8 風に惑う落葉
エルヴィアは、闇ギルドの仲間達と合流する
闇ギルドの仲間達は、行方不明になっていたエルヴィアが無事に帰り、大層、安堵した様子だった。
あの不思議な体験を、どう説明しようかと悩んだが――
アニスが間に立って補足したり、時には適切な質問をしてくれたおかげで、ほぼ齟齬なく、経緯を伝えることができた。
もちろん、大いに驚かれたが、エルヴィアを疑ったり、忌避する者は誰ひとりとしていなかった。
「あなたの人望……今までの行いが、そうさせたのよ」
アニスは語る。
弱き者、立場の違う者、心を閉ざした者――
そんな者達にも真っ直ぐに向き合ってきた結果だと。
そして今――
エルヴィアは、ディードルグの地を歩いている。
目の前には、美しい泉が広がっている。
「誰かと思えば、あの時の人間か――」
泉のほとりで、妖精が振り返った。
「前とは違う、〝夜〟の臭いだ」
エルヴィアは立ち止まって微笑む。
「相変わらず、臭いに敏感なのね」
妖精は不思議と、いつもより穏やかな表情だ。
「また魔物の気配が消えた。お前達がやったのか?」
「さあ……そうかもしれない」
「ふん」
〝夜の祖〟の力を宿した後――
様々な〝気配〟を敏感に感じ取れるようになった。
黒い月と戦った日の〝ひりつき〟に近い感覚を、稀に感じることがある。
今、側にいる妖精が漂わせる気配も、離れた場所から感じていた。
これが、彼女の言う〝臭い〟の正体なのだろう。
「あなたに、訊きたいことがあるの」
「なんだ?」
「私は、ただの人間とは異なる存在となってしまった。これから、この世界でどう生きるべきなのか――」
ずっと、そのことを考えていた。
大きな力を得た今、なにを成すべきなのか。
「……やはり、お前は人間だな。そんなことで悩むのは、人間だけだ」
「あなたは悩むことはないの?」
「ない。妖精は自由な生き物だ」
自由――
エルヴィアに、その感覚は分からない。
「獣は獲物を追い、それを喰らい、そしていずれ土へ還る。その土から緑が芽吹き、やがて木となり、花を咲かせ、実が育ち、種となる」
妖精は泉の水を手のひらで掬う。
「皆、教わらずとも、すべきことを識っている。人間の魂には、それが刻まれていないというのか?」
不思議だ。
なぜ人間は、悩み、苦しむのだろう。
風がひと吹きして、落ち葉を運んできた。
「もう冬が来るわね……雪が降ったら、あなたはどうするの?」
「森の中で、春を待つ」
「そう――」
迷いなく、すべきことをし、ただ時を過ごす。
そんな純粋な生は美しく、また羨ましくも思う。
だが、エルヴィアには、そんな生き方はできないだろう。
それこそが、人である証なのかもしれない。
「また、会いにくるわ。寒い日に、温かな贈り物を持って――」
エルヴィアが背を向けると、妖精が「おい」と呼び止めた。
「泉が凍らぬうちに、水を持っていくがいい。魔物を退治した礼だ」
「ありがとう……ええと」
「クアスネだ」
妖精は、別れの言葉を交わす間もなく、泉に飛び込んだ。
きっと、これからも――
迷い、悩みながら生きていくのだろう。
それは時に、辛く、もどかしい道のりかもしれない。
それでも、その先にきっと、新しい光を見いだせるのだと信じたい。
彼女――クアスネが、心を開いてくれたように。
†
砦の町では、そこかしこで冬支度が始まっている。
保存食作りや薪集め、家畜の餌の干し草の調達など、住人の誰もが忙しなく動き回っていた。
王都からこの町へ移ってくる者は、さらに増えつつある。
あの夜、もしゼリア神が降臨していたら、彼らは生き延びることができなかったかもしれない。
けれど今は、この活気に溢れる町で、人生を歩んでゆこうとしている。
大きな力を得、黒い月の悲願を打ち砕いた。
その決断が、果たして正しかったのか、答えは出ない。
この町の、小さな灯火のような安寧を目にしても、なお――
〝世界の歪み〟が再び訪れるとき、スーラ=マナもまた現れるのだろうか。
それとも、今またどこかで誰かが、あの美しい獣に乗って、天空を駆けているのだろうか。
星空を見上げるたび、あの不思議な出来事をエルヴィアは思い出すだろう。
「――ここにいたのか」
カルスの声がして、エルヴィアは振り向いた。
「ええ、町を見ていたの」
「そうか」
ふたりは、ゆっくりと歩き出す。
「あの貴族の娘のことだが……」
ベルアシーリアの話だ。
「お前達がディードルグへ向かった日の夜、ムースが報せにきたんだ。奴が管理していた墓から、骸が消えたと」
カルスによれば、ベルアシーリアの亡骸は、その役目を終えた後、ムースカリトゥの手によって手厚く埋葬されたらしい。
「誰かが墓を暴いた形跡もないと言っていた。柩から、骸だけが煙のように消えていたというんだ」
――もし奇跡が起きて、彼女が生き返ったのだとしたら。
(私を殺しにやってくるのかしら)
「この件は俺も少し気になるところだ。詳しく調査するか?」
「いいえ……止しましょう」
カルスは、なにか言いかけたが、それを飲み込んだ。
「……色々あって、疲れただろう。しばらくは無理せず、ゆっくり過ごしてくれ。冬支度も、皆のおかげで順調だ。心配はいらない」
「ええ、ありがとう」
ひとつの指輪に定められた宿命。
世界の神秘に触れ、未だ、その深淵は見通せない。
力を得るほどに、己の小ささが身にしみる。
久しぶりに、ネラのスープが食べたいと思う。
エルヴィアは、肌寒さに身を縮めながら、仲間達が待つ隠れ家へ急いだ。
†††
「忌み指輪の召喚令嬢」終




