四人目はいらない
あの日から数日後、カイは珍しく、事前に訪問の約束を入れてから屋敷を訪れた。
いつもの唐突な来訪とは違う、妙にかしこまった様子に、陽向は少し身構えた。
約束の書状を受け取ったとき、レオもヴィンスも、どこか意味ありげな顔をしていた。
「今日は、俺たちは席を外していよう」
レオが、珍しく気を利かせてそう言う。
「二人で、ゆっくり話してください」
ヴィンスも、静かに微笑んでそれに続いた。
二人の気遣いに、陽向は少しだけ緊張が増すのを感じた。
オズワルドが茶を運んできたあと、心得たように、そっと部屋を後にする。
二人きりになったサロンには、いつもとは違う、張り詰めた空気が流れていた。
「今日は、どうしたんですか」
サロンに通されたカイは、いつもの飄々とした態度が、どこか影を潜めていた。
指先には、いつもまとわせている小さな魔力の光すら、灯っていなかった。
「陽向に、言いたいことがあって来た」
珍しく、軽口を挟まない声だった。
「……はい」
深呼吸を一つして、カイは続けた。
「俺と、結婚してほしい」
まっすぐな瞳が、陽向を捉えていた。
飾り気のない、けれど確かな重みを持った言葉だった。
「え……」
突然のことに、陽向は言葉に詰まる。
からかわれているのかとも思ったが、カイの表情に、そんな気配は微塵もなかった。
膝の上で握りしめられた両手が、微かに震えているのが見えた。
いつも飄々としているカイの、そんな姿を見るのは初めてだった。
「あの、でも」
戸惑いながら、陽向は口を開く。
「法律上は、もう三人いるので……四人目は、必要ないというか」
深く考えずに出た言葉だった。
事実を、そのまま口にしただけのつもりだった。
けれど、その一言が、カイの表情を、静かに凍りつかせた。
「……そっか」
小さく、かすれた声だった。
「必要ない、んだ」
いつもの明るい笑顔は、そこにはなかった。
代わりに浮かんでいたのは、これまで一度も見たことのない、深く傷ついた顔だった。
「あ、違います、そういう意味じゃなくて」
陽向は、慌てて言葉を重ねる。
「その、カイさんのことが嫌とか、そういうんじゃなくて、ただ、制度的には、もう」
言葉を重ねれば重ねるほど、余計にこんがらがっていく。
けれど、その慌てぶりが、かえって状況を悪くしているようだった。
「いや、事実だし。責める気はない」
カイは、無理に笑顔を作ろうとしていた。
けれど、その笑い方は、ひどく不自然だった。
「必要とされないなら、しょうがないよな」
自分に言い聞かせるような口調だった。
その言葉が、陽向の胸に、鋭く突き刺さった。
必要かどうか。
カイにとって、それが、自分の価値を測る唯一の基準であるかのような、そんな響きがあった。
天才魔術師として、これまでずっと、能力の有無でしか評価されてこなかった過去が、今の一言に、色濃く滲んでいる気がした。
幼い頃から、周りの大人たちは皆、彼の魔力にしか興味を示さなかったという。
その記憶が、今この瞬間、再び彼の心を刺しているのかもしれない。
「カイさん、待って」
引き止めようとする陽向を制するように、カイは軽く手を上げる。
「今日はもう帰るよ。急に変なこと言って、悪かった」
いつもの軽い調子を無理やり装いながら、カイは立ち上がった。
その背中は、いつもよりずっと小さく見えた。
そのまま、逃げるように、足早に部屋を出ていってしまう。
玄関の扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
残された陽向は、しばらく動けずにいた。
胸の奥に、鈍い痛みが広がっていく。
自分の何気ない一言が、カイの中の、ひどく繊細な部分に触れてしまったのだと、陽向はようやく気づき始めていた。
法律上、必要かどうか。
その物差しでしか、自分の存在を測れないのだとしたら。
それは、どれほど寂しいことだろうか。
陽向は、閉じられた扉を見つめながら、静かにそう思った。
窓の外はもう、すっかり日が暮れていた。
一人になったサロンで、陽向は先ほどのカイの表情を、何度も思い返していた。
いつもの人懐こい笑顔の裏に、あんな寂しさが隠れていたなんて、今日まで気づけなかった。
もっと早く、気づいてあげられたら。
そんな後悔だけが、静かに胸に積もっていった。
しばらくして、サロンにレオとヴィンスが戻ってきた。
陽向の様子を見て、二人はすぐに何かあったことを察したようだった。
「……うまくいかなかったのか」
レオが、静かに尋ねる。
「僕が、悪気なく、傷つけるようなことを言ってしまって」
陽向は、力なくそう答えた。
「カイのことだから、いつかは自分で立ち直る。焦らなくていい」
「でも」
「今は、そっとしておく時間も必要です」
ヴィンスも、穏やかにそう付け加えた。
二人の言葉に頷きながらも、陽向の胸の痛みは、簡単には消えてくれなかった。




