7 殺意の業
ゼリア神の降臨を阻止したエルヴィアは、ひたすらに東へ向かって歩く
まだ混乱している夜の王都を抜け、エルヴィアは東を目指した。
街外れの転送石から、サルディアへ向かう。
もう辺りは暗闇に包まれているはずなのに、やけに視界が明瞭だった。
(ああ、そうか――)
夜目が利いているのも、〝夜の祖〟の力なのだろう。
今更、それに気づいて、なぜか少し笑えてくる。
街道を、さらに東へ歩く。
途中、王都から逃げて砦の町へ向かう避難民を見かけた。
ゼリア神の危機は去ったとはいえ、まだ王都が荒れているのは変わらない。
力なき民の安寧は、まだ遠いのだという現実を噛み締める。
やがて、サルディアの町が見えてきた。
そこでふと、エルヴィアは考える。
スーラ=マナ、そしてカシィルという獣の力によって、おそらくエルヴィアは過去に戻ってきた。
王都の焼け跡を見た後の自分は〝ここ〟にいる。
では、〝過去の自分〟は、どうなってしまったのだ?
そして、共に王都へ行ったネラやゲルヴは、どうなったのか?
考えれば考えるほど、分からなくなった。
サルディアの隠れ家へ向かう。
その道の途中に、見慣れた姿があった。
「――エル!」
こちらへ走ってくるのは、アニスだった。
エルヴィアも彼女に駆け寄るが――
アニスは、突然、足を止めた。
「エル、あなた……」
琥珀色の瞳には、戸惑いや疑念の感情が浮かんでいた。
アニスは、一歩後ずさり、鋭い声を上げる。
「何者だ? その姿――まさか、エルの身体を乗っ取ったのか?」
そうか――
アニスは、〝夜の存在〟の臭いを嗅ぎ分けられるのだ。
「エルになにをしたッ?」
「待って、アニス――私の話を聞いて!」
アニスの手にはダガーが握られている。
「私の名を、どこで知った?」
「どこもなにも……あなたは私の友人のアニス。共に吸血鬼を討ち滅ぼし、東の地を旅した――」
エルヴィアは、必死に過去の思い出を語った。
そして、己の身に起こった、想像を絶する出来事を――
「……それは、本当なの?」
アニスの目から強い敵意は消えたものの、まだ半信半疑の様子だった。
「簡単に信じられないのは分かってる。私だって、今も夢の中にいるかもしれないと考えるくらいだもの」
それは、エルヴィアの本心だった。
アニスはこちらを見つめ、なにか考えている。
彼女は冷静で、理知的だ。
きっと、自分や仲間にとって有益な決断をするだろう。
「もう少し話を聞いてもいい。ただし、場所を変えさせてもらうわ」
†
アニスはエルヴィアを森の奥へと誘った。
ここは、ベルアシーリアを手に掛けた、洞窟の近くだ。
あの夜のことを思い出し、鬱屈した思いはさらに増していた。
アニスは、例の洞窟へ向かって、真っ直ぐに歩いていく。
そして、とうとう洞穴の中へ入っていった。
エルヴィアは、躊躇する。
アニスが「どうしたの?」と急かすので、重い身体をどうにか動かし、洞穴の中へと足を踏み入れた。
光る琥珀色の目がこちらを見据える。
「随分と、具合が悪そうね」
アニスの言葉が、はっきりと頭に入ってこない。
彼女の琥珀色の瞳に見つめられるうちに、ベルアシーリアの恨みがましい視線が脳裏に浮かんだ。
その視線は、ひとつなぎに厭な記憶を呼び起こす。
ベルアシーリアの背中に、ダガーを刺し入れる感触。
黒い月の者達が、その命を散らす瞬間。
血の流れない傷から、闇が染み出してくる。
その漆黒の澱が、身体に忍び込む。
エルヴィアは、その場にうずくまった。
涙を流していたかもしれない。
呼吸の仕方すら、解らなくなる。
「これは、あなたには言っていなかったけど――」
アニスの声が、耳の奥で、二重に響く。
「あの娘の死骸、どこかへ消えてしまったのよ」
エルヴィアは、叫んだ。
喉の奥の、血の臭いだけが、やけにはっきと感じられる。
それ以外は、なにもかも曖昧で、やがて、意識が途切れた。
気づけば、アニスに身体を支えられていた。
「ごめんなさい――少しやりすぎたわ」
少しずつ、身体の感覚が戻ってくる。
服が汗と涙に塗れていることに気づき、不快感を覚える。
「あなたの胸にあるのは、人間の心よ……さあ、もう出ましょう」
†
サルディアの隠れ家へたどり着く。
夜は過ぎ去り、朝日が顔を覗かせている。
「あんな試し方をしたと知れば、ネラに叱られるわね」
アニスは甲斐甲斐しくエルヴィアを介抱してくれた。
苦しい思いはしたが――
それでも、自分を信じてもらえたことで、エルヴィアは安堵した。
「もうすぐ交代の人員がやって来る。皆で、消えたあなたを探していたのよ」
そんな状況になっていたのか。
アニスによれば、スーラ=マナに初めて出会った日、エルヴィアの姿は忽然と消えてしまったそうだ。
「そのスーラ=マナに会ったなんて話、誰もしていないわ」
ならば――あれは全て幻の出来事だったのだろうか。
それとも、エルヴィアだけに起こった現実なのか。
「不思議な話しだけど……あなたが変わってしまったのは確かよ。なら、受け入れるしかないかもしれないわね」
ひょっとすると――
骨の指輪を指に通した時から、自分はこうなる運命にあったのかもしれない。
「アニス……訊きたいことがあるわ」
「なに?」
「ベルアシーリアのことよ。彼女の死骸が消えたというのは、本当?」
アニスの顔が一瞬、強張ったが、すぐに表情を和らげる。
「ええ……ただ、気になるかもしれないけれど、その話は後にしましょう」
あの夜、彼女は確かに、この腕の中で息絶えたはずだ。
今も、その感触を思い出せる。
それなのに――
彼女もまた、運命の悪戯に翻弄され、この世を彷徨っているのか?
そんなおかしな考えが、なぜかエルヴィアの心に住み着いた。




