一人目
交流期間から、半月ほどが過ぎた頃だった。
神殿の一室に呼ばれた陽向に、フィンが穏やかな口調で切り出す。
「そろそろ、最初の夫となる方を、決めていただければと思います」
その言葉に、陽向の心臓が小さく跳ねた。
分かってはいたことだが、いざ告げられると、どこか現実味を帯びて迫ってくる。
「もちろん、まだ迷われているなら、時間を置いても構いません」
フィンの気遣うような言葉に、陽向は首を振った。
窓の外では、中庭の木々が風に揺れているのが見えた。
あの日、大勢の候補者に囲まれた同じ場所とは思えないほど、今は静かだった。
「いえ、大丈夫です。……もう、決まっています」
その返事に、フィンは少し驚いたように目を瞬かせた。
「決まっている、というのは」
「レオさんに、お願いしたいです」
迷いのない、はっきりとした声だった。
自分でも、少し驚くくらいに。
フィンは、意外そうな表情を浮かべたあと、やがて柔らかく微笑んだ。
「そうですか。……分かりました」
その反応の理由は、陽向にもなんとなく分かる気がした。
他の候補者なら、身分も財産も、レオよりずっと上の相手がいくらでもいた。
領地を持つ者、王家に近い血筋の者、莫大な財を築いた商人の子息。
あの中庭で聞いた、数えきれないほどの自己アピールが、頭の中に蘇る。
けれど、そのどの人物にも、陽向の心は動かなかった。
理由は、単純だった。
一番自分らしくいられたのが、レオと過ごす時間だったからだ。
言葉は少なくても、体はいつも先に動いてくれる。
その不器用な誠実さに、陽向はいつのまにか安心を覚えていた。
決定が伝えられたその日の夕方、レオが神殿を訪れた。
いつもの無表情に、わずかな戸惑いが滲んでいる。
「聞いた。……俺で、本当にいいのか」
問いかける声は、いつもよりさらに硬かった。
「他にも、もっとふさわしい相手はいるはずだ」
「ふさわしいかどうかは、僕が決めることです」
陽向は、まっすぐにレオを見上げる。
「レオがいいです」
初めて、自分から名前を呼んだ。
余計な敬称もつけず、ただそう告げる。
これまでずっと、誰かに選ばれる側でいた。
Ωとして保護され、大勢の中から見定められる立場だった。
けれど今、初めて自分の意思で、誰かを選んでいる。
その実感が、じんわりと胸の中に広がっていく。
レオは、しばらく黙り込んでいた。
やがて、絞り出すように、短い言葉が返ってきた。
「……分かった」
その一言に、これまでのどんな長い言葉よりも、重みが込もっている気がした。
婚姻の儀式は、神殿の最奥にある大聖堂で執り行われた。
高い天井から差し込む光が、床に敷かれた紋様を淡く照らしている。
居並ぶ神官たちの静かな祈りの声が、石造りの壁に反響していた。
正装したレオの姿を、陽向は少し眩しい思いで見つめた。
いつもの武骨な鎧姿とは違う、儀礼用の礼服がよく似合っていた。
心なしか、レオも少し緊張しているように見える。
そう思うと、陽向自身の緊張も、いくらか和らいだ気がした。
神官長の祈りの言葉とともに、陽向の左腕に嵌められた銀の腕輪に、光が集う。
やがてその光は、澄んだ青い輝きを持つ石へと形を変えた。
サファイアだった。
深い青が、まるでレオの寡黙さそのもののように、静かに輝いている。
同時に、レオの胸元にも、小さな装飾具が現れる。
同じ青い石が嵌め込まれた、意匠の凝ったブローチだった。
「これは……」
「互いを選んだ証、です」
フィンが、静かに説明する。
「陽向様がレオハルト様を選んだように、レオハルト様も、陽向様を選んだという証です」
腕輪の石に触れながら、陽向は不思議な実感を噛みしめていた。
これは、誰かに与えられた運命ではない。
自分で選び取った、最初の一つだった。
窓から差し込む光が、腕輪の青い石にきらりと反射する。
その輝きを見つめながら、陽向は自分の人生が、少しずつ自分の手の中に戻ってきているような感覚を覚えた。
儀式のあと、二人きりになったとき、レオがぽつりと呟いた。
「大事にする」
短い、けれど確かな言葉だった。
「僕も、大事にします」
そう返すと、レオは珍しく、わずかに口元を緩めた。
その小さな変化だけで、陽向の胸は十分に温かくなった。
これから始まる新しい生活が、少しだけ楽しみに思えた。




