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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾
第8部

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第83話:相棒


 私は準備広場のいつものベンチに腰を下ろした。


 今日も深層に行くため、装備の最終確認を行っていると、近づいてくる足音があった。


 顔を上げれば、颯真くんだった。


 挨拶をしようとして、私は違和感を覚えた。


 彼の歩調が、私の記憶するものとわずかにズレているような気がしたのだ。


 よく観察してみれば、微かに足を引きずり、体も僅かに傾いている。


「よう、静河」


 私の前に立った彼は笑った。


 その笑顔だけ見れば、いつもの彼と何ら変わりがなかった。


「俺の勘がよ、今日はもっといけるって言ってやがるんだ。だから、見つけてやろうぜ。今日こそ、震源地をよ」


 頼もしい言葉も、まったくいつもの彼らしい。


 だが、しかし、肉体がそれに追いついていない。


 当然だ。


 彼は退院して間もない。


 深層で遭遇したモンスターを相手に渡り合った。


 さらに、彼の直感が危険だと訴える方へと進んだ。


 中層よりもずっと死が近くにある深層において、長時間の緊張を強いられてきた。


 その負荷が回復しきっていないのだ。


 私は颯真くんを見上げた。


「……何だよ、おい。行くんだろ?」


 怪訝な顔をする彼に、私はどう伝えるべきか思考を巡らせた。


 あなたは疲れている。


 休んでほしい。


 事実をそのまま伝えれば、彼は素直に応じるだろうか。


 ……いや、そんなことはないだろう。


 問題ない、自分なら大丈夫だ——そんなふうに言うに違いない。


 ダンジョンという不条理な現場において、無理をするということは致命傷になり得る。


 その事実は彼も知っているはずだが、今の彼はそれを忘れているような気がする。


 先程の、私に向けられた言葉。


 彼は、楽しそうでもあった。


 事実、楽しいのかもしれない。


 深層を探索することが。


 その気持ちは、ほんの少しだけだが、私にもわかる。


 未知を前にした恐怖は確かにあるが、少しも興奮しないかと言ったら嘘になる。


 だが、このままでは駄目だ。


 なら、どうする?


 止まればいいのだ、私が。


「颯真くん。本日の深層への探索ですが、中止させてください」


「おう、早く行こうぜ——って、おい。中止って何でだ? 行く気満々の装備じゃねえか」


「さっきまではそうでした。ですが、忘れていたのです。昨日の戦闘データを一晩かけて解析した結果、今の私の機材と戦術にいくつか見直すべき点があったことを」


「なるほど……?」


「なので、今日は不足している資材の調達と、装備の保守に充てさせてください。つまり、完全な休養日です」


「お前が休むなら、俺一人で——」


「いえ、それは困ります。私一人では、今日調達する予定の資材をすべて運びきれない可能性が高い。なのであなたの腕力を提供してほしい」


 颯真くんは私を見て、やがて大きく息を吐き出した。


「……せっかく気合い入れてきたってのによ」


「申し訳ありません」


「……仕方ねえな。付き合ってやるよ。何せ相棒の頼みだからな」


 相棒。


 そう口にした時、彼が浮かべた笑みは、これまでとは違う種類のものだった。


 同時に、私の胸の奥にも熱いものが生まれた。


「……ありがとうございます」


「おうよ」


 私たちは揃って探索者協会の外へ出た。




 初夏の風が心地よく、ダンジョンの重苦しい空気とは対極にあった。


 私たちはバスで、市街地にある大型のホームセンターへ向かった。


 店に入り、カートを押して資材のコーナーへ向かう。


 私が棚から選び、防毒マスクの交換用フィルター、計器用の小型電池、シーリングテープといった消耗品を、カートの中に入れていく。


 颯真くんがカートを覗き込み、怪訝そうに眉を寄せた。


「……おい、静河」


「何でしょう?」


「これ、全然重くねえよな? まさか俺の腕力をバカにしてるのか?」


 不満を漏らす彼に、私は棚の成分表から視線を外さずに答えた。


「いえ、バカにはしていません。頼りにしています。本当に」


「だったら——」


「ですが、あなたを休ませる口実としては有効でした」


「……はあ?」


 颯真くんが目を丸くする。


 私は彼の方へ向き直った。


「今のあなたには休息が必要だと、私は考えました。ですが、素直にそれを伝えたところで、あなたは応じてくれましたか?」


「…………………………応じねえ」


「よかった。それでこそ、私の知っている颯真くんです」


「バカにしてるわけじゃねえんだよな?」


「もちろんです」


 颯真くんは呆れたように、しかし私をしばらく睨みつけていたが、私は次の資材を選び始める。


 建築用の高機能な衝撃吸収ジェルパッド、それに耐切創性の作業用ベストだ。


 彼はしばらくその場に立ち止まり、唸っていたが、結局、黙って私の後をついてきた。


「……おい、笑ってねえか?」


「笑っていませんよ」


「嘘つけ。俺には笑ってるように見えるんだが」


「気の所為ですよ」


 本当だ。


 笑ってなどいない。


「……はぁ」


 颯真くんはため息を吐き出した。


 私たちはそのまま、ホームセンターの中を並んで歩いた。


 在庫が心許なくなっていた資材を見つけては、カートの中に入れていく。


 途中から颯真くんも、


「……これ、なかったな」


 などと言いながら、バッテリーの予備などをカートに入れていった。


 明るい照明。


 整然と陳列された日用品の数々。


 穏やかな環境音楽が聞こえてくる。


 常に死と隣り合わせの選択を強いられるダンジョンとは、完全に別空間、まるで異世界のようですらある。


 颯真くんがぽつりと漏らした。


「……外は平和だな」


「ええ」


 颯真くんの横顔には、ダンジョンの中にいる時のような緊張感はなく、やわらかい眼差しでペットコーナーを眺めていた。


「……お袋が犬を飼いたいって言い出してよ」


「すでに大型犬を飼っていると思っていたのですが」


「いや、飼ってねえよ?」


「そうでしたか」


「何でそんなふうに思った——いや、待て。おい、その大型犬って俺のことを言ってるんじゃねえだろな!?」


「颯真くん、そろそろお腹空きませんか」


「おい、静河!」


「どうです?」


 彼の腹の虫が、彼の代わりに応答した。




 ホームセンターの近くにある定食屋に入った。


 昼時ということもあり、店内は混雑していたが、何とか2人分の座席を確保することはできた。


 私は肉野菜炒め定食を、彼は豚の生姜焼き定食でご飯は大盛りを注文した。


 箸を進めながら、彼がふと口を開いた。


「……静河」


 彼が少しだけバツの悪そうな顔をする。


「……確かに俺の身体は悲鳴上げてた」


 彼は箸を置き、自分の右肩を軽く揉んだ。


「退院したばっかなのに、気分が高揚しちまって。今朝起きたら、体が鉛みてえに重くてよ」


 肉体的な負荷をかけずに精神を弛緩させたことで、彼の口から素直な言葉がこぼれ落ちる。


「けど、ここで休んだら、勘が鈍っちまうような気がして。意地張ってた」


 私は味噌汁を一口飲み、彼を見た。


「無理をすれば、ダンジョンはそれを容赦なく突いてきます。限界を見極めることも、生き残るための手段です」


「わかってる——わかってはいたんだ。だけどよ、楽しかったんだ。お前とダンジョンに潜るのが。俺とは全然やり方の違うお前と、ダンジョンの中で噛み合ってくるのがよ、本当に楽しかったんだ」


「………………同じです」


「……そっか」


「……ええ」


 彼が照れくさそうに笑った。


「けど、お前が止めてくれてよかった。……サンキュー、相棒」


「あなたの言うとおりですから」


「?」


「私とあなたは、相棒ですから」


 私が差し出した拳に、彼は破顔して、自分のそれをぶつけてきた。




 夕方、颯真くんと別れ、私は宿舎に戻ってきた。


 買ってきた資材を所定の位置に整理し、明日のための準備を整える。


 夕食は卵雑炊にした。


 シンプルだからこそ奥が深い。


 卵の火加減、追加する食材、出汁の種類。


 今日はカニカマを足すことにした。


 旨味も出るし、経済的で、相性もいい。


 最高の相棒と言えるだろう。


 一口食べる。


「……美味い」


 あとは黙って、完食した。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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