第83話:相棒
私は準備広場のいつものベンチに腰を下ろした。
今日も深層に行くため、装備の最終確認を行っていると、近づいてくる足音があった。
顔を上げれば、颯真くんだった。
挨拶をしようとして、私は違和感を覚えた。
彼の歩調が、私の記憶するものとわずかにズレているような気がしたのだ。
よく観察してみれば、微かに足を引きずり、体も僅かに傾いている。
「よう、静河」
私の前に立った彼は笑った。
その笑顔だけ見れば、いつもの彼と何ら変わりがなかった。
「俺の勘がよ、今日はもっといけるって言ってやがるんだ。だから、見つけてやろうぜ。今日こそ、震源地をよ」
頼もしい言葉も、まったくいつもの彼らしい。
だが、しかし、肉体がそれに追いついていない。
当然だ。
彼は退院して間もない。
深層で遭遇したモンスターを相手に渡り合った。
さらに、彼の直感が危険だと訴える方へと進んだ。
中層よりもずっと死が近くにある深層において、長時間の緊張を強いられてきた。
その負荷が回復しきっていないのだ。
私は颯真くんを見上げた。
「……何だよ、おい。行くんだろ?」
怪訝な顔をする彼に、私はどう伝えるべきか思考を巡らせた。
あなたは疲れている。
休んでほしい。
事実をそのまま伝えれば、彼は素直に応じるだろうか。
……いや、そんなことはないだろう。
問題ない、自分なら大丈夫だ——そんなふうに言うに違いない。
ダンジョンという不条理な現場において、無理をするということは致命傷になり得る。
その事実は彼も知っているはずだが、今の彼はそれを忘れているような気がする。
先程の、私に向けられた言葉。
彼は、楽しそうでもあった。
事実、楽しいのかもしれない。
深層を探索することが。
その気持ちは、ほんの少しだけだが、私にもわかる。
未知を前にした恐怖は確かにあるが、少しも興奮しないかと言ったら嘘になる。
だが、このままでは駄目だ。
なら、どうする?
止まればいいのだ、私が。
「颯真くん。本日の深層への探索ですが、中止させてください」
「おう、早く行こうぜ——って、おい。中止って何でだ? 行く気満々の装備じゃねえか」
「さっきまではそうでした。ですが、忘れていたのです。昨日の戦闘データを一晩かけて解析した結果、今の私の機材と戦術にいくつか見直すべき点があったことを」
「なるほど……?」
「なので、今日は不足している資材の調達と、装備の保守に充てさせてください。つまり、完全な休養日です」
「お前が休むなら、俺一人で——」
「いえ、それは困ります。私一人では、今日調達する予定の資材をすべて運びきれない可能性が高い。なのであなたの腕力を提供してほしい」
颯真くんは私を見て、やがて大きく息を吐き出した。
「……せっかく気合い入れてきたってのによ」
「申し訳ありません」
「……仕方ねえな。付き合ってやるよ。何せ相棒の頼みだからな」
相棒。
そう口にした時、彼が浮かべた笑みは、これまでとは違う種類のものだった。
同時に、私の胸の奥にも熱いものが生まれた。
「……ありがとうございます」
「おうよ」
私たちは揃って探索者協会の外へ出た。
初夏の風が心地よく、ダンジョンの重苦しい空気とは対極にあった。
私たちはバスで、市街地にある大型のホームセンターへ向かった。
店に入り、カートを押して資材のコーナーへ向かう。
私が棚から選び、防毒マスクの交換用フィルター、計器用の小型電池、シーリングテープといった消耗品を、カートの中に入れていく。
颯真くんがカートを覗き込み、怪訝そうに眉を寄せた。
「……おい、静河」
「何でしょう?」
「これ、全然重くねえよな? まさか俺の腕力をバカにしてるのか?」
不満を漏らす彼に、私は棚の成分表から視線を外さずに答えた。
「いえ、バカにはしていません。頼りにしています。本当に」
「だったら——」
「ですが、あなたを休ませる口実としては有効でした」
「……はあ?」
颯真くんが目を丸くする。
私は彼の方へ向き直った。
「今のあなたには休息が必要だと、私は考えました。ですが、素直にそれを伝えたところで、あなたは応じてくれましたか?」
「…………………………応じねえ」
「よかった。それでこそ、私の知っている颯真くんです」
「バカにしてるわけじゃねえんだよな?」
「もちろんです」
颯真くんは呆れたように、しかし私をしばらく睨みつけていたが、私は次の資材を選び始める。
建築用の高機能な衝撃吸収ジェルパッド、それに耐切創性の作業用ベストだ。
彼はしばらくその場に立ち止まり、唸っていたが、結局、黙って私の後をついてきた。
「……おい、笑ってねえか?」
「笑っていませんよ」
「嘘つけ。俺には笑ってるように見えるんだが」
「気の所為ですよ」
本当だ。
笑ってなどいない。
「……はぁ」
颯真くんはため息を吐き出した。
私たちはそのまま、ホームセンターの中を並んで歩いた。
在庫が心許なくなっていた資材を見つけては、カートの中に入れていく。
途中から颯真くんも、
「……これ、なかったな」
などと言いながら、バッテリーの予備などをカートに入れていった。
明るい照明。
整然と陳列された日用品の数々。
穏やかな環境音楽が聞こえてくる。
常に死と隣り合わせの選択を強いられるダンジョンとは、完全に別空間、まるで異世界のようですらある。
颯真くんがぽつりと漏らした。
「……外は平和だな」
「ええ」
颯真くんの横顔には、ダンジョンの中にいる時のような緊張感はなく、やわらかい眼差しでペットコーナーを眺めていた。
「……お袋が犬を飼いたいって言い出してよ」
「すでに大型犬を飼っていると思っていたのですが」
「いや、飼ってねえよ?」
「そうでしたか」
「何でそんなふうに思った——いや、待て。おい、その大型犬って俺のことを言ってるんじゃねえだろな!?」
「颯真くん、そろそろお腹空きませんか」
「おい、静河!」
「どうです?」
彼の腹の虫が、彼の代わりに応答した。
ホームセンターの近くにある定食屋に入った。
昼時ということもあり、店内は混雑していたが、何とか2人分の座席を確保することはできた。
私は肉野菜炒め定食を、彼は豚の生姜焼き定食でご飯は大盛りを注文した。
箸を進めながら、彼がふと口を開いた。
「……静河」
彼が少しだけバツの悪そうな顔をする。
「……確かに俺の身体は悲鳴上げてた」
彼は箸を置き、自分の右肩を軽く揉んだ。
「退院したばっかなのに、気分が高揚しちまって。今朝起きたら、体が鉛みてえに重くてよ」
肉体的な負荷をかけずに精神を弛緩させたことで、彼の口から素直な言葉がこぼれ落ちる。
「けど、ここで休んだら、勘が鈍っちまうような気がして。意地張ってた」
私は味噌汁を一口飲み、彼を見た。
「無理をすれば、ダンジョンはそれを容赦なく突いてきます。限界を見極めることも、生き残るための手段です」
「わかってる——わかってはいたんだ。だけどよ、楽しかったんだ。お前とダンジョンに潜るのが。俺とは全然やり方の違うお前と、ダンジョンの中で噛み合ってくるのがよ、本当に楽しかったんだ」
「………………同じです」
「……そっか」
「……ええ」
彼が照れくさそうに笑った。
「けど、お前が止めてくれてよかった。……サンキュー、相棒」
「あなたの言うとおりですから」
「?」
「私とあなたは、相棒ですから」
私が差し出した拳に、彼は破顔して、自分のそれをぶつけてきた。
夕方、颯真くんと別れ、私は宿舎に戻ってきた。
買ってきた資材を所定の位置に整理し、明日のための準備を整える。
夕食は卵雑炊にした。
シンプルだからこそ奥が深い。
卵の火加減、追加する食材、出汁の種類。
今日はカニカマを足すことにした。
旨味も出るし、経済的で、相性もいい。
最高の相棒と言えるだろう。
一口食べる。
「……美味い」
あとは黙って、完食した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
もし、少しでも『面白い』『続きが気になる』と思っていただけましたら、
ブックマークと、下の【☆☆☆☆☆】で評価して応援いただけると執筆の励みになります。




