8父侯爵の憂鬱と希望の光 前編
カミーユの父、ガストン視点です。
視察から戻り、城に帰ると、留守の間に溜まっていた手紙の整理も大事な仕事のうちの一つ。
留守の間の城内のことは、妻や信頼している部下が今回も上手く回してくれていて、特に問題はなかった。
一つ変わったことがあったとするならば、学院を卒業した息子ランドルを、ここ1年は時期領主として視察に連れていっていることだろうか。
筆頭執事によって既に開封され、私自身が目を通すべき、と判断された手紙のうち、プライベートなものだけが乗ったトレーのものに目を通していく。
そして、次に手に取った手紙の封蝋の印章をみて、ふ、と口元がほころぶ。
学院時代に二つ上の学年にいて、ちょっとしたきっかけで知り合いになって親しくなり、その後はお世話になりっぱなしの人物からだった。
学院で3年生になったばかりの頃。
昼休みに食事を終えて、教室に戻ろうとしていた私は、階段の途中に座り込んで泣いている女生徒に遭遇して、焦っていた。
ちょっと食べ過ぎた、と思ったので、その日に限ってわざと遠回りになる階段を選んでいた。
昼休みにその階段を使う者は多くない。
一瞬どうしようかと冷や汗が出たが、すぐに同じクラスのジゼルだとわかり、ホッとして声をかけた。
「どうしたの?何か困りごと?」
ジゼルは同学年の女生徒の中でもかなり目立つ、くりくりと明るい大きな丸い目が印象的な、笑顔の可愛らしい少女だ。
その見た目の通りに性格も明るく元気で、男女問わずに皆に好かれ、友人が多かった。
私も、何度か雑談を交わしたこともあったので、声をかけることが出来たのだが、思春期真っただ中の自分たちの年齢で、二人きりの状態で異性と話をする、というのはかなり勇気のいることだった。
気配を察知して彼女が顔を上げるのと、私が声をかけたのが重なり、一瞬微妙な空気が流れた。
でも彼女も、どう取り繕っても、泣いていたことは誤魔化しようがない、と自分でも分かったのだろう。
ジゼルは顔に押し当てていたハンカチで涙をぬぐうと、「変なところを見せてごめんなさい。困ってはいないの。ただどうしようもなく悲しかっただけなの」と、涙声ながらに気丈に答えてくれたのだが、悲しかった、と口にしたところでまた大粒の涙がこぼれた。
休み時間はまだある。
しかしこの泣きっぷりではそろそろ泣き止まないと、ひどい顔のまま教室に戻ることになるだろう、そう思った私は、「もし嫌じゃなければ話を聞くけど?」と座っている彼女と顔の高さが同じくらいになる段に立って、様子を窺った。
女性ならではの悩みのことだってあるだろうし、級友に知られたくない話の可能性もある。
本当に話を聞くつもり、というよりは、この言葉をきっかけに、立ち上がって寮に戻るなり、教室に行くなりの行動に移ってくれればいいな、という思いからだった。
「あの。私、去年からお慕いしている先輩がいるんです」
ジゼルがためらいもなく口にしたのは……まさかの恋愛話!
異性の私にそんなことを打ち明けてきたことと、去年ということは15歳の2年生のうちに、好きな男性ができたとはすごい、と感心する気持ちと…。
自分はまだ誰かを好きになったことがなかったので、なんだか軽くショックを受けた。
でもジゼルは気付かずに話を続ける。
「初めてお会いした時から…。バカにされるかもしれないですけど、ひとめぼれ、っていうか。二学年も上なので、遠くからたまに眺めるだけだったんですけど。それでも良かったんです。でも…」
「…告白して振られたの?」
「違います。そんな勇気はないです。ただ、さっき中庭にいらっしゃる先輩のそばの廊下を通ったときに、先輩のご友人が、何かをからかうおつもりだったのか、先輩のフルネームを呼んだのを聞いてしまったのです」
話をすることで、泣き止みかけていたのに、その先輩の名前を思い出してしまったのだろう、またハンカチに顔をうずめる。
この学院では、爵位による上下関係を学内に持ち込まないために、普段ファーストネームで呼び合う。
ただ、そうなると同じ名前の者もいるために、期末テストの成績発表だとか、なにか大事な場面ではさすがにフルネームを使う。
なので、同じ学年であれば、暗黙の了解として、誰がどの家の者であるのかは把握できている。できなければ貴族としてやっていけない。
だが、二学年も上となると、確かに私も先輩たちの家名など分かる者などほとんどいない。
その学年に兄弟でもいれば別だろうが…。
ジゼルは伯爵家の娘。
上位貴族の娘であり、恋した相手が王族であるならショックをうけることもあるだろうが、現在は王家の者は在学していないし、二学年上には公爵家もいない。
相手が自分のような侯爵であっても、お互いに思い合っているのなら反対はされないだろう。
もちろん格下の子爵や男爵も同様だ。
正直、一体何が悲しかったのかが分からずにとまどった。
「ベルナール先輩の名前…『ベルナール・ヴィリエ』だったんです」
「ああ!なるほど…」
合点がいった。確かに、二学年上に、ヴィリエ家の嫡男がいることは有名だった。
ヴィリエか。確かに泣きたくもなるだろう。
…そう思った次の瞬間、脳裏に浮かんだベルナール先輩の姿に、へ?あの人に一目ぼれ?と首を傾げた。
彼はそんなに背も高くなく、ひょろっと細い体つきで、さらに猫背のためにもっと小さく見える。
学業は優秀で学年トップをキープしているそうだが、見た目に頓着せず、黒髪の前髪がいつも鼻先くらいまで伸びていて、綺麗な金の瞳はほとんど見えない。
たまに前髪の隙間から見える目もとにはクマがあって、いつも室内で本ばかり読んでいるので顔色も青白い。
昨年、何があったのか、最上級生の男子学生に片手で荷物のように抱えられて廊下を運ばれるベルナール先輩の姿を見てしまったこともあった。
…なんというか、転びでもしたら骨が折れそうな人だ。
一般的な、男性的な魅力というものは、ほとんど持ち合わせていないようにも見える人だった。
…でも、まあそこはそれ。人の好みに口を出すものではない。
…が、ジゼルのことを生暖かい目で見てしまうのはどうしようもない。
「ヴィリエはこの国で唯一王族と対等な貴族の家門です。私のようなしがない伯爵家の娘ではとても釣り合いが取れないじゃないですか…。先輩が最終学年の今年、告白しようと思っていたのに…。でも、その前に先輩がヴィリエと知れたことは、幸いだったのかもしれません。告白してから知った方がショックでしたでしょうから。私は先輩が卒業するまでの残り一年を、学院での生活が共にできることを喜ぶことにします」
明るいだけでなく、聡明な子でもあるようだ。
ジゼルは私と話すことで、気持ちの整理を自分でしていっている。
まだ涙がこぼれるが、その表情は明るさを取り戻しつつあった。
なんだかまたしても軽くショックを受け、負けたような気になった。
私はまだ誰のことも好きになったことがなく、恋しい気持ちというのは良く分からない。
それなのに、ジゼルは既に長い期間片思いをしていたようだし、さらに身分違いと自分の恋情を諦めて、自分の置かれた立場を受け入れようとしている。
「い、いや、あきらめるのは早いのではないか…?」とっさに口走っていた。
「え?」
「ヴィリエの名前に恐れおののかない貴族は確かにこの国にはいないだろう。だが、爵位上は、彼らは今、男爵だ。もしかしたらそんなにあちらは気にしていない可能性も…いや、気にしないんじゃないか?」
言っているうちに確信になった。
伯爵家でふさわしくないなら、それ以上となると侯爵か公爵か王族だ。そんな家門の嫁を求めるような気概のある一族なら、あんなに貧乏になるわけがないじゃないか!




