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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾
第9部

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第113話:正しさの証明



「……私のやり方を、他の探索者のスタンダードモデルにするというお話ですが」


 協会のロビーの端に設けられた、探索者だけでなく訪問者にも解放されている共有スペースで、私は女性——経済産業資源省の新多氏と対面していた。


「引き受けてくださいますか!?」


 輝くような瞳で、彼女は私を見た。


 ただ純粋に私のやり方が正しく、それを広めることがすべての探索者にとって正解であると信じて疑わない、そんな純白の善意がそこにはあった。


 かつて私が静河くんに代わって決別した、静河くんの家族や幼馴染のように、自らの都合で私を搾取しようとする相手であれば、冷静に見切りをつけることができるのだが……。


 胸の奥に、割り切ることのできない重さが沈む。


 ……それでも、私の答えは決まっていた。


「……申し訳ありません。お断りさせていただきます」


 私がそう告げると、彼女は、


「え」


 と言って、固まってしまった。


 申し訳ないと、そう思う気持ちがあることを否定しない。


 それでも、やはり。


 私は静かに話を続けた。


「……私が現場で行っていることは、あなたが期待するような特別なことではありません。その場の空気を読み、足元の安全を確かめ、無理や無茶をせず、状況次第では即座に撤退を選択する。そうやって、ただ慎重に業務を行っているだけです」


「特別なことは何もしていないと? 他の探索者とは違う何かを行ってはいないと……?」


 新多氏が、すがるような声で聞いてくる。


 私は視線を伏せた。


 彼女の言葉に、一つだけ該当するものがあった。


 それは、かつての『私』の記憶だ。


 泥を啜るような納期をくぐり抜け、理不尽な現場で培ってきた経験と、リスク管理の思考。それらがこのダンジョンという不条理な現場で機能しているという事実は、確かに私だけのものだろう。


 だが、それを口にするつもりはない。何より、こんなことを告げたところで、誰も信じられるわけがない。


 私は顔を上げ、彼女を改めて見た。


「……ありません。私はただ、このダンジョンで生き残るためにできることは何かと常に考え、模索し続けているだけです」


 新多氏はそれでも何かないかと、口を幾度か開閉したが、結局、何か言うことはなかった。


 私は続けた。自分でも饒舌になっているという自覚があったが、この時だけは止められなかった。


「探索者にはそれぞれのやり方があります。直感に頼る者もいれば、特定の機材に活路を見出す者もいる。たとえそれが外から見て効率的ではなかったとしても、彼ら自身にとっては現場で生き残るための最適解なのです」


 例えば颯真くん、例えば黒木氏、例えば『赤き戦斧』、例えば——。


「私のやり方を彼らに強制することは、彼らが培ってきた長所を殺すことになります。……正直に言います。長所を殺すだけならまだいい。最悪の場合、不慣れな手順を強要したことで動きが遅れ、彼らの命すら奪う結果になるかもしれない。それでは本末転倒です」


「………………わたしがやろうとしていることが、探索者を殺す……?」


 新多氏は呆然とした表情で、そんな呟きを漏らした。


 私は何も言わず、新多氏も何も言わない。


 静かな共有スペースに、どこからか探索者たちの話し声が聞こえてくる。


 以前とは違うダンジョン。どうすれば変容に対応できるのか、彼らは真剣に話し合っている。


 いや、変化したのはダンジョンだけではない。協会もそうだ。


 探索者を取り巻く環境すべてが激変してしまった。


 それでも彼らは、ここにいる。今日まで、生き残っている。彼ら自身のやり方で。それは紛れもない、何よりも強い事実だ。


「……では、私はこれで」


 立ち上がり、私は彼女に背中を向けた。


 その時だった。


「それでも!」


 彼女が叫ぶように言った。


「それでも静河さんは結果を出しています……!!」


 と。


 私は思わず振り返り、彼女を見た。


 彼女の眼差しには、先ほどまであった迷いや怯えはなく、揺るぎない信念みたいなものが垣間見えた。


「高価な魔剣も、強力な魔道具も使用していない! それなのにA品の魔石を安定して納品し続けています! あなたのその経験や知見は、他の探索者にとって絶対に有益なはずです!!」


 私のこれまでの結果だけを見れば、確かにすごいことに見えるのかもしれない。だがそれらはすべて、生き残るために必死に藻掻いてきた結果でしかないのだ。


「静河さんのやり方で、他の探索者も同じように安全に結果を出せることをわたしが証明してみせます!!」


 彼女が宣言する。


 それは彼女の自由だ。


 私には、彼女の選択を止める権利も、権限もない。


「それが成功したら、改めてお話を受けていただきたいと思います!」


 新多氏は深く一礼すると、確かな足取りで協会を出ていった。


 私は息を吐き出した。


 気持ちを切り替えた。


 これからダンジョンに向かう。他者の決断に気を取られている余裕などなかった。




硝子花の庭園(グラス・ガーデン)』。それが今日、私が業務を行う予定のエリアだ。


 透明なガラス質の鉱物が植物のように群生し、僅かな光を乱反射させる特異な景観を持っている。


 変容が始まる前から、私はこの場所で地形と対象の特性を可能な限りすべて把握し、安定して業務を行ってきた。


 だが、今はそれも難しくなっている。変容の波は、すでにこのエリアにも及んでいるからだ。変容発生後に訪れ、地盤が局所的に脆くなっていることを確認したのだ。


 もし不用意に体重をかければ?


 地面が割れ、刃物のように鋭利な鉱物が敷き詰められたところへ落下することになる。


 私は安全な硬さを保っているルートを、ハンマーの打音で探りながらゆっくりと進む。もちろん、この打音すら欺かれる可能性があるため、打音だけに頼り切ったりはしない。不自然な違和感は存在しないかどうか、最大限注意深く観察もした。


 その時、頭上の鉱物に、揺れる影が映った。


 乱反射する光の奥に、周囲の景色に完全に擬態したシルエットが潜んでいた。


 鏡面蝶(ミラー・バタフライ)


 このエリアに生息し、光の屈折を利用して死角から鋭利な翅で対象を切り裂くモンスターだ。


 私は歩みを止め、岩陰に身を寄せた。


 前回来た時には、モンスターには変容は起こっていなかった。今回はどうだろう。私は観察した。


 対象の動きに違和感はない。過去のデータと照らし合わせても、特段の変化は見当たらない。


 私は落ちている石を拾い、投げた。


 対象が石に向かって攻撃をする。その攻撃にも、目新しいものはなかった。


 最後に、寄生モンスターの有無も確認したが、これもない。


 結論。対象は変容していない。


 そこまでしてから、私はようやく対象を処理するための手順を確認する。


 対象の軌道と、足元の脆い地盤の位置を頭の中で重ね合わせた。


 サバイバルナイフを抜き放ち、あえて少し足音を立てた。


 光が歪み、対象が私を認識して上空から鋭角に突進してきた。


 私は対象を誘導し、脆い地盤へと激突させた。


 鋭い破砕音とともに地面が崩落し、対象は刃物のように鋭利な鉱物が敷き詰められた場所へと落下する。


 虫の息状態になっている対象を確認して、私は慎重にその場に降り、対象を処理した。


 光属性の魔石を手に入れた。


 そうやって、環境の変容を逆に利用することで、私は予定していたノルマを完遂した。




 定時に帰還し、魔石を換金して協会の外へ出れば、夕暮れでもまだまだ暑い空気だった。


 帰り道、私はスーパーマーケットに立ち寄った。


 夏らしい食材で夕食を作るつもりで、ゴーヤを買うつもりだったのだが、とうもろこしが特売だった。


「……予定は変更です。今日はこれにしましょう」




 宿舎に戻り、夕食を作った。


 とうもろこしの炊き込みご飯と、枝豆の天ぷらだ。


 炊き込みご飯は炊きあがった直後、炊飯器の蓋を開けて、とうもろこしの芯を取り出してから、熱いうちにバターと少量の醤油を回し入れた。


 枝豆の天ぷらは、鞘から出した鮮やかな緑をごく少量の小麦粉で繋ぎ、揚げるだけ。特に手を加えずとも、旬のものは美味いのだ。


 まずはとうもろこしの炊き込みご飯。とうもろこしの弾けるような食感と、噛むほどに広がる自然な甘み。そこにバターと醤油の風味が重なる。


 次に、枝豆の天ぷら。油を纏った枝豆の気持ちいい歯ごたえ。青々しい香りと豆本来の甘み。食べる直前に振った塩がいい仕事をしている。


「……美味い」


 ゴーヤを購入し、ゴーヤチャンプルーにするつもりだったが、この変更は悪くないどころか、むしろ最高だった。




 翌日。


 管理協会の記載台で書類の準備を終え、事前審査の窓口へ向かおうとした私の視界に、見知った姿が入った。新多氏だ。


 だが、彼女はスーツ姿ではなかった。


 真新しい防具を身に纏い、その腰には安価だが実用的なサバイバルナイフが下げられている。


 私が愛用しているものと似ている。


 そしてそれはナイフだけでなく、手袋、足元の安全靴もそうだった。


 彼女は私に気づき、小走りで近づいてきた。


 その手には、発行されたばかりの探索者ライセンスが握られていた。


 国がダンジョンに関与することになり、探索者ライセンスは等級制が導入された。等級IIIが浅層限定、等級IIが中層、そして等級Iにならなければ深層に行くことはできない。また、それぞれ上位ライセンスの取得には一定の稼働実績と厳格な筆記試験、講習の突破が必須となっている。


 この制度が導入された時点で、すでに探索者として実務経験のある者たちはその経験に応じた等級のライセンスを取得している。


 まったくの新人である彼女は、当然、等級IIIのライセンスだった。


「静河さん! わたし、探索者になりました! 静河さんのやり方が、誰にでもできる正しい方法なんだって、わたしが現場で証明してみせますから!」


 別の探索者に依頼してデータを集めるのだとばかり思っていた。


 だが、彼女は自らの命を懸けてまで私のやり方を実践しようとしている。


 ダンジョンは、自分の足で立つと決めた者すべてに開かれた場所だ。


「いってきます!」


 新多氏は満面の笑みを浮かべ、すべての検査を突破し、ダンジョンに消えていった。最後にもう一度だけ振り返り、手を振って。


 私はその場に少しの間、ただ立ち尽くしていた。




 そして、その次の日——。


 私は管理協会のロビーで、壁面に固定された掲示板を見ていた。


 毎朝のルーティンとして確認する、未帰還者リスト。


 印字された名前の列を、上から順になぞっていく。


 そして、ある場所で私の視線は完全に停止した。


 そこには、新多京香という文字が記載されていた。


 私はその文字を見つめ続けた。


 気がつけば周囲の喧騒は遠ざかり、ただ乾燥した空調の風だけが頬を撫でていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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