守れなかった人
その夜、陽向がサロンに顔を出すと、レオが一人、暖炉の前に座っていた。
いつもは書斎で剣の手入れをしている時間なのに、今日は何もせず、ただぼんやりと火を見つめている。
手には、古びた一振りの短剣が握られている。
刃こぼれした、随分と使い込まれた様子の剣だった。
普段レオが佩いている剣とは、明らかに違うものだった。
「それ、どうしたんですか」
声をかけると、レオは我に返ったように顔を上げた。
「……昔の、部下の剣だ」
その声には、いつもとは違う、重たい響きがあった。
陽向は、そっとレオの隣に腰を下ろす。
「聞いても、いいですか」
しばらくの沈黙のあと、レオはぽつりぽつりと語り始めた。
数年前、まだ若手の指揮官だった頃。
レオの部隊には、剣の腕はまだ未熟だが、誰よりも人懐こい後輩がいたという。
いつも無理をしてでも笑ってみせる、そんな部下だったらしい。
「危険な任務だった。撤退の判断を、俺が誤った」
「その人は……」
「守れなかった」
短い言葉に、すべてが込められていた。
「俺の判断一つで、あいつの運命が変わった。それからずっと、そう思っている」
その短剣を握る指先が、わずかに白くなっていた。
炎の揺れる音だけが、しばらく部屋に響いていた。
「だから、誰かに深く関わるのが、怖いんですか」
陽向が静かに問うと、レオは短剣を握る手に、力を込めた。
「大切に思うほど、また同じ過ちを犯すんじゃないかと思う」
「守れると思うほど、油断する。守れると信じるほど、また失う」
抑えた声の中に、長年抱え続けてきた葛藤が滲んでいた。
大切なものほど、失うのが怖い。
その気持ちは、陽向にも分からないでもなかった。
日本を離れる前、家族にΩだと言えなかったのも、突き詰めれば同じような恐れからだったのかもしれない。
大切だからこそ、傷つけたくない。傷つけられたくない。
陽向は、しばらく黙って、その言葉を受け止めていた。
やがて、思い切って口を開く。
「レオさんは、僕のことも、そう思ってるんですか」
「僕を守れなかったら、どうしようって」
レオは、答えなかった。
けれど、その沈黙は、はっきりとした肯定だった。
図星を突かれた顔をしている。
分かりやすい人だ、と陽向は思う。
「じゃあ、僕もレオを守ります」
きっぱりと、そう言った。
レオが、驚いたように顔を上げる。
「お前が?」
「その顔やめてください。馬鹿にされてる気がします」
「馬鹿にしてない。ただ、意外だっただけだ」
「意外でもなんでも、決めたので」
陽向は、レオの手から、そっと短剣を受け取った。
刃こぼれした古い剣を、両手でそっと包むように持つ。
「レオさんが誰かを守れなかったこと、僕には変えられません」
「でも、これから先のことなら、一緒に背負えます」
「一人で抱え込まなくていいです。僕がいますから」
レオは、しばらく陽向の顔を見つめていた。
やがて、こらえきれなくなったように、小さく肩を震わせる。
「……何ですか」
「いや。お前みたいな細い体で、守るとか言われても」
「失礼ですね! 気持ちの問題です、気持ちの」
むきになって言い返すと、レオの口元が、とうとう緩んだ。
低く小さな笑い声が、暖炉の炎の音に混じる。
つられて、陽向も笑ってしまった。
出会ってから初めて、二人が一緒に笑った瞬間だった。
その笑い声が消えたあとも、暖かい何かが、部屋の中にしばらく残っていた。
暖炉の火が、二人の顔をゆっくりと照らしている。
レオの手の中で、古い短剣が、静かな輝きを取り戻したように見えた。
過去は変えられなくても、これから先は、一人で抱えなくていい。
そのことが、少しずつでも、レオの中に届いていればいいと、陽向は思った。




