剣だこのある手
屋敷での暮らしにも、少しずつ慣れてきた頃だった。
朝はレオと二人で簡単な食事を取り、昼はリゼットに屋敷の周りを案内してもらう。
そんな穏やかな毎日が、いつのまにか当たり前になりつつあった。
その日、レオは朝から騎士団の稽古に出ていた。
夕方近くになって戻ってきた彼の右手に、陽向はすぐに気がついた。
「レオさん、それ……」
手の甲に、赤く擦れたような傷ができている。
「ああ、少し切っただけだ」
レオは事も無げにそう言って、そのまま部屋を出ていこうとする。
「ちょっと待ってください、手当てしましょう」
「これくらい、放っておけば治る」
「駄目です。座ってください」
有無を言わさぬ口調で言うと、レオは意外そうな顔をしながらも、素直に椅子に腰を下ろした。
薬箱を取りに行き、戻ってきた陽向は、レオの手を取って、まじまじと見つめる。
窓から差し込む夕日が、その手のひらの傷を赤く照らしていた。
大きく、硬い手だった。
指の付け根や手のひらのあちこちに、剣だこがいくつも刻まれている。
長い年月、剣を振り続けてきた証のような手だった。
こんな手で、いつも自分をさりげなく守ってくれていたのだと思うと、陽向の胸に、じんわりとした感情がこみ上げてくる。
「痛くないんですか、これ」
「慣れている」
あっさりとした返事だった。
その言い方に、陽向は少しだけむっとした。
「慣れてても、痛いものは痛いでしょう」
レオは、何か言いかけて、結局黙り込んだ。
図星を突かれたような、そんな沈黙だった。
消毒液を含ませた布で傷口に触れると、レオの眉が、ぴくりと動いた。
「……痛い?」
「痛くない」
即答だった。
けれど、その眉は明らかに何かを訴えている。
「眉毛が、痛いって言ってますけど」
「……気のせいだ」
頑なに言い張るレオがおかしくて、陽向は思わず笑ってしまった。
「本当に、意地っ張りなんですから」
苦笑しながらも、なるべく傷に触れないよう、そっと薬を塗り広げていく。
丁寧に薬を塗り、布を巻いていきながら、陽向はふと口を開く。
「痛い時は、痛いって言っていいんですよ」
「……覚えておく」
「絶対覚えない顔してます、それ」
からかうように言いながら、陽向は包帯を巻き終えたレオの手を、そっと自分の両手で包み込んだ。
初めて、自分から触れた手だった。
ごつごつとした感触が、掌に伝わってくる。
レオが、わずかに息を呑んだのが分かった。
「これまで、誰にも言われなかったんですか。我慢しなくていい、って」
その問いに、レオは何も答えなかった。
けれどその沈黙そのものが、答えだった。
騎士団という場所で、痛みを口にすることは、弱さと同じ意味を持つのかもしれない。
小さい頃から、痛みは我慢するものだと教えられてきたのだろうか。
そうやってずっと、一人で痛みを抱え込んできたのだろう。
その姿を想像すると、陽向の胸がぎゅっと締めつけられた。
陽向は、握った手に、少しだけ力を込めた。
「これからは、僕には言ってください」
レオは、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
その夜、寝台に横になりながら、陽向はレオの手の感触を思い出していた。
これまでずっと、自分はレオに守られる側だと思っていた。
不器用ながらも、いつも先に体が動いて、さりげなく気遣ってくれる。
その優しさに、ただ甘えているだけだった。
けれど今日、初めて別の感情が芽生えた。
自分も、この人を守りたい。
痛みを抱え込む癖のあるこの人の、せめて隣にいたい。
大きな手のひらに刻まれた、無数の剣だこの感触が、まだ掌に残っている気がした。
あの手が、これから先もどこかで傷つくたび、自分がそばで気づいてあげられたらいい。
そんな気持ちが、静かに、けれど確かに胸の中に根を張っていくのを、陽向は感じていた。




