三つ目の宝石
婚姻の儀式は、大聖堂ではなく、神殿の小さな祈祷堂で静かに執り行われた。
大々的な発表を控えた、内々の儀式だった。
祈祷堂の窓から差し込む光は柔らかく、居合わせたのは、フィンと親しい数人の神官たちだけだった。
神官長の祈りの言葉とともに、陽向の腕輪に光が集う。
やがてその光は、深い緑の輝きを持つ石へと形を変えた。
エメラルドだった。
同時に、フィンの胸元にも、同じ緑の石が嵌め込まれた飾りが現れる。
三つの宝石が並んだ腕輪を見つめながら、陽向は静かな達成感を覚えていた。
儀式のあと、神官の一人が事務的な口調で告げた。
「これで、陽向様の婚姻義務は、法律上、満了となります」
その一言に、陽向は思わず腕輪に触れる。
三つの宝石が、窓からの光を受けて、控えめに輝いていた。
義務が終わった。
その事実に、一瞬、肩の力が抜けるような安堵を覚える。
けれど、隣に立つフィンの顔を見た瞬間、その安堵はすぐに、別の感情に変わっていった。
(義務じゃなくても、フィンさんを選んでよかった)
心の底から、そう思えた。
法律のためではなく、自分の意思で選んだ相手が、今、隣で微笑んでいる。
それだけで、この結婚の意味は、十分すぎるほどだった。
その夜、フィンは初めて、屋敷の共有サロンに顔を出すことになった。
夫が三人になったことで、サロンの空気も、また少し賑やかさを増していた。
けれど、いざソファに腰を下ろした彼は、まるで石像のように背筋を伸ばしたまま固まっていた。
両手を膝の上できっちりと揃え、視線はまっすぐ前を向いている。
その様子は、まるで神殿の儀式に臨んでいるときと、何も変わらなかった。
「フィンさん、そんなに緊張しなくても」
陽向が声をかけても、その姿勢は崩れなかった。
「座ればいい」
レオが、素っ気なく促す。
「座っています」
「もっと楽にしろ、という意味だ」
「……しています」
「している人の姿勢では、ありませんね」
ヴィンスが、涼しい顔でそう指摘する。
「まずは、お茶でもいかがですか」
そう言って、いつもの慣れた手つきで茶を淹れ始めた。
フィンは、ぎこちなく茶器を受け取りながらも、依然として姿勢を崩さない。
その様子に、陽向は思わず笑ってしまった。
「フィンさん、ここ神殿じゃないんですから、普通でいいんですよ」
「普通、と言われましても」
フィンは、本当に困った様子で眉を寄せる。
「僕にとって、寛ぐという行為自体が、あまり馴染みがなくて」
その正直な告白に、レオが小さく噴き出した。
珍しい反応に、陽向は驚いてレオを見る。
「レオさんが笑うの、初めて見た気がします」
「お前もそうだろう」
「そんなことないですよ!」
言い合ううちに、ヴィンスまでもが、肩を震わせて笑い始めた。
「これは、失礼。あまりに真面目なお二人のやり取りが、おかしくて」
つられるように、フィンの表情も、少しずつ緩んでいく。
やがて、四人の間に、初めての笑い声が重なった。
騎士団長の低い笑い、宰相の上品な笑い、神官の戸惑いがちな笑い、そして陽向の、心からの笑い。
不揃いなその声が、共有サロンに、温かく響いていた。
窓の外では、いつのまにか日が沈み、星が瞬き始めていた。
義務としての婚姻は、この日、確かに終わりを迎えた。
けれどそれは終わりではなく、四人での新しい始まりでもあった。
腕輪に光る三つの宝石を眺めながら、陽向は思う。
ここまでの道のりは、決して平坦ではなかった。
それでも、一つ一つの選択を、自分の意思で重ねてきた。
その実感が、今はどんな言葉よりも、陽向の心を満たしていた。




