観察対象、陽向
フィンとの婚姻が公になってしばらく経った頃、王宮の魔術師団から、一通の通達が届いた。
「異世界からの転移者であるΩ様について、魔力的な観測と保護を行いたく存じます」
「つきましては、専属の魔術師を一名、派遣させていただきます」
その知らせに、屋敷の面々は、それぞれ怪訝な顔を見合わせた。
「観測、とは」
ヴィンスが、書状を読みながら首を傾げる。
「異世界からの転移という現象自体、前例がないものですから。魔力構造がどう変化するか、専門家の目で見ておきたいということでしょう」
もっともらしい説明だったが、陽向はどこか落ち着かない気分だった。
「観測って、具体的に何をされるんでしょう」
「魔力の流れを見たり、簡単な検査をしたりする程度だと思います」
フィンが、努めて穏やかにそう説明してくれる。
「危険なことはないはずですが、念のため、僕も同席しましょうか」
「頼めるか」
レオも、真剣な顔で頷いた。
家族全員が、それとなく身構えているのが、陽向にも伝わってくる。
これまでのお茶会や婚姻とは違う、また新しい形での関わりが、静かに始まろうとしていた。
数日後、屋敷を訪れたのは、明るい銀髪を無造作に流した、まだ若い青年だった。
魔術師のローブを着崩し、指先には小さな魔力の光を絶えずまとわせている。
年齢のわりに幼く見える顔立ちに反して、宮廷魔術師団の紋章が、その胸元で堂々と輝いていた。
「はじめまして。宮廷魔術師団のカイル。カイって呼んで」
人懐こい笑みを浮かべながら、遠慮なく陽向へ近づいてくる。
その距離の詰め方に、陽向は思わず一歩、後ずさった。
「あの、よろしくお願いします」
「うん、よろしく。話には聞いてたけど、本当に別世界から来た子なんだ」
カイは、興味津々といった様子で、陽向の顔を覗き込む。
「見た目は、普通にこっちの人間と変わらないんだね」
「……そう、ですね」
じろじろと観察される居心地の悪さに、陽向は思わず視線を逸らした。
「さっそくだけど」
カイは、にこやかな笑顔のまま、陽向の髪に手を伸ばしかけた。
「髪の毛、一本もらっていい?」
「……嫌です」
「え、なんで。魔力の残留物を調べるのに、一番手っ取り早いんだけど」
「理由があっても、嫌なものは嫌です」
「じゃあ、血は?」
「もっと嫌です」
「爪とか」
「帰ってください」
「まだ何も持ち帰れてないんだけど」
あまりに遠慮のない要求の連続に、陽向はとうとう本気で距離を取った。
カイは、それでも気にする様子もなく、興味深そうに陽向を眺め回している。
「そういう反応も、参考になるんだよね。ストレス反応が、この世界の人間とちょっと違う気がする」
「観察対象みたいに言わないでください」
「観察対象だよ、今のところは」
あっけらかんと言い切るカイに、陽向は言葉を失った。
その様子を、部屋の隅で見ていたレオが、じろりとカイを睨みつける。
「危険はないんだろうな」
「危険もなにも、ただの調査だよ。信用ないなあ、騎士団長さん」
軽い調子で受け流すカイに、レオの眉間の皺が、さらに深くなった。
「お前の目つき、俺を敵か何かだと思ってる目だ」
「思い過ごしでは」
「絶対、そうじゃない」
低い声でそう言い切るレオに、カイは肩をすくめてみせる。
ヴィンスも、笑顔の奥に、いつもより鋭い警戒を滲ませている。
「魔術師団随一の実力者だと伺っておりますが、少々、距離感に難がおありのようですね」
「よく言われる」
悪びれる様子もなく、カイはあっさりと認めた。
フィンだけは、困ったように苦笑を浮かべている。
「カイ殿は、昔からこういう方なんです」
「フィンまで、酷くない?」
「事実を言ったまでです」
「魔術塔にいた頃から、変わってないってことでしょ」
「否定はしません」
穏やかな口調のまま、フィンが淡々と切り返す。
その様子から、二人が以前から見知った仲であることが窺えた。
「二人は、知り合いなんですか」
陽向が尋ねると、カイは軽い調子で頷いた。
「神殿と魔術塔って、意外と交流あるんだよね。儀式に魔力計算が絡むことも多いし」
そんなやり取りを眺めながら、陽向は密かに思う。
この魔術師とは、どうやら一筋縄ではいかなさそうだ、と。
夫三人の警戒をよそに、カイは屋敷の中を、興味津々といった様子で見回していた。
「へえ、これが重婚家庭の屋敷か。噂には聞いてたけど、思ったより普通だね」
誰に言うでもなく、そんな呟きを漏らしながら、あちこちに視線を巡らせている。
天井の意匠や、飾られた調度品まで、一つ一つ物珍しそうに眺めていくその姿は、まるで好奇心旺盛な子どものようでもあった。
けれど時折、ふと真剣な目つきになる瞬間があることに、陽向は気づいていなかった。
「それじゃ、また来るね。次はちゃんと道具持ってくるから」
軽い調子でそう言い残し、カイは颯爽と屋敷を後にした。
嵐のような来訪者が去ったあと、サロンにはしばらく、気の抜けたような沈黙が漂っていた。
「……疲れた」
陽向が思わずそう漏らすと、レオが無言で頷き、ヴィンスも珍しく肩をすくめてみせた。
その無邪気にも見える態度の奥に、何が隠れているのか、この時の陽向には、まだ知る由もなかった。




