帰りたい場所
その日、陽向は神殿でΩに関する定期的な検診を受けることになっていた。
「昼過ぎには戻ります」
そう言って出かけたはずが、検診のあとフィンに会ったので、この世界の暦や制度について質問攻めにしてしまった。
「フィンさんの生まれた村って、どんなところなんですか」
「重婚の記録は、どのくらい前まで遡れるんですか」
聞きたいことが次々と浮かんできて、気づけば時間を忘れて話し込んでいた。
気づけば、予定していた時間をとっくに過ぎている。
「すみません、つい長居してしまって」
「いえ、僕も楽しかったです。また来てください」
フィンの見送りを受けて神殿を出る頃には、空はすでに茜色に染まっていた。
一方その頃、レオの屋敷では。
「旦那様、また玄関を確認されるのですか」
オズワルドの声に、レオはびくりと肩を揺らした。
「……別に、様子を見ているだけだ」
「そうですか。ちなみに、これで七回目でございます」
「数えていたのか」
「数えたくなくても、目に入りますので」
涼しい顔でそう言うオズワルドに、レオは何も言い返せなかった。
窓の外を、何度も何度も確認してしまう。
日はとっくに傾き、通りを歩く人影もまばらになっていた。
いつもより少し遅いだけだ、と頭では分かっている。
それでも、じっとしていられなかった。
万が一、何かあったのではないか。
道に迷っているのではないか、あるいは誰かに絡まれているのではないか。
そんな考えが、拭っても拭っても浮かんでは消える。
「心配なら、迎えに行かれてはいかがです」
「……大げさにする必要はない」
そう言いながらも、レオの視線は玄関扉に釘付けのままだった。
そんなやり取りが、もう何度目になるだろうか。
ようやく、扉の向こうから足音が聞こえてきたのは、それから間もなくのことだった。
「ただいま帰りました、遅くなってすみません」
息を切らせて戻ってきた陽向を見て、レオは立ち上がる。
その拍子に、椅子が小さな音を立てて揺れた。
「……遅い」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、その硬い声の奥に、隠しきれない安堵が滲んでいるのが分かった。
「すみません、話が長引いてしまって」
「……そうか」
「ただいま」
陽向が改めてそう言うと、レオは少しの間を置いてから、短く返した。
「……ああ」
たったそれだけのやり取りだった。
けれど、その一言に、陽向の胸はじんわりと温かくなる。
「おかえり」とは言われなかった。
けれど、帰りを待ってくれている人がいる。
「ただいま」と言える場所がある。
そんな当たり前のことが、この異世界では、まだどこか特別なことのように感じられた。
日本にいた頃、実家を出て一人暮らしを始めてからは、誰かが帰りを待ってくれていることはなかった。
電気のついていない部屋に一人で帰る夜が、当たり前になっていた。
それが、こんなにも心を満たすものだったとは、今まで知らなかった。
ここが、自分の帰る場所になっている。
その実感が、じんわりと胸に染み渡っていく。
「今度からは、遅くなるときは連絡します」
「……頼む」
素直にそう言うレオがおかしくて、陽向は小さく笑った。
けれど、その穏やかな空気は、長くは続かなかった。
「陽向様、王宮より使者が参っております」
オズワルドの声に、二人は顔を見合わせる。
穏やかだった空気が、一瞬にして張り詰めたものに変わった。
「王宮から、僕に……?」
嫌な予感と、少しの好奇心が入り混じる。
レオも、わずかに眉をひそめていた。
その使者が告げた用件が、陽向をやがて、もう一人の男との出会いへと導くことになる。




