第三話 動いた、でも正しいとは限らない
次の講習までの二週間、俺は火の魔法を使わなかった。
本当だ。
少なくとも、最初の十一日間は。
魔力を手のひらに集める練習だけは続けた。母さんか父さんが近くにいる時に、一日三回まで。`power`は一か二。終わったら体調を確認し、結果を紙へ記録する。
十二日目には、二という出力を十回続けても、ほぼ同じ明るさを出せるようになっていた。
そして十三日目。
父さんが修理品の配達へ出て、母さんは薬草採り、ミアは近所の友達の家へ遊びに行った。
つまり、工房の裏庭には俺ひとりだった。
「見るだけ。実行はしない」
誰にともなく宣言する。
机の上には、水を張った桶、濡らした布、砂。周囲に燃えやすい枯れ草がないことも確認した。
ハンナ先生の火を思い出す。
視界に、記憶したコードが浮かんだ。
power = 5
mana = 10
create_fire(power)
先生の魔法をそのまま編集することはできない。だが、自分が発動する形で思い描くと、薄い文字だけは現れた。
まだ実行可能な状態ではない。
俺は`power`を一へ下げる。
power = 1
mana = 10
create_fire(power)
小さな火を出すのに、魔力十は多すぎるように見える。
そこで`mana`も一へ変更する。
power = 1
mana = 1
create_fire(power)
半透明のキーボードで入力を確定する。
コード全体が青く光り、初めて見た表示が現れた。
ManaError: Insufficient mana.
「やっぱり、そうなるか」
火は出なかった。
魔力を一しか用意していないのだから、足りないということだろう。
それなら二。
まだ足りない。
三。
同じエラー。
四へ変えた時、エラーが消えた。
EXECUTE ?
実行可能。
先生は魔力十を使っていた。同じ`power = 1`なら四で足りるらしい。
六割削減。
胸が高鳴った。
でも、可能と安全は同じではない。
俺は一度入力を取り消し、もう一度最初から同じ変更を行った。エラーが消える境界も再確認する。やはり三では不足し、四なら実行できる。
桶を足元へ引き寄せる。
「一秒だけ。異常があれば中止」
実行。
指先に、豆粒ほどの赤い火が灯った。
「できた……!」
小さい。
だが間違いなく火だ。
熱もある。俺の意思に従って、指先から少し離れた位置に浮いている。
すぐに停止を意識する。
――消えない。
「え?」
火は揺れながら、同じ場所に残っている。
もう一度、止まれと念じる。
反応しない。
表示されたコードを見直す。
power = 1
mana = 4
create_fire(power)
どこにも停止処理がない。
講習で先生が指を閉じた時、表面のコードはすぐ消えていた。だから俺は、魔力を止めれば火も消えると思い込んでいた。
だが俺が複製したのは、火を作るところまでだ。
作った火を消す処理は含まれていない。
「まずい」
炎が、風に押されて動いた。
干してあった布へ近づく。
俺は反射的に濡れ布をつかみ、火の上からかぶせた。
じゅっ、と嫌な音がする。
煙が上がり、焦げた匂いが鼻を刺した。
火は消えた。
代わりに、父さんの作業布へ丸い焦げ跡が残った。
俺はその場へ座り込んだ。
手が震えていた。
威力は一。水も用意した。周囲も確認した。
それでも、失敗した。
実行できた。
狙った通り、小さな火も出た。
けれど、それだけでは正しい処理とは言えない。
「停止条件を確認してなかった……」
動いたから成功。
そんな判断を、前世の俺は何度も見てきた。正常系だけを確認し、終わり方も例外も考えない処理は、いつか必ず問題を起こす。
今、それを書いたのは俺だった。
もし布ではなく、ミアの服へ飛んでいたら。
考えただけで背中が冷たくなる。
「レオン?」
聞こえた声に飛び上がった。
裏口に母さんが立っていた。薬草籠を抱え、焦げた布と俺を交互に見ている。
「何をしたの?」
母さんは怒鳴らなかった。
怒る時ほど静かな人なのだ。
「……火の魔法を、試しました」
「ひとりで?」
「はい」
「先生は、何と?」
「ひとりで試すなって」
言い訳の余地はなかった。
俺は準備した桶や砂を指して、安全対策をしたことを説明しかけた。
やめた。
準備していたから規則を破っていい、という話にはならない。
「ごめんなさい」
母さんは籠を置き、俺の前へしゃがんだ。
最初に確認したのは、焦げた布ではなく俺の手だった。
「火傷は?」
「ありません」
「息苦しくない? 気分は?」
「大丈夫です」
手首まで確認したあと、母さんは深く息を吐いた。
「失敗したことを怒っているんじゃないの」
「うん」
「失敗した時、誰にも助けを呼べないやり方をしたことを怒っているの」
胸の奥を、まっすぐ刺された。
自分ひとりで試したほうが早い。
説明しなくて済む。
秘密も守れる。
そう考えていた。
前世でも、似たようなことを何度も考えた。
自分で直したほうが早い。引き継ぐ時間がもったいない。あと少しだけやれば終わる。
その結果が、午前四時のオフィスだった。
「……次からは、誰かにいてもらいます」
「絶対よ」
「はい」
母さんはようやく俺の手を離した。
「それで、この布は?」
「俺が直します」
「布を?」
「……父さんに謝ります」
「よろしい」
その夜、父さんは焦げ跡を見て、大きなため息をついた。
そして工房の壁へ、釘で布を打ちつけた。
「捨てないの?」
「お前が忘れないように残す」
焦げた丸が、俺を見ている。
初めて書き換えた火の魔法は、確かに動いた。
そして俺は、動いたことと正しかったことは別なのだと、もう一度学んだ。




