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天皇譲位

短くてもかき続けるって大事だよね。

慶長12年(1607年)頃から、南光坊天海の発案で宮中の取り締まりが強化される。


当時、京都所司代きょうとしょしだいに任命されていた徳川家臣・板倉勝重いたくらかつしげは「上様からの命令」という天海の言葉を信じ、過去より於ける宮中の不祥事を調べ上げた。


この一連の流れには天海の一つの策があった。


元より武家が宮中に介入するのは、今も昔も宮中が最も嫌がる事である。


公家たちの考えには「武士は公家の領地を守る無骨者」などという古臭い考えが残ってたのも理由の一つであった。


はじめにこの考えを覆したのは織田信長であった。


信長は光秀が止めなければ宮中や内裏などというものを廃止していたかもしれない。


光秀は性急な変革は国にゆがみをもたらすと、天皇側に付き、羽柴秀吉と手を組み信長を討ったのであったが、やはり宮中の不祥事は留まる事を知らなかった。


関ヶ原の大戦も落ち着き、次郎三郎の目が秀忠に向かい、秀忠も兄弟暗殺に性を出している隙間を縫うように、天海は相次いで起きた「宮中女官密通事件」を次郎三郎に報告する。


天海と次郎三郎は敵同士ではあるが、天海は次郎三郎の天皇への忠誠心を逆なでしたのだ。


天皇家への忠誠心高い次郎三郎はこの事件を大いに怒り、また自分の後ろ盾の一人となっていた後陽成天皇の怒りをも汲み取り


「不祥事に関わった公家、女官の悉くを斬罪に処すべし」


と勝重に命じた。


とここまでは良かったのだが、ここで天海が勝重に幻術をかけながら


「大御所に於かれては国母(天皇の母)である新上東門院しんじょうとうもんいん様の願いを聞き届け、主犯格のみを斬罪とし、公家、女官は情けをかけ流罪に致せと御心変わりされた」


と勝重に偽りの命令を下したのだ。


この処置により後陽成天皇と次郎三郎の間にわずかながら亀裂が走った。


次郎三郎は「斬罪に処せ」と一度命じた事を天海が勝重に近づき覆しているとは露程にも思っていなかった。


それほど秀忠と柳生は執拗に兄弟の命を狙い、駿府の地を狙い暗闘に手を煩わされていた。


ただでさえこの間、松平忠吉、結城秀康が柳生の手にかかっていたのだ。


後陽成天皇はこういった浮世の醜い争いから目を背け、退位を決意する。


これに焦ったのが次郎三郎である。


先にも記述したが後陽成天皇はいわば次郎三郎の後ろ盾の一人である。


次郎三郎の必死の説得も虚しく、後陽成天皇は息子である後水尾天皇に譲位し仙洞御所に引き籠ってしまった。


時にして慶長16年(1611年)の事であった。

ここまで読んでいただき誠に有難うございます。

誤字脱字等ございましたらご指摘いただければ幸いです

これからも『闇に咲く「徳川葵」』をよろしくお願いします。

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