神の声ではなく
その日、陽向は朝から体の異変を感じていた。
指先がひどく冷たく、時折、視界の端がちかちかと明滅する。
朝食もほとんど喉を通らず、レオとヴィンスは早くから心配そうな顔を見せていた。
「……なんか、変な感じがします」
レオに支えられるようにして座り込むと、すぐに神殿へ使いが走った。
駆けつけたのは、フィンだった。
「失礼します」
いつになく真剣な面持ちで、フィンは陽向の両手を取る。
指先から伝わる魔力を確かめるように、目を閉じ、意識を集中させていた。
「異世界から転移してきた影響が、今になって出ているようです」
「大丈夫、なんですか」
「ええ。ただ、魔力の流れが一時的に乱れています。僕が整えますので、少しだけ、じっとしていてください」
そう言うと、フィンは陽向の手を包むように、両手を重ねた。
真剣な横顔に、いつもの穏やかさとはまた違う、職人めいた集中が滲んでいる。
淡い光が、フィンの手のひらから溢れ出す。
その光は、まるで陽向の体に染み込んでいくように、ゆっくりと広がっていった。
不思議と、痛みはなかった。
むしろ、じんわりとした温かさが、体の芯から満ちていく。
まるで、フィンの手のひらの温もりが、そのまま自分の中に流れ込んでくるようだった。
しばらくして、乱れていた指先の冷たさも、すっかり治まっていた。
「……ありがとうございます」
「無理はなさらないでください」
穏やかな声に、陽向は小さく頷く。
けれど、その場に居合わせた年配の神官が、興味深そうにフィンと陽向を見比べながら、口を挟んできた。
「これほど早く、しかも深く魔力を通わせられるとは。普通はもっと時間がかかるものなんですよ。お二人は、よほど魂の相性が良いのでしょう」
「神官の婚姻にも、例外はございます。お二人が結ばれることは、神の御導きなのかもしれませんね」
その一言に、周囲の空気が、わずかにざわついた。
フィンの手が、びくりと止まる。
「……そういう、話では」
「いえいえ、これも一つのしるしですよ。神官殿と、貴重なΩ様の魂が、これほど強く結びつくとは」
老神官は、感慨深げにそう続けた。
その言葉が、陽向の中で、何かに触れた気がした。
「あの」
陽向は、はっきりとした声で口を挟む。
「神様が決めたから、フィンさんと結婚しなきゃいけないんですか」
その場にいた誰もが、一瞬、言葉を失った。
「僕がフィンさんを好きだから、結婚したいんです」
静かに、けれどまっすぐな声だった。
「それが、神の導きだからとか、魂の相性がいいからとか、そういう理由で片付けられたくないんです」
フィンは、目を見開いたまま、動けずにいた。
これまで神殿の教えの中で、当たり前のように受け入れてきた「導き」という言葉。
その言葉に、これまで何度も、フィン自身の気持ちを押し込めてきた。
けれど今、目の前で、それをはっきりと拒む人がいる。
自分の意思で、自分を選びたいと言う人が。
その事実が、フィンの中に、静かに、けれど大きな揺れを生んでいた。
「陽向様……」
かすれた声で、それだけを呟く。
これまで押し殺してきた何かが、その一言に滲んでいた。
老神官は、気まずそうに咳払いをして、その場を後にした。
残された二人の間に、しばらく、言葉のない時間が流れていた。
けれどその沈黙は、これまでとは違う種類のものだった。
拒絶ではなく、迷いですらなく、ただ静かに何かを受け止めようとする沈黙。
陽向は、じっとフィンの答えを待っていた。
急かすつもりはなかった。
けれど、自分の気持ちだけは、はっきりと伝えたつもりだった。




