6 常闇の訪れ
太陽は、もはや彼方の山の陰へ隠れようとしていた。
一際に強い光を残し、やがて王都には闇が降りる。
エルヴィアは、己の首元に手をやる。
刃に貫かれたはずが、なぜか傷痕はなかった。
「異端者め――」
黒い月の男は、再び杖を掲げる。
その先端から、光の矢が放たれるが――
光が身体に当たると思った瞬間、エルヴィアは別の場所にいた。
杖を持つ男の目の前だ。
「なッ……!」
男は、杖を振り回すが、それはエルヴィアには当たらず、虚空に踊った。
気づけば今度は、男の背後に立っている。
(これは……)
攻撃を避けようと思った瞬間には、身体が別の場所へ移動している。
エルヴィアは困惑したが、やがてすべきことを思い出した。
(今は――彼らを止めなければ)
異変に気づいたのか、石の輪の前で祈っていた者が、振り返る。
「どうした?」
「こ、こいつが……いや、詠唱を止めるな!」
エルヴィアは、未だ祈っている者達へ近づく。
それを止めようと、光る矢や雷が浴びせられるが――
かすり傷ひとつ負うことはなかった。
「なぜ当たらないッ?」
石の輪に近づくにつれ、身体のひりつきも増す。
黒い月の男は、ついに杖を投げ捨て、エルヴィアにつかみかかった。
しかし――
「うあぁッ……」
嫌な感触が、エルヴィアの身体に伝わる。
忘れもしない、あの感覚――
(ベルアシーリア……)
彼女を刺した時の、強烈な不快感。
男は痙攣し、その顔は歪んでいた。
辺りはもう暗いというのに、それはやけにはっきりと見えた。
エルヴィアをつかんだ男の手を押しのけると――
下方から伸びた鋭利な〝串〟から、男の身体がずるりと抜け落ちた。
男はそのまま、石畳の上に転がった。
「――なんだ、なにが起きた?」
石の輪の側にいた者達が、次々に振り返る。
そして、エルヴィアの姿を見て、狼狽した。
「ば、化け物ッ」
(ああ、やはり――)
そう見えているのか。
黒い月の者達が、杖を手に取る。
だが、彼らが魔術を行使する前に――
周囲のあらゆる影から、〝闇〟が染み出した。
それは、たちどころに殺意を剥き出しにした形状へと変わる。
目の前の光景は、悪夢そのものだった。
黒い月の徒は、驚きの声を上げる間もなく〝悪魔の手〟に――
否、〝悪魔の群れ〟に捕らえられた。
切り裂かれる者。
貫かれる者。
それら全てが息絶える感触が、身体に伝わってくる。
動くものはもう、なかった。
視線の先には、いくつかの骸と石の輪。
エルヴィアは、ゆっくりと石の輪に近づく。
石の輪は、紫の微光を放っている。
これを破壊すれば、おそらくゼリア神が降臨することもないだろう。
ふと足元を見ると、銀色の槌を握っている骸があった。
華美な、それでいて力強い装飾が施されたその槌を、骸の手から取り上げる。
エルヴィアは力を込めて、槌を石の輪へ打ち付けた。
何度か叩くと、石はやがてひび割れ、輪の一部は崩れ落ちた。
紫色の光は消え、周囲は完全に夜の帳に包まれた。
これで、終わったのか――
「どうやら、無事に成し遂げたようだ」
気づけば傍らに、スーラ=マナが立っていた。
「これで、世界の歪みは是正された」
エルヴィアは、しばし放心した。
聞きたいことは沢山ある。
しかし、なにを尋ねようと、今、感じている虚しさや、やるせなさが消える気はしなかった。
「彼らのように、代価を払わず力を得ようとする者が、いつの時代も現れる」
スーラ=マナが口を開く。
「その理に外れた行いを滅するために、神との契りが成される」
「それが――〈神の遺物〉が存在する理由なのですね」
エルヴィアの問いに、スーラ=マナは頷く。
理に背いた結果、生じる世界の歪みを訂するための力――
その力を得るために、〈遺物〉を通して神との契約を結ぶということか。
「これが、正しき行いなのですか? 人を殺めることになったとしても?」
「それは人の理屈だ。しかし、その理屈で力を振るうのも、人に許された行いだ」
正しさとは――人が生み出した観念。
善も悪も、世界の理とは関わりがない、ということなのだろう。
「私はもう、人ではないのでしょうか」
「〝人〟である証とはなにか――その答えが分かれば、知れることだろう」
「……質問を変えます。私が得た力は、一体なんなのですか」
スーラ=マナは、微笑みを絶やさずに答えた。
「〝夜の祖〟……冥府の神の一柱、血に群がる不死の存在の力」
(夜の祖、そして不死の存在――)
おそらく、吸血鬼や、アニスのような混血種に近いものだろう。
「君には、適正があった。その指輪を身に着けていたから、さらに強い力を得ることができた」
『君には大きな力を得る〝資格〟がある』
あれは、そういう意味だったのか。
エルヴィアは、左手の指輪を見つめる。
「夜に生きること――それが捧げるべき供物だ」
光とともに、スーラ=マナの声が反響する。
顔を上げると、そこにはもう誰もいなかった。
エルヴィアは、槌を持ったまま、立ちつくした。
風の音に混じって、怒声や刃音が微かに聞こえてくる。
サルディアの隠れ家や砦の町、そして仲間達の顔が心に浮かんだ。
しかし、それらは、夢の中にだけある幻のように感じられた。




