幸せなら、それでいいのか
噂が広まってから数日後、神殿と王宮の双方で、正式な調査が始まることになった。
「形式的な確認ですので、ご安心を」
そう告げる神官の言葉とは裏腹に、屋敷には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
使者が持参した書類の束を前に、陽向は思わず身構えてしまう。
調査といっても、大げさなものではない。
婚姻に至った経緯を、書面で改めて確認するだけの、事務的な手続きだった。
けれど、その一枚の書類に、自分たちのこれまでの歩みを収めなければならないことに、陽向はもどかしさを覚えた。
書類に向かいながら、陽向はふと、手を止めた。
「最初の婚姻の日付は、こちらで合っていますか」
確認する神官の淡々とした声が、どこか他人事のように響く。
自分たちの物語が、事務的な項目の羅列に変換されていくようで、落ち着かなかった。
これまで、自分の選択に迷いはなかった。
レオを選んだのも、ヴィンスを選んだのも、フィンを、カイを選んだのも、すべて自分の意思だった。
けれど今、初めて、その選択の土台となった制度そのものに、目が向いていた。
「この国は、Ωは誰の所有物でもないと言う」
陽向は、静かにそう呟いてみる。
「なのに、Ωは三人以上と結婚しなければならないとも言う」
書きかけの書類を見つめながら、言葉にしてみて初めて、その違和感がはっきりとした輪郭を持った。
矛盾している、と思った。
所有物ではないと言いながら、その生き方を、法律で縛っている。
守るための制度であるはずなのに、同時に、人生の形を決めてしまう制度でもある。
これまで、その矛盾に、正面から向き合ったことはなかった。
目の前の相手を選ぶことに必死で、その選択の枠組み自体を、疑ったことがなかったのだ。
自分は幸運にも、心から選びたいと思える相手に、四人とも出会えた。
けれど、すべてのΩが、同じように幸運だとは限らない。
望まない相手と、無理に三人分の関係を築かなければならない人だって、きっといるはずだった。
顔も合わせたくない相手と、それでも制度のために婚姻を結ぶ。
そんな人生を強いられる誰かの存在を、陽向はこれまで、想像したことすらなかった。
その可能性に、陽向は今更のように気づかされる。
「僕は、四人と結婚して、幸せです」
誰に言うでもなく、陽向はそう口にしてみる。
「でも、それと、この制度が正しいかどうかは、別のことなんじゃないか」
自分の幸福が、この制度の正しさを証明するわけではない。
むしろ、自分のような幸運な例があるからこそ、制度の歪みが見過ごされてきたのかもしれない。
そう考えると、背筋が冷たくなった。
その日の夕食の席でも、陽向はどこか上の空だった。
「陽向様、何か考え事ですか」
フィンが、様子を気にかけて声をかけてくる。
「あ、少し……」
言葉を濁す陽向に、フィンはそれ以上踏み込もうとはしなかった。
「無理に話さなくて大丈夫ですよ。まとまったら、いつでも聞きますから」
その気遣いに、陽向は小さく頷いた。
夕方、書斎を訪れたリゼットに、陽向はぽつりと、その考えを打ち明けてみた。
窓の外は、いつのまにか茜色に染まっていた。
「難しいことを、考えていらっしゃるんですね」
リゼットは、いつものざっくばらんな調子で、けれど真剣に耳を傾けてくれた。
「本音でいいですか、陽向様」
「はい」
「その疑問を持てたこと自体、きっと大事なことだと思います」
リゼットの言葉に、陽向は少し驚いて顔を上げる。
「幸せな人ほど、制度の問題に気づかないまま、一生を終えることだってあります」
「私も、陽向様に出会うまでは、重婚の制度について、深く考えたことなんてありませんでした」
リゼットは、少し照れくさそうに続けた。
「陽向様がそれに気づけたのは、誰かのために、ちゃんと考えられる人だからだと思いますよ」
その言葉が、陽向の胸に、静かに染み込んでいった。
まだ答えは出ない。
けれど、この違和感を、なかったことにはしたくない。
そんな決意だけが、陽向の中に、確かに芽生え始めていた。
いつか、この気持ちを、誰かにきちんと伝えられる日が来るだろうか。
窓の外に広がる夕焼けを見つめながら、陽向はそんなことを、静かに考えていた。
自分一人の幸福だけでは、語り尽くせないことがある。
それでも今は、この小さな違和感を、大切に抱えていようと思った。




