第四話 父の壊れた魔導具
焦げた布が工房の壁に飾られてから三日。
俺は火の魔法へ触れていない。
罰として禁止されたわけではない。父さんも母さんも、ハンナ先生がいる次の講習までは試すなと言っただけだ。
それでも壁を見るたび、勝手に指先が縮こまった。
「レオン、その小さい回し具を取ってくれ」
「これ?」
「そっちじゃない。柄が青いやつだ」
父さんの工房で、俺は道具を渡していた。
作業台に載っているのは、宿屋から持ち込まれた給湯器だった。水を入れた金属槽を魔力で温め、一定の温度に保つ魔導具だ。
「熱くなりすぎるんだっけ」
「ああ。火傷するほどじゃないらしいが、昨日から湯気が止まらんそうだ」
父さんが外装を外す。
中には赤い魔石と、細い導線、手のひらほどの術式板が収まっていた。
目立った焦げ跡はない。魔石にも亀裂はなかった。
「魔石を交換する?」
「先に原因を調べる」
予想通りの答えだった。
父さんは水を少し入れ、低出力の試験用魔石を接続した。
槽の底が温まり始める。
しばらくすると、湯気が上がった。
父さんが停止つまみを回す。
魔力の供給は弱まったのに、加熱はすぐには止まらない。
「停止つまみが壊れてる?」
「それなら、魔力の流れ自体が弱くならん。つまみからここまでは動いてる」
父さんが導線を示す。
俺には、ただの金属線にしか見えない。
もっと詳しく分かればいいのに。
そう思いながら術式板へ意識を向けた瞬間、視界に文字が浮かんだ。
target_temperature = 45
current_temperature = read_temperature()
if current_temperature < target_temperature:
heat_water()
思わず息を止める。
魔導具のコードだ。
ハンナ先生の魔法ほど鮮明ではない。文字は薄く、ところどころ霞んでいる。
カーソルも、キーボードも出なかった。
読むことはできても、編集はできないらしい。
「どうした?」
「……術式板を、もう少し見てもいい?」
「触るなよ。まだ魔力が残ってる」
「うん」
俺は顔を近づける。
コードだけ見れば単純だ。現在温度が目標より低い時だけ、加熱する。
では、なぜ止まらない?
処理を追う。
`read_temperature()`の文字が、時々赤く瞬いていた。
SensorWarning: unstable input
温度を読む部分が不安定になっている。
実際の湯は熱いのに、低い温度が入力されれば、条件はいつまでも真のままだ。
魔導具は命令通り、加熱を続ける。
コードが間違っているのではない。
入力がおかしい。
「父さん。温度を測る部品って、どれ?」
「なぜだ?」
「熱くなったことが分からないから、温め続けてるんじゃないかな」
父さんは少し考え、槽の側面へつながる細い導線を指した。
「温度感知子は、この先だ」
金属槽の裏側。小さな板が二本の留め具で固定されている。
父さんが外してみると、片方の接点に青白い錆が浮いていた。
「なるほどな」
接点を磨き、固定し直す。
もう一度、試験用魔石をつなぐ。
水温が上がる。
四十五度に近づいたところで、加熱が止まった。
視界の警告も消えている。
「直った?」
「一度止まっただけだ」
父さんは水を入れ替え、同じ試験を三回繰り返した。次に外装を軽く叩き、導線を揺らした状態でも確認する。
すべて正常。
そこでようやく、工具を置いた。
「直った」
その言葉を聞いて、俺も息を吐いた。
自分でコードを書き換えたわけではない。
ただ読んで、怪しい場所を父さんへ伝えただけだ。
でも、三日前の火よりずっと嬉しかった。
「レオン」
「何?」
「どうして温度感知子だと思った?」
当然の質問だった。
コードが見えた。
そう答えたら、父さんは信じるだろうか。
「湯が熱いのに止まらないなら、熱いって分かってないのかなって」
嘘ではない。
「ふむ」
父さんは腕を組み、給湯器と俺を見比べた。
「筋は通ってる。ただ、次からは先に言え」
「え?」
「一人で魔導具へ魔力を流して確かめようとするな、ってことだ」
「しないよ!」
「火の魔法は試した」
「……もうしません」
信用というものは、失うのは一瞬、戻すのは時間がかかる。
それも前世と同じらしい。
父さんは給湯器の外装を閉じながら言った。
「お前、修理が好きか?」
「好き、なのかな」
壊れたものを見るのが好きなわけではない。
困っている人を見るのも。
ただ、何が起きているのか分からない状態を、一つずつ調べていくのは嫌いではなかった。
ばらばらだった情報がつながり、原因が形になる。
直したものが、もう一度きちんと動く。
「直ると、嬉しい」
「そうか」
父さんは、それ以上聞かなかった。
夕方、宿屋の主人が給湯器を受け取りに来た。
「助かったよ、ガイル。買い替えになるかと思ってた」
「感知子の接点を磨いただけだ。大した修理じゃない」
「それを見つけるのが腕だろう」
主人は代金を払い、給湯器を抱えて帰っていった。
父さんは受け取った銅貨の一枚を、俺へ放った。
「わっ」
「今日の手伝い賃だ」
「もらっていいの?」
「原因を見つけた分だ」
銅貨は、小さくて重かった。
前世で初めて給料をもらった時より、少しだけ嬉しい気がした。
壁には、俺が焦がした布がある。
作業台には、直った魔導具があった場所が空いている。
失敗の跡と、修理の結果。
両方を見比べながら、俺は考えた。
コードが見えるなら、魔導具だけではなく、魔法の故障原因も探せるかもしれない。
力を大きくするためではなく。
壊れたものを、壊さず直すために。
そんなことができる人間を、この世界では何と呼ぶのだろう。




