5 夜の記憶
エルヴィアは不思議な獣、カシィルに乗って、空から王都を目指す
空の上からは、エルオリドの風景が一望できた。
強い風の中、目を凝らすと、細い街道を小さな馬車がゆくのが見える。
カシィルは、西の方角へ向かっているようだ。
きっと、これから王都で〝なにか〟が起こる――
おそらく、何者かがゼリア神を呼び出すのだろう。
どうにかして、止めなければならない。
眼下の景色は、見る見る移り変わっていく。
相当な速さで飛んでいるようだ。
気づけば、もう王都が目視できる所まで来ていた。
カシィルは、少しずつ高度を落とす。
街を見下ろすと、所々で人々が集まったり、走り回っているのが見える。
地上に近づくにつれ、叫び声や、悲鳴が聞こえてくる。
街にはもう、混乱が生じている――
エルヴィアは、どこへ行くべきか分からなかったが、カシィルは迷いなく大聖堂へ向かって飛んでいく。
上から聖堂の入口を一瞥すると、騎士団が何者かと衝突している様子が見えた。
やがてカシィルは、大聖堂のバルコニーに着地した。
エルヴィアがカシィルの背から降りると、その姿は光と共に消えてしまった。
この大聖堂には、幼い頃、父に連れられて来たことがあった。
だが、その時は正門から入ったし、こんな高所まで登ったことはない。
しかしエルヴィアは、不思議と行くべき方向が分かった。
ひりつくような、妙な感覚――
それは、バルコニーから続く歩廊の奥から感じられた。
歩廊を北側に真っ直ぐ進む。
空は燃えるような茜色に染まっている。
その赤さは、神の炎に包まれたであろう王都を想起させた。
聖堂の真上に当たるであろう場所――
そこは広い空間になっていた。
その奥に、数人の人影が見える。
ローブ姿の者達――黒い月だ。
「――誰だ?」
あちらもエルヴィアに気づく。
数人のうち、真ん中に立っていた者が振り向いた時――
その肩越しに見覚えのある〝石の輪〟が見えた。
(あれは、ディードルグの森の奥で見た――)
彼らは、ここでゼリア神を召喚しようとしているのか。
エルヴィアは意を決して、ローブ姿の者達に語りかける。
「なにをしているのです」
黒い月達は、少し困惑しているように見えた。
やがて、ひとりの男が一歩、前に出る。
「それはこちらの台詞だ。貴様こそ、なにをしにここへ来た?」
深く被ったフードのせいで、表情は見えない。
「……どこかで見た顔だな」
エルヴィアは、少しずつ距離を詰める。
「そうだ、思い出したぞ。東の国境にいた女だな?」
どうやら、砦の街に現れた者がいたようだ。
「やはり、貴様も敵対者だったか」
黒い月の集団は、杖を構える。
「……あなた方は、ゼリア神を呼び出そうとしていますね?」
エルヴィアが問いかける。
「聖教を憎んでいた者が、今はその力にすがり、ただ災いをもたらすだけの暗愚に堕したのですか」
「黙れ、小娘が!」
黒い月のひとりが叫んだ瞬間――
エルヴィアの間近に、赤い閃光が迸った。
光に目がくらみ、轟音で耳鳴りがする。
だが落雷はエルヴィアに直撃せず、わずか前方に黒い焦げ跡を作った。
「唾棄すべき邪神の力により、それを崇める愚者を根絶やしにする。それが我らの復讐だ――」
数人の黒い月達は、エルヴィアに背を向ける。
彼らは、その場にうずくまり、低い声で呪文らしきを唱え始めた。
謎のひりついた感覚が、再びやってくる。
エルヴィアは、それを沈めるように大きく息を吸った。
「私は、あなた方を止めねばならない」
「どこから我らの計画を知ったのか……いずれにせよ、貴様は危険な存在らしい。ここで消えてもらうぞ」
黒い月の男が杖を掲げると、杖の先端が薄緑色に光った。
(魔術――?)
エルヴィアは、ナイフを取り出そうとするが――
男が素早く杖を振り抜く。
「うっ」
光の筋が見えたと思うと、エルヴィアは後方に弾き飛ばされた。
倒れた拍子に、全身に痺れるような痛みが走る。
気づけば、右手にはなにもない。
エルヴィアは震える手で、落としたナイフを探る。
「愚か者め!」
黒い月の男が、こちらへ近づいてくる。
その手には、片刃の短刀が握られている。
(このままでは、やられる――)
ひりつく感覚が、さらに強まる。
それは、恐怖なのか、それとも怒りなのか――
気づけば、黒い月の凶刃は、目前だった。
その刃先は、エルヴィアの喉元を捉えている。
「異教の徒よ。この聖なる刃によって、邪神の贄となるがいい」
心臓が、波打つ。
あの、始まりの夜。
森の中を逃げ惑った時の感覚だ。
(どうか、私に力を――)
刃が突き立てられる瞬間――
エルヴィアは目を閉じた。
瞼の裏に浮かんだのは――
石畳の上に転がる、ダークエルフの骸。
群がる魔物達。
伸びる〝悪魔の手〟が、それらを見境なく屠っていく。
血の流れない傷。
命が消える音。
そして、流れ込む温もり。
冷え切った身体が、供物を求める――
その感触を覚えた時、エルヴィアは目を開けた。
大股で、五歩ほどの先に、黒い月の男。
右手の短刀を、石畳に突き立てたまま、こちらを見ている。
「消えた……? なぜだ? いつの間にそこへ――」
なにが起こったのか――それは自分にも分からない。
しかし、エルヴィアは確かに感じていた。
(〝夜〟が、来る――)




