「……失礼しました、改めます。お許しを……どうか……」
魔女の一声で化け物はうろたえながらナイフをしまい、俺を地面に落とす。
「命拾いしたな、小僧……」
執事の化け物はすれ違いに俺にそう言い残し、壁に吸い込まれるように部屋から消えて行った。
俺が唖然としながら魔女を眺めていると、部屋の隅からおびえたうめき声が聞こえた。
「(ブルブル……ぺこき……)」
さっき屋上で俺を襲ったカマの化け物が、本棚の陰で小さく震えていた。
魔女はさらに怖い顔を作り、カマの化け物をにらみつけた。
「いつまでそこにいるの!」
「……ペコキ!?」
「反省したならすぐにトイレの便器でも掃除なさい! 女子トイレでランチしたくなるくらいピカピカにね! あなたは戦士じゃなくてトイレの精霊でしょ! 役職に専心なさい!」
カマの化け物はカマを投げ捨て、震えながら金城コミンに何度もうなずいて見せて、壁をすり抜けて消えて行った。
金城コミンは部屋に俺の他に誰もいなくなったことを確認すると、柔らかでどこか申し訳ないような表情を作る。そして、部屋のカーテンを閉めて、ゆっくりと扉にロックをかけた。
俺はその様子を目で追うことしかできなかった。
「……まったくもう、やんちゃな子たちなんだから、ねー?」
金城コミンは一瞬立ち止まり考えて、俺に駆け寄り、優しい笑顔を見せる。
次に、金城コミンは机に太ももを乗せ腕を組み、生徒会長の腕章を外し、胸元のボタンを緩めた。
「……アナタ、そんな隅じゃなくて、ここに座って。楽にしなさいよ」
金城コミンはうっぷす俺に隣への着席を促す。
ドックン!
「――ぅぐッ!?」
まただ……。どこから来るのかわからないこの胸の締めつけ――
どうなってるんだ――苦しい――
金城コミンが柔らかな表情で俺に近寄り、頭をなでてきた。
俺は壁にへばりつき、耳をふさぐ。
「具合でも悪いの? ハリネズミでも丸呑みした顔して。アタシの大切な話を聞く耳はちゃんとついてるのかしら?」
金城コミンは心配そうな顔で続けた。
「聞いたわよ、さっきの屋上のこと。あの状況からとっさに女の子を守るなんて、誰にでもできることじゃないわ」
金城コミンは俺の顔に手を添え、化け物のカマでついたほほのキズをなでる。するとまるで指で汚れをふき取るようにしてキズを消した。
そして、少しほどけた制服の胸元から赤いハートの物体を取り出す。
「アナタを誤解していたわ。とても立派よ。もう堕すなんてしないわ」
赤いハートに吐息のように優しくささやいている。
「この愛のない世界でアタシのフィシス理論を開発するために、アナタのような人材が必要になるかもしれないの」
金城コミンは赤いハートを小動物をなでるように指で触っている。
「――夢の中だぞ! クソ……! なんであいつが……俺の心臓を……!」
「さ、ここに契約して。何億年かかるかわからないけど、フィシス理論が完成する日まで、奴隷として一生についてくることを。その代わり、アナタが欲しいと願うどんな恋も愛も幸せも必ずつかませてあげるから」
また奇妙な鼓動が波打つ。
「……うぐっ――ッ」
俺は腹を抱え込む。
金城コミンは俺の胸ぐらをつかみ、無理やり立たせ、壁に押し付ける。
「ふ……、ふざけるなッ――、俺のじゃな、うぐッ……! ――心臓じゃないッ!」
「へー。それじゃ、……ふー」
金城コミンは赤いハートにくちびるを突き出し、優しく息を吹きかけた。
「ぐあっ……――ッ! 俺の心臓なもんかッ!」
「それじゃ、これでもアナタのじゃないって言い張るつもりなのかしら?」
金城コミンは口を開けて、小さな八重歯を見せる。そして赤いハートに口を近づける。
「ッ!? わ、わかった! 返して……! 頼む、何でもする! やめッ!」
そして、怯えている赤いハートに噛り付こうとする。
金城コミンは口を閉じ、無表情を浮かべ、赤いハートを人差し指でピンとはじいた。
「ほゲぁッ! うぐ……!」
「調子に乗らないで」
胸が張り裂けるほどの衝撃で全身の血が頭のてっぺんに集まるようなめまいと共に、力が抜けた。俺は再び地面に尻から落ちる。
「――な、何故、こんな――……」
「だから言ってるでしょ! フィシス理論が完成すれば、この世界を自由に書き換えることが出来る! 不幸も不自由も、かなわぬ恋すらもない、愛に満ちた新世界にアナタを連れて行ってあげるんだから、協力しなさい!」
薄れゆく意識の中で見上げた最後の光景は、心臓を握る金城コミンの真面目な顔だった。そして俺は気を失った。




