74婚約成立
ロザリーと辻馬車でロザリーの実家のヴィリエ家に向かうと、僕らのことを使用人の二人まで含めて全員で出迎えてくれた。
僕はそれだけで、受け入れられているんだと分かって、肩の力を抜くことが出来た。
和やかに世間話をしながら、食事をする。
子どもの頃からよくこうしてこの家で、この顔ぶれでご飯を食べてきた。
それが今後も時折はあるのだろうと思うと、嬉しい。
多分、僕がダンジョンに潜っていたことを、知っているのだろうと思う。
ロザリーを置いて僕が長期に家を空けることを良しとするわけがないことを知っているだろうし、魔術師の塔と魔術師庁に勤めている二人がいる家だ。
最近の仕事についての話題が不自然なまでに出ないから間違いないだろう。
全員が僕にとって大丈夫な人しかいないこの家は、僕にとっても安らぎの家で、自分の実家ではないのだけど、かなりくつろいでしまっている。
ロザリーと結婚させてください、と死ぬ気でお願いをしたのは、あの同居を始めた直後だ。
その時に、もうロザリーの返事次第だ、と、御一家からは許しを得ているので、今日は緊張する場面ではない。
食後のお茶になったとき、クロードさんがトレイに載せた書類をテーブルに持ってきた。
あれは、婚約誓約書だ。
ロザリーが、それを受け取り、それが何かに気が付いて、さらに既に必要なことは書き込まれているのを見て、「はあ?」と可愛くない声を上げた。
「ほら。ロザリーさっさと署名なさいな」
ロザリーの母親のジゼルさんが、迫力のある笑顔でロザリーに署名を促した。
ロザリーの署名と、今日の日付を書くだけで、完成する状態なのだ。
ロザリーは母親の言葉に背中をピッと伸ばすと、条件反射的にさらさらと署名をして、それからようやく、ここにいる面々の顔を見まわしている。
お義母さん、ありがとうございます。
ロザリーがぎゃあぎゃあと何か言い出す前に署名させてくださって。
クロードさんは、ロザリーが署名を終えた書類を、涙を拭きながら回収すると、家長のベルナールさんのところへ持って行った。
使用人二人は、あのお嬢様がとうとう婚約、と感極まってくれているらしい。
ヴィリエ家の家長の手によって今日の日付が書き込まれて書類が完成したとたんに、紙が一瞬青く光る。
無事に婚約が成立した証だ。
貴族院には、この紙に仕込まれていた魔術により複製が出来ているはずで、後日原紙であるこの誓約書を貴族院に提出すると、複製と、今度は婚姻誓約書が受け取れる。
婚姻誓約書は、結婚式のときに神殿で署名する、アレだ。
僕も人生で初めての婚約だから、紙が青く光るのは初めて見たけど、ロザリーも感心した顔をして紙を眺めている。
僕は、これで僕達がただの友人ではなくて婚約者になったのだという事実に、笑みがこぼれた。
「では、これからはお義父さん、お義母さん、お義兄さん、と呼んでも?」
そう言ってみたら、お義母さんは嬉しそうにすぐに頷いてくださり、お義父さんは一瞬戸惑った顔をしながらも頷いてくださった。
でも、僕が学院時代から長らくロザリーに執着していたのをよく知っているアルセーヌ君だけは、嫌そうな顔をした。
「アルセーヌ義兄さん、何か?」
僕のロザリーへの執着はもう筋金入りなんだから、諦めてもらうしかない。
何か文句があるならどうぞ?
僕がアルセーヌ君にそう思いながら笑いかけたら、「いや、なんでもない、これから長い付き合いだ、よろしくな」と返してくれた。
「ロザリーの事、よろしくお願いしますね」
「くれぐれも頼んだぞ」
お義母さんお義父さんからの言葉に、僕は「はい、ロザリーを思う存分甘やかして、一生共に幸せに過ごします 」と心を込めて宣言した。
僕のその言葉をきいたロザリーが何故か飲みかけていたお茶を噴き出して、アンヌさんに世話を焼かれていた。
その後、僕はお義父さんと書斎で今後の打ち合わせをした。
まず、父からの結婚式の日取りの候補を見せると、最初は驚き、そしてすぐに大笑いをした。
「一番遅い日付で二か月後、一番早いのは10日後じゃないか!」
僕らのように高位貴族は大抵婚約期間を一年ほどは持つことが多い。
そして、10日というのは、婚約から結婚まで、法的に認められている最短の日数だ。
10日間の間、この婚約に異議のある場合は申し立てることができる、という制度があるのだ。
政略結婚なんかの時のためにある制度なんだとか。
「その、以前ロザリーの承諾さえ得れば、というお許しをいただいた時点で、こちらでウエディングドレスやアクセサリーなど時間のかかるものは発注しておいたので、もう完成しているんです」
「そうか、随分と手回しのいいことだな。その分では領主としてもちゃんとやれそうだな」
「それは…まだ若輩で、自分からはなんとも…。でも、力の及ぶ限りは領民の暮らしが良くなるように努めるつもりです。それから、ロザリーに領主夫人としての重責はあまり持たせないようにしようと思っています」
「うむ、社交界での人付き合いをさせると、むしろ面倒くさそうだしな…無理のない範囲で何とか頼む」
「はい、大丈夫です。それと、僕の領地でも、領民向けの式を挙げることになると思うので、そちらの日取りももし参加していただけるならご都合を…」
そんな感じで色々取り決めて、僕がリビングに戻ると、ロザリーはお風呂に入っていたようだった。ドレスにお茶を噴き出してしまったので、洗濯したかったのもあったらしい。
お義母さんが泊っていったら?と言ってくださったけど、ロザリーが明日は仕事なので、と帰ることにした。
実際、ロザリーが明日は出勤なので、ここからだと早起きしなくてはならないこともあったけど、一番の理由は、ここに泊るとロザリーと寝室が別になるからだ。
僕はまだロザリー欠乏症なので、ロザリーを抱き込んで寝たいのだ。
帰りはヴィリエ家の馬車で送ってもらえることになり、馬車に乗り込んで二人きりになった途端に、ロザリーからの追及が始まった。
「あの誓約書、どういうこと?」
「どういうことって何が?」
「今日の私の返事を聞いてから用意したものじゃないでしょ!」
「そうだけど?」
「だからどういうこと?」
「うーん…えーと…。僕、同居を始めたときから、君のご両親に、ロザリーと結婚させてくださいってお願いしてたんだ。で、最終的にはロザリーが決めることだからって言われていて。でも、そのときに、君の父上と色々約束を交わしてね、この誓約書も用意したんだ。だから、もう何カ月も前にはあそこまで出来上がってて、今日ようやく完成したって流れかな」
ロザリーは目をパチパチとさせて、自分だけが知らずにいたことを何とか飲み込もうとしているらしい。
そして、済んだことについては糾弾するのを諦めたようだ。
「あなたのご両親はどう思ってるの?どこの馬の骨ともわからない私のこと反対なさっているから、顔合わせもしていないんじゃないの?」
まあ、確かに婚約式、とかいって、大々的にやる人たちもいなくはない。
そういうときは、両家の親や親戚や友人なんかも集まったりする。
でも、そういうのって大抵は政略結婚で、事前にお互いのことを知らない場合が多い。
大恋愛の末嬉しさのあまりにやる人もいるけど。
「バカだなあ、君はヴィリエなんだよ?馬の骨なわけないじゃないか。むしろ僕が玉の輿なんだよ?それにね、学院時代にうちの両親は君とは数度話をしているよ。夏休みに僕の別荘で、とか、卒業式で、とか」
「…そうだった、ご挨拶したことあった…お母様が妖精のルーツだったっけ…それにしても、実家の誰からもカミーユがそんな前から申し込みしてただなんて話、聞いてなかったけどなぁ…」
「うん、だって君が承諾してくれるまで意味もないことだし、誓約書も出番のないものだったしね。僕の予想ではもうあと一年くらいかかるかと思ってたんだけど、ダンジョン行きのおかげで随分早まった」
「あの。私が絶対に受け入れないっていうパターンがあること、思いつかなかったの?」
ロザリーは、自分がヴィリエである自覚が本当に無いらしい。
僕らって、ロザリーの家族から見ても、多分番なんだよ?
アルセーヌ君はそのことが残念なようだけど。
でも、番云々はこの際、どうでもいいや。
もともと、僕はロザリーの胃袋を掴む作戦だったんだから。
「うん。だって君は食いしん坊だから。僕のご飯なしでこの先、生きていけるの?」
「ぐ…」
「あと一年くらいかけて、僕のご飯に散々慣れたところで、結婚してくれないともうご飯作らないから、って脅す予定だった」
これは本当のことだ。僕らの場合は、お互いの仲を進展させるのに、これくらいしか思いつかない。
「今!!脅すって言った!」
「ご飯作らないって言うことが脅しになるのって、君くらいでしょ?他の人に、『ご飯作らないって脅された』って言ったところで、のろけか、って思われるのが関の山じゃない?」
「ぐぅ…」
何も言い返せず、あっさり僕に丸め込まれている。
「うう…じゃあ、責任とって、一生美味しいもの食べさせてね?」
意外とすんなり納得したな。
もっと色々言ってくるかと思ったのに。
「もちろん。どっちの口にもお腹いっぱい食べさせてあげるから」
「…?私、口は一つだけど?」
「うん、そうだよね、言い間違えた」
うっかり下ネタを口走ってしまったけど、やっぱりロザリーに伝わるわけはなかった。
でも、結婚したら、思う存分分かるようにしてあげるからね。
長かった二人の話ですが。
いよいよ明日完結します。




