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第2話 完璧な品揃えほど、お客様を不幸にする

前書き


「売れ残りしかない魔王城を、異世界最強の百貨店にする」


そんな無茶な挑戦から始まった物語は、ついに次の舞台へ進みます。


今回、直人たちが向かうのは、“売れ残りが一つもない帝国”。


一見すると、完璧な国です。

商品は余らない。

無駄もない。

誰も買い物に迷わない。


でも、その国には大きな問題がありました。


人々が、自分で「欲しいもの」を選べなくなっていたのです。


効率よく。

失敗なく。

無駄なく。


すべてが最適化された世界では、買い物すら「正解」を選ばされるようになっていました。


前作で直人が作ったのは、商品を売るだけの百貨店ではありません。


「どれにしよう」と迷う時間。

誰かのために贈り物を選ぶ時間。

必要ではないけれど、なぜか欲しくなるもの。


そんな、人が自分で選ぶ楽しさを守る場所でした。


だから今回、直人は再び問いかけます。


「売れ残りがゼロなら、本当に幸せなのか?」


リリスとの距離も少しずつ変わり、仲間たちとの日常や笑いもありながら、物語はやがて帝国そのものを揺るがす戦いへ進んでいきます。


剣や魔法だけでは変えられない世界を、

売り場と接客と「選ぶ自由」で変えていく。


『転生バイヤー、魔王城百貨店をはじめますⅡ』

売れ残りゼロの帝国で、「選ぶ自由」を取り戻した話。


前作より少し大きく、少し切なく、そしてもっと賑やかな物語を、ぜひ最後まで楽しんでください。

売れ残りをなくした男

「ようこそ、後輩バイヤー君」


街中の魔導映像板に映し出された男は、穏やかに笑っていた。


短く整えられた白髪。


黒いスーツ。


細い銀縁の眼鏡。


この異世界には似つかわしくない姿だった。


そして何より、彼が口にした百貨店の名前を、俺は忘れるはずがなかった。


俺が日本で二十年近く勤めた、地方百貨店。


初めて仕入れを任され、初めて大量の売れ残りを出し、初めて自分の判断で売り場を立て直した場所。


「どうして、その名前を……」


声が震えた。


足元には、手から滑り落ちた万年筆が転がっている。


リリスがそれを拾い、俺へ差し出した。


「店長、この男を知っているんですか?」


「顔を見たことはない。でも、名前なら知っている」


俺が百貨店へ入社した頃、すでに社内で伝説になっていた人物。


物流倉庫を統合し、発注を自動化し、長年積み上がっていた不良在庫をほぼゼロにした男。


数字に強く、感情に流されず、一つの無駄も許さなかった。


社内では尊敬と畏怖を込めて、こう呼ばれていた。


売れ残りをなくした男。


「黒瀬征司……」


俺がつぶやくと、映像の男の口元がわずかに上がった。


『覚えていてくれたか。光栄だよ、高城直人君』


「どうして俺の名前を知っている?」


『君の働きは、ずっと見ていた』


「日本にいた頃からか?」


『いいや。この世界へ来てからだ』


映像の背後に、巨大な塔が映し出される。


帝都の中央にそびえる、白い建造物。


その頂上では、幾重もの魔法陣が歯車のように回転していた。


『魔王城を倉庫から百貨店へ変え、人間と魔族を物流でつないだ。見事な仕事だった』


黒瀬は褒めている。


だが、その声には温度がなかった。


数字が予定どおり動いたことを確認するような声だった。


『君の物流網は優秀だ。だから今日から、この国がすべて買い取ろう』


「断る」


答えは考えるまでもなかった。


広場に集まっていた帝国市民が、一斉にこちらを見る。


誰も声を上げない。


驚くことさえ、許可を待っているようだった。


『即答か。理由を聞こう』


「物流網は商品じゃない。人と人をつなぐための仕組みだ」


『仕組みには所有者が必要だ』


「必要なのは、責任を持つ人間だ。独占する人間じゃない」


黒瀬の表情は変わらなかった。


『なるほど。君はまだ、客という存在を信じているらしい』


「客を信じない百貨店なんて、ただの倉庫だ」


『その考え方が、何人殺したと思う?』


空気が変わった。


広場を吹き抜けていた風まで止まったように感じた。


『明日、中央管理塔へ来るといい。君が守ろうとしている“自由”が、どれほど残酷なものか教えてあげよう』


映像が消える。


同時に、帝国兵たちが一斉に道を開けた。


中央管理塔へ続く一直線の道。


歓迎ではない。


逃げ道を消されたのだ。


「罠でしょうね」


リリスが、俺の万年筆についた埃を払った。


「だろうな」


「行くんですか?」


「ああ」


「聞くだけ無駄でした」


リリスはため息をつく。


その横でガルドが剣の柄を握った。


「そいつが敵なら、斬れば済む」


「会って三秒で結論を出すな」


「三秒も待ったぞ」


「お前にしては長いな」


「だろう?」


なぜ誇らしげなのか。


バルグが無言で、航海用に作った硬いパンを差し出した。


「食うか」


「今はいい」


「武器としても使える」


「食べ物としての誇りを捨てるな」


ゼファーは広場の端で、小さな紙を配っていた。


「何をしてる?」


「明日の見学ツアーの予約を取ってる。中央塔、初公開。昼食つきで銀貨二枚」


「勝手に商売を始めるな!」


「敵地では現金が大事だろ?」


「命のほうが大事だ!」


魔王城百貨店の幹部たちは、どこへ行っても平常運転だった。


その騒がしさに、少しだけ救われる。


けれど、俺の手の中では、万年筆が妙に重かった。


黒瀬征司。


もし、彼がこの国を作ったのだとすれば。


俺が追い求めてきた効率の、その先にある世界がここなのかもしれない。


売れ残りゼロ。


欠品ゼロ。


廃棄ゼロ。


そして、自由ゼロ。


それは俺が一歩間違えれば、作っていたかもしれない売り場だった。


選ばせるから、奪い合いが起きる

翌朝、俺たちは中央管理塔へ向かった。


入口には店員も兵士もいない。


床へ刻まれた光の線が、歩くべき道を示していた。


左右には無数の箱が並び、そのすべてに番号が振られている。


衣服。


食料。


薬。


生活用品。


大きさも形も寸分違わず積み上げられている。


「気持ち悪いほど整っていますね」


リリスが小声で言った。


「倉庫としては理想的だ」


「店長」


「分かってる。だから余計に気持ち悪い」


一つの箱も曲がっていない。


破れた包装もない。


補充漏れも見当たらない。


在庫管理だけを見れば、魔王城百貨店よりはるかに優秀だ。


それなのに、胸がざらつく。


商品から人間の匂いがしない。


誰が作ったのか。


誰が運んだのか。


誰が使うのか。


そこにあるのは番号と数量だけだった。


最上階で、黒瀬は俺たちを待っていた。


「改めて名乗ろう」


男は立ち上がり、右手を差し出した。


「この国では、クロード・クロセと呼ばれている。日本名は黒瀬征司だ」


俺はその手を取らなかった。


「高城直人です」


「警戒されているようだな」


「昨日、国ごと買い取ると言われたばかりですから」


「買い取るのは物流網だ。国ではない」


「その二つを区別しているようには見えません」


黒瀬は面白そうに笑った。


机の上には、一つの古びた木箱が置かれていた。


彼が蓋を開ける。


中には、欠けた器と、変色した小さな薬瓶が入っていた。


「私がこの世界へ来たのは、二十三年前だ」


黒瀬は静かに語り始めた。


東の大陸を、大飢饉が襲った。


雨は降らず、畑は枯れ、食料価格は一日に何度も上がった。


裕福な商人たちは穀物を買い占めた。


明日にはさらに値上がりすると分かっていたからだ。


倉庫には食料があった。


薬もあった。


だが、金のない者には届かなかった。


「市場は正常に機能していた」


黒瀬が言う。


「欲しい者が多く、商品が少ない。だから価格が上がる。当然の結果だ」


その声は淡々としていた。


だが、机に置かれた指先だけが、わずかに震えていた。


「正常に機能した結果、何千人もの子どもが死んだ」


誰も言葉を挟めなかった。


「私は商人たちへ頼んだ。倉庫の食料を放出してくれと。薬を分けてくれと。しかし彼らは答えた」


黒瀬の目が、遠い場所を見る。


「正当な価格を払えるなら売る、と」


その瞬間だけ、彼の表情から計算が消えた。


残ったのは、底の見えない疲労だった。


「だから決めた。人間に選ばせるのをやめようと」


「それで《ゼロ・マーケット》を作ったのか」


「ああ。必要な物を、必要な数だけ、必要な者へ配る。買い占めも値上げもない。金持ちも貧しい者も関係ない」


「確かに、飢えはなくなる」


「売れ残りも、品切れも、廃棄も消えた」


黒瀬は両手を広げた。


背後の巨大な窓から、帝都全体が見える。


清潔な道路。


規則正しく並ぶ人々。


同じ色の服。


「これが完成した流通だ」


「違う」


自分でも驚くほど、強い声が出た。


黒瀬の眉がわずかに上がる。


「それは、人間を在庫として管理しているだけだ」


「管理されることで救われる命がある」


「管理されることで失われる人生もある」


「人生?」


黒瀬が鼻で笑った。


「赤いリボンを選ぶことが人生か?」


「そうだ」


俺は即答した。


昨日、リリスの赤いリボンを見つめていた少女を思い出す。


たった一言。


それ、きれい。


あの少女にとっては、それが初めて自分の心を言葉にした瞬間だった。


「パンを選ぶ。服を選ぶ。誰かへの贈り物を選ぶ。小さな選択を積み重ねたものが人生だ」


「選択は失敗を生む」


「失敗したら、選び直せばいい」


「選び直せない失敗もある」


黒瀬の声が、初めて鋭くなった。


俺たちはしばらく、互いの目を見た。


この男は冷酷なのではない。


怖いのだ。


再び誰かが選択を間違えることを。


再び商品が届かず、誰かが死ぬことを。


だから世界中から、間違える権利そのものを奪った。


「議論だけでは平行線ですね」


それまで黙っていた女性が口を開いた。


銀色の髪。


青い瞳。


帝国の紋章が縫い込まれた白い衣装。


「ミレイア・ノルンと申します。東方統制帝国第二皇女です」


彼女は優雅に頭を下げた。


「お二人の正しさを、実際の結果で比べてはいかがでしょう」


黒瀬が目を細める。


「何を考えている?」


「三日間だけ、帝都に店を開く許可を与えます」


「殿下」


「もちろん、商品数は制限します」


ミレイアは俺へ向き直った。


「各品目につき、三種類だけ。パン、リボン、カップ、靴。価格はすべて同じ。宣伝も値引きも禁止」


「三種類……」


多すぎず、少なすぎない。


選択に慣れていない人間へ、最初から百種類を見せても混乱する。


むしろ妥当な条件だった。


「受けます」


「店長」


リリスが俺の袖を引いた。


「罠かもしれません」


「たぶんな」


「それでも?」


「店を開ける機会を、バイヤーが断れると思うか?」


「そう言うと思いました」


呆れた顔をしながら、リリスは少しだけ笑った。


黒瀬は腕を組む。


「三日後、君は理解する。人間は、自由を与えられても幸福にはなれない」


「三日後に決めましょう」


俺は答えた。


「お客様が欲しいのは、完璧な品揃えなのか。それとも、自分で選べる売り場なのか」


正解を教えてください

実験店舗として与えられたのは、旧配給所の一角だった。


白い壁。


白い床。


窓口だけが並ぶ、病院の受付のような場所。


「まず、この壁をどうにかしましょう」


リリスが腕を組んだ。


「清潔ではあるが、売り場には見えないな」


「花を飾ります?」


ゼファーが尋ねる。


「悪くない」


「では、一輪につき銅貨三枚で貸し出しを」


「もう商売を始めるな」


ガルドは入口に立ち、接客用の笑顔を練習していた。


「いらっしゃいませ」


低い声と鋭い目。


剣の柄に置かれた右手。


どう見ても、盗賊団の尋問だった。


「ガルド、口角を上げて」


リリスが指示する。


「こうか?」


ガルドが歯を見せる。


子どもが見たら三日眠れない顔になった。


「下げてください」


「さっき上げろと言っただろう」


「上げ方にも善悪があります」


「笑顔に善悪があるのか」


「今、発見しました」


バルグは試食用のパンを並べていた。


柔らかい白パン。


香ばしい黒パン。


蜂蜜を練り込んだ甘いパン。


珍しく、どれも人間の歯で食べられそうだった。


「説明文は?」


俺が尋ねる。


「食べれば分かる」


「説明を放棄するな」


「白い。黒い。甘い」


「見れば分かる情報しか増えてない!」


ゼファーが看板を持ってきた。


そこには大きく、


《帝国初! 選んでも死なない店!》


と書かれている。


「却下」


「なぜだ?」


「選んだら死ぬ店があるように見える」


「実際、この国では近いだろ?」


「事実でも広告に書くな!」


開店前から頭が痛い。


だが、準備をしているうちに、白いだけだった空間へ少しずつ色が増えていった。


三色のリボン。


赤、青、黄色。


三種類のカップ。


丸い物、角張った物、花柄の物。


三種類の靴。


丈夫な革靴、軽い布靴、雨に強い長靴。


品揃えは少ない。


日本の百貨店なら、売り場とは呼べない規模だ。


それでも、帝国の人々にとっては未知の世界になる。


開店の鐘が鳴った。


カラン。


最初の客は、五十代ほどの男性だった。


彼はパン売り場の前に立ち、三種類を順番に見つめる。


そのまま動かなくなった。


一分。


二分。


額に汗が浮かんでくる。


「ご試食されますか?」


リリスが優しく声をかける。


男性の肩が跳ねた。


「どれを選べばいいのでしょう」


「お好みの物を」


「好み……?」


知らない言葉を聞いたような顔だった。


「甘い物はお好きですか?」


「分かりません」


「普段、どんなパンを食べていますか?」


「支給された物です」


「今日は、ご自分で選べます」


男性の顔色が青くなった。


「どれを選べば、処罰されませんか?」


胸の奥を、細い針で刺されたような気がした。


店を開けば喜んでもらえると思っていた。


三種類なら選びやすいと思っていた。


だが、この国の人々にとって選択は楽しみではない。


間違えれば罰を受ける試験なのだ。


「正解はありません」


俺は男性の前に立った。


「ありません?」


「はい」


「それでは、どう決めれば……」


「あなたが欲しいと思った物が、あなたの正解です」


男性は三つのパンを見た。


甘いパンへ手を伸ばしかけ、途中で止める。


黒パンへ移し、また止める。


何度も迷った末、彼は白パンを選んだ。


最も支給品に似ているパンだった。


「こちらで、よろしいですか?」


俺が尋ねると、男性は不安そうにうなずいた。


「はい。これなら、間違いではないと思います」


それは選択とは呼べなかった。


処罰されない答えを探しただけだ。


けれど、受け取った白パンを一口食べた後、男性は小さく言った。


「次は……甘い物を食べてみたいです」


その言葉が、何よりうれしかった。


今日選べなくてもいい。


明日、選びたいと思えるなら。


売り場は、そのためにある。


当店の店長は非売品です

客は少しずつ増えた。


だが、売り場は終始静かだった。


誰も隣の客へ話しかけない。


笑い声もない。


商品を選ぶたび、周囲をうかがう。


それでも、一人が赤いリボンを手に取ると、次の客が青を選んだ。


花柄のカップを選んだ老女は、何度もその模様を指でなぞった。


布靴を履いた少年は、その場で二度跳びはねた。


選択は伝染する。


誰かが選び、何も悪いことが起きないと分かれば、次の人も手を伸ばせる。


「順調ですね」


ミレイア皇女が視察に訪れた。


護衛も連れず、一般客と同じ入口から入ってくる。


「まだ、売り場と呼べる状態ではありません」


俺は答えた。


「お客様が商品ではなく、正解を探しています」


「帝国では、それが普通です」


「普通にしてはいけないこともあります」


ミレイアはしばらく俺を見つめた。


「高城様。帝国へ残るお考えはありませんか?」


「え?」


「あなたを、私の専属流通顧問としてお迎えしたいのです」


売り場の空気が止まった。


ガルドがパンを落とす。


バルグが落ちたパンを拾い、何事もなかったように試食皿へ戻そうとする。


「戻すな」


俺が小声で止めた、その瞬間。


「申し訳ございません」


リリスが、俺とミレイアの間へ滑り込んだ。


笑顔だった。


完璧な接客用の笑顔だ。


ただし、目がまったく笑っていない。


「当店の店長は非売品です」


「リリス?」


「他国への譲渡、貸し出し、長期契約は受け付けておりません」


「俺は商品じゃない」


「店長は黙っていてください」


「商品扱いしたのは君だろ」


ミレイアは口元を手で隠した。


「残念です。では、所有者との交渉が必要ですね」


「所有者ではありません!」


リリスの耳が真っ赤になる。


彼女はそのまま踵を返し、倉庫へ消えた。


「追わなくてよろしいのですか?」


ミレイアが楽しそうに尋ねる。


「どうして俺が?」


「鈍い男性は、在庫より扱いが難しいのですね」


「何の話ですか?」


「その質問が答えです」


意味が分からない。


いや。


本当は少しだけ分かっていた。


分かってしまうと、こちらまで落ち着かなくなるから、分からないふりをしているだけかもしれない。


俺は倉庫へ向かった。


リリスは木箱へ商品札を貼っていた。


必要以上に強く。


「リリス」


「忙しいので、後にしてください」


「札が箱にめり込んでるぞ」


「帝国の箱は丈夫ですね」


「箱の強度を調べてる場合じゃない」


俺は彼女の隣へ立った。


「俺は非売品なのか?」


リリスの手が止まる。


「店長を買う人なんていません」


「ミレイア皇女は欲しがってたぞ」


「では、熨斗をつけて差し上げればよかったですね」


「どうして怒ってる?」


「怒っていません」


「怒ってるだろ」


「怒っていません!」


勢いよく振り返った彼女の顔が、思ったより近くにあった。


紫色の瞳。


長いまつげ。


頬にかかった銀色の髪。


一瞬、呼吸の仕方を忘れた。


リリスも動かなかった。


倉庫の外から、ガルドの声が飛んでくる。


「店長! 笑顔を作ったら客が三人逃げた!」


「今行く!」


俺たちは同時に離れた。


「……接客指導が必要ですね」


リリスが横を向く。


「そうだな」


「店長にも」


「俺も?」


「特に店長にです」


耳まで赤い。


それを指摘したら、今度こそ木箱に詰められそうなので黙っておいた。


選んだ人だけが追跡される

二日目の午後。


赤いリボンを欲しがっていた少女が、母親と一緒に現れた。


昨日、帝国兵に止められた少女だ。


少女は入口で立ち止まり、赤、青、黄色のリボンを見つめた。


母親は不安そうに周囲を見回している。


「好きな色を選んでいいのよ」


リリスがしゃがみ込み、少女と同じ高さで話す。


少女の手が赤いリボンへ伸びる。


だが、母親がその手を握った。


「本当に、罰せられないのですか?」


「販売実験は皇女殿下の許可を得ています」


「でも、娘の配給札に記録が残ります」


配給札。


帝国国民が全員持つ、薄い金属板。


食料、衣服、薬、仕事、住居。


すべての支給記録がそこへ保存される。


少女が赤いリボンを手に取った瞬間、母親の持つ配給札が黒く光った。


ほんの一瞬だった。


だが、俺は見逃さなかった。


「今の光は?」


「何でもありません」


母親は札を隠した。


「見せてもらえますか?」


「駄目です」


怯えた声だった。


尋ね続ければ、さらに怖がらせる。


俺はそれ以上追及できなかった。


少女は赤いリボンを髪へ結んでもらった。


鏡を見た瞬間、その顔に笑みが広がる。


この国へ来てから見た中で、一番自然な笑顔だった。


「きれい?」


少女が尋ねる。


母親は泣きそうな顔でうなずいた。


「ええ。とても」


リリスが少女の髪を整える。


その横顔は優しかった。


人の気持ちを読む力。


商品を選ぶ楽しさを伝える力。


俺が彼女を店長に選んだ理由だ。


それだけのはずだった。


だが今、少女と笑い合うリリスから、なぜか目を離せなかった。


「店長」


「何だ」


「見すぎです」


「売り場を見ていただけだ」


「私の顔に売り場はありません」


「気のせいだ」


「そういうことにしておきます」


彼女は少しだけ笑った。


胸の奥が、妙にくすぐったくなる。


そのときだった。


店内の扉が、一斉に閉まった。


重い金属音。


窓の外へ、黒い装甲の騎兵が並ぶ。


《秩序騎兵》。


機械仕掛けの帝国兵。


目に当たる部分が赤く光り、同じ声で告げる。


「無許可選択行動を確認」


「皇女の許可はある!」


俺が叫ぶ。


「販売実験の許可は確認済み」


「なら、何が問題だ!」


「選択傾向の基準値超過を確認。購入者を再教育対象として回収する」


赤いリボンをつけた少女が、母親へしがみついた。


母親の配給札が、再び黒く光る。


購入した商品ではない。


誰が何を選んだかを記録している。


黒瀬の言葉が脳裏によみがえった。


選択は失敗を生む。


違う。


この国では、選択そのものを罪の証拠にしている。


「ガルド、客を守れ!」


「待っていた!」


ガルドが笑う。


今度は接客用ではない。


本職の顔だった。


「笑顔の練習より、こちらのほうが簡単だ!」


「笑顔で剣を抜くな!」


秩序騎兵が窓を突き破る。


ガルドは剣を抜かず、飛び込んできた一体の腕をつかんだ。


「商品を傷つけるなと、店長に言われている」


そのまま床へ投げつける。


床が割れた。


「店を傷つけるなとも言った!」


「両方は無理だ!」


「努力しろ!」


別の騎兵がカップ売り場へ向かう。


バルグが巨大な体で棚をかばった。


「高級食器だ」


騎兵の槍を片手で受け止める。


「割るな」


拳を振り抜き、騎兵だけを壁へ埋め込んだ。


棚のカップは一つも揺れていない。


「なぜ食器を守る時だけ器用なんだ!」


「職人だからだ」


「普段の硬いパンにも、その繊細さを使え!」


リリスの魔糸が、買い物かごを次々につないでいく。


「店長、伏せて!」


巨大な網になった買い物かごが、三体の騎兵をまとめて捕らえた。


ゼファーが香辛料の瓶を床へ投げる。


赤、黄、黒の粉が舞い上がった。


騎兵の魔導視覚が乱れ、互いに衝突する。


「高級香辛料だぞ!」


俺が叫ぶ。


「命と在庫、どちらが大事だ!」


「在庫を守りながら命も守るのが百貨店だ!」


「要求が多い!」


「店長だからな!」


俺は売り場の防火扉を確認した。


三つの区画。


敵は中央に集中している。


「リリス、右側へ誘導してくれ!」


「任せてください!」


「ガルド、三秒後に中央から離れろ!」


「三秒でいいのか?」


「今日は短くていい!」


リリスが魔糸で騎兵の足を引く。


ガルドが正面から押し返す。


敵が中央区画へ集まった瞬間、俺は防火扉のレバーを下げた。


重い鉄扉が落ちる。


秩序騎兵の部隊が分断された。


「今だ!」


ガルドとバルグが左右から突入する。


リリスの魔糸が関節を縛り、ゼファーが制御魔石を抜き取る。


最後の一体が、赤いリボンの少女へ腕を伸ばした。


俺は考えるより先に、その前へ飛び出していた。


「店長!」


鋼鉄の腕が迫る。


避けられない。


そう思った瞬間、腰へ糸が巻きついた。


体が後方へ引かれる。


騎兵の腕が、目の前の空間を薙いだ。


俺はそのままリリスの胸元へ倒れ込んだ。


「無茶をしないでください!」


「少女が……」


「少女も、店長も守ります!」


彼女の声が震えていた。


怒っている。


いや。


怖がっている。


俺が傷つくことを。


その事実に気づいた瞬間、戦闘中だというのに胸が熱くなる。


「すまない」


「謝罪は後です」


リリスの目が鋭くなる。


「私の店長へ触れた代金、高くつきますよ」


魔糸が閃いた。


騎兵の手足が、ばらばらに分解される。


「壊しすぎだ!」


「返品します」


「返品先が分からない!」


戦闘は十分ほどで終わった。


幸い、客にけが人はいない。


だが、赤いリボンの少女と母親は、震えたままだった。


俺は二人の前にしゃがんだ。


「もう大丈夫です」


母親は答えなかった。


ただ、俺の背後を見ていた。


壊れた騎兵の目が、まだ赤く点滅している。


その光は、中央管理塔へ向けて細い線を伸ばしていた。


売り場の記録が送信されている。


誰が商品を選んだのか。


何色を選んだのか。


何度迷ったのか。


すべて。


「店長」


ゼファーが、壊れた騎兵から薄い記録板を抜き取った。


そこには、今日の購入者名簿が表示されていた。


名前の横に、小さな分類記号がある。


青。


黄色。


赤。


赤い記号の横には、こう記されていた。


《統制不適合の可能性あり》


「選んだ人間を、分類していたのか」


俺の声が低くなる。


店を開いたのは俺だ。


自由に選んでいいと言ったのも俺だ。


その結果、客の名前が帝国へ送られた。


俺の売り場が、監視装置として利用された。


背中に冷たい汗が流れた。


売上が、反逆者の名簿になった

翌朝。


赤いリボンの少女は、店へ来なかった。


母親も来ない。


家を訪ねたゼファーが戻ってきたのは、昼過ぎだった。


いつもの軽い表情は消えている。


「家は空だった」


「外出しているだけじゃないのか?」


「食器も服も残っていた。昨日買ったリボンだけが、床に落ちていた」


リリスの顔色が変わる。


「連れていかれたのね」


「どこへ?」


俺が尋ねる。


ゼファーは、秩序騎兵から抜き取った記録板を机へ置いた。


「中央塔の地下へ、購入記録が送られている。普通の配送記録なら地上の管理室へ行くはずだ」


「地下に何がある?」


「分からない。地図にも載っていない」


俺は売り場を見回した。


昨日まで、ここで人々が商品を選んでいた。


白パン。


甘いパン。


赤いリボン。


花柄のカップ。


軽い布靴。


小さな選択が、少しずつ笑顔を生んでいた。


その笑顔を、俺が危険にさらした。


「店を閉める」


自分の声が、遠く聞こえた。


「店長」


リリスが俺を見る。


「これ以上、客を巻き込めない」


「だから店を閉めるんですか?」


「俺たちが来なければ、あの子は連れていかれなかった」


「違います」


「違わない!」


思わず声を荒らげた。


全員が黙る。


「俺が赤いリボンを並べた。俺が選んでいいと言った。その結果、あの子の名前が記録されたんだ」


「それでも違います」


リリスは一歩も引かなかった。


「選んだことが間違いなのではありません」


紫色の瞳が、まっすぐ俺を射抜く。


「選んだ人を罰する国が、間違っているんです」


言葉が胸へ刺さった。


「店を閉めれば、あの子は戻ってきますか?」


「……戻らない」


「人々は自由になりますか?」


「ならない」


「でしたら、店長が今するべきことは一つです」


リリスが赤いリボンの切れ端を、俺の手へ押し込んだ。


「お客様を迎えに行きましょう」


俺は手の中のリボンを見た。


売り場を開くことだけが、百貨店の仕事ではない。


商品を選んだ人が、安心して家へ帰れるところまで。


そこまで責任を持って、初めて商売になる。


「中央塔へ潜る」


俺は顔を上げた。


「地下の記録を見つける。少女と家族を救い出す」


「ようやく、いつもの店長ですね」


「いつもの俺は、そんなに無茶か?」


「国の仕組みを一つ壊す程度には」


「市場調査だ」


「その言い訳、第1話でも聞きました」


夜。


俺たちは帝国の配送馬車へ紛れ込み、中央塔の地下搬入口へ侵入した。


ゼファーが偽造した配送札を見せる。


警備兵は札を確認し、無言で門を開けた。


「本当に通ったな」


ガルドが驚く。


「私を誰だと思ってる?」


ゼファーが胸を張る。


「看板へ自分の顔を描いて、偽名が即座にばれた男」


「過去の失敗を在庫として持ち続けるな」


地下通路には、人の気配がなかった。


代わりに、巨大な箱が延々と運ばれている。


箱には三色の印がついていた。


赤。


青。


黄色。


実験店舗で売った商品と、まったく同じ色だ。


「開けるぞ」


ガルドが一つの箱へ手をかける。


蓋を持ち上げた瞬間、全員が息をのんだ。


中に入っていたのは、リボンではなかった。


細長い金属製の兵器。


赤い魔石。


人間の感情へ反応する魔導針。


別の箱には、青い装甲。


黄色い拘束具。


俺たちが売った商品の色に合わせて、兵器が分類されている。


「なぜ、商品と同じ色を……」


リリスがつぶやく。


通路の魔導灯が一斉に点灯した。


壁一面に、巨大な文字が浮かび上がる。


購入者一覧。


今日までに商品を選んだ人々の名前。


その横には、選んだ色、迷った時間、同行者、会話内容まで記録されている。


好みではない。


思想の分析だ。


誰が何を欲しがるか。


誰が国家の決定より、自分の感情を優先したか。


その記録から、帝国へ逆らう可能性を計算している。


天井から、黒瀬の声が響いた。


『選択とは、個人を識別する情報だ』


「黒瀬!」


『赤を選ぶ者。青を選ぶ者。支給品とは異なる形を望む者。そこから、性格も欲望も恐怖も推測できる』


「そのために販売実験を許したのか!」


『君が証明してくれた。人間は自由を与えられれば、本性を見せる』


壁の表示が切り替わる。


《反体制者候補》


数十人の名前が並んだ。


昨日、白パンを選んだ男性。


花柄のカップを選んだ老女。


布靴を履いて跳びはねた少年。


俺の売り場で、ほんの少し笑った人たち。


その一番上に、赤い文字が浮かび上がる。


赤いリボンを選んだ少女の名前。


所在。


《再教育区画・収容済み》


俺の指先から、赤いリボンが落ちた。


黒瀬の声が、地下倉庫全体へ冷たく響く。


『誰が何を欲しがるか分かれば、その人間が何を恐れるかも分かる』


壁の奥で、巨大な扉が開き始める。


その向こうから、無数の足音が聞こえた。


赤、青、黄色。


商品と同じ色に塗られた秩序騎兵が、暗闇の中で一斉に目を覚ます。


『おめでとう、高城君』


黒瀬が笑った。


『お前の売上が、反逆者の名簿になったんだ』


そして表示板の最下段に、新しい名前が追加された。


《最優先排除対象》


高城直人。


その直下に、もう一人。


リリス。


彼女の名前の横には、赤い文字でこう記されていた。


《高城直人を守るためなら、国家へ反逆する可能性、九十九・八パーセント》


「ずいぶん高く評価されたものですね」


リリスが笑った。


だが、その声はわずかに震えていた。


次の瞬間。


地下倉庫の出口が、すべて閉ざされた。


第2話・完

次回

第3話

夜市を開いたら、帝国で革命が売れた

自分の商売が人々を危険にさらしたと知り、店を閉めようとする直人。


しかしリリスは、彼の胸ぐらをつかんで告げる。


「選ばせたことが間違いなのではありません」


「選んだ人を罰する国が、間違っているんです」


二人が向かうのは、帝国から不要と判断された人々が暮らす地下街《返品街》。


そこで開かれた小さな夜市が、やがて帝国全土を揺るがす革命の火種となる。

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