笑顔の宰相
王宮の応接間に通されると、そこには一人の青年が待っていた。
灰色がかった銀の髪をきっちりと整え、隙のない仕立ての礼服をまとっている。
初めて訪れる王宮の内部は、神殿とはまた違う華やかさに満ちていた。
高い天井に描かれた壁画や、磨き上げられた大理石の床に、陽向は思わず目を奪われる。
「お待ちしておりました、陽向様。宰相を務めております、ヴィンツェントと申します」
穏やかな微笑みとともに、優雅に一礼される。
「ヴィンス、とお呼びください。堅苦しいのは、あまり得意ではないので」
物腰は柔らかく、それでいて洗練された所作の端々に、育ちの良さが滲んでいた。
「陽向様は、この茶葉がお好きだと伺いまして」
テーブルに置かれたのは、陽向が普段よく飲む種類の茶葉を使った紅茶だった。
湯気とともに立ち上る香りにも、確かに覚えがある。
「……俺のこと、調べました?」
思わずそう尋ねると、ヴィンスは笑顔を崩さないまま答える。
「宰相ですから」
その一言だけで、まるですべての説明を終えたかのような、自然な笑みだった。
隙のない完璧な物腰。
けれどその笑顔の奥に、何か底の見えない気配があるようにも感じられた。
陽向の背後で、同行していたレオが、明らかに警戒した表情を浮かべている。
腕を組み、ヴィンスから一歩も視線を外さない。
「信用するな」
低い声で、レオがぼそりと呟いた。
「ひどいですね、レオ殿。私は善良な宰相ですよ」
ヴィンスは、少しも動じずに微笑んでみせる。
「自分で善良って言う人、初めて見ました」
陽向が思わずそう言うと、ヴィンスは声を上げて笑った。
「これは手厳しい。ですが、否定はしません」
そのやり取りに、和やかな空気が流れる。
けれど、レオの警戒は少しも緩んでいなかった。
「レオ殿とは、随分仲睦まじいそうで」
ヴィンスが、何気ない調子で話題を振る。
「お前には関係ない」
レオが即座に切り返す。
「ありますよ。私、二人目候補ですので」
その言葉に、陽向は口に含んだばかりの紅茶を、思わず吹き出しそうになった。
「ちょ……っ、げほ」
「大丈夫ですか」
にこやかに背中をさすろうとするヴィンスを、レオが素早く制する。
「触るな」
「これはこれは、随分な警戒ぶりですね」
「あのお茶会には、参加しておりませんでしたが」
ヴィンスは、悪びれる様子もなく続ける。
「立場上、ああした場に顔を出すわけにもいきませんでしたので。ですが、こうして個別にお時間をいただけたのも、私にとっては貴重なご縁だと思っています」
そう言いながらも、ヴィンスの笑みは崩れなかった。
その日はしばらく、王宮の情勢や陽向の生活についての穏やかな会話が続いた。
ヴィンスの話術は巧みで、聞いているだけで飽きることがない。
王都の名所や、季節ごとの祭りの話。
どれも興味深く、時間を忘れて聞き入ってしまうほどだった。
けれど陽向は、どこかで小さな違和感を覚えていた。
会話の隙のなさ、笑顔の完璧さ。
まるで、あらかじめ用意された台本をなぞっているような、そんな滑らかさだった。
実際のところ、ヴィンスがこうして陽向に近づいたのには、単なる社交以上の理由があった。
異世界から現れた稀少なΩが、今後この国の権力図をどう動かすのか。
重婚の相手が誰になるかによって、貴族社会の力関係は大きく傾く。
宰相としてそれを見極めることこそが、彼の本当の目的だった。
穏やかな笑顔の裏で、彼は静かに、そして着実に、この状況を見定めていた。
その微笑みの奥にある計算高さに、陽向はまだ気づいていなかった。
王宮を辞して屋敷に戻る道すがら、陽向はふと考える。
ヴィンスと過ごした時間は、確かに楽しかった。
けれど彼について、結局何も知らないままだということに、今更のように気づく。
好きな食べ物も、休みの日の過ごし方も、何一つ聞けていない。
(ヴィンスさんって……何が好きなんだろう)
そんな疑問が、静かに陽向の中に残った。




