8 雨の後の道標
黒い月が去った砦の町の静けさは、エルヴィアの肩に重くのしかかった。
喪失感と無力感。
いずれまた起こるであろう悲劇を止められないもどかしさ。
そういったものが心に渦巻いて、己がどう歩むべきか分からなくなる。
あてどなく町を歩くと、鍛冶屋の主が店の外の道に座り込んでいる。
助かったのかと思い、安堵したが、主はこれ以上ないほどに虚脱していた。
「……ウチのがな、魔物にやられたんだ」
主は、焦点の定まらぬ目で遠くを見ていた。
「どうにか助けようと思ったら、急に起き上がって――安心したが、その顔はまともじゃあなくて」
――きっと、死霊として動きだしたのだろう。
「その後また、ぶっ倒れて、それきり動かなくなっちまったよ。一体、どうなってやがるんだ……」
とても見ていられない。
死んだ彼の伴侶は、エルヴィアが杖を買い求めた時、とても親切にしてくれた。
それなのに、慰めの言葉ひとつもかけられない自分が、心底、不甲斐ない。
「――あの魔物共は、なんなんだ? どうして急に町を襲った?」
鍛冶屋は、虚ろな目でエルヴィアを見る。
「なぜ、あいつが殺されなければならなかったんだ? 教えてくれ――」
エルヴィアは、黒い月を責められるほどの正義を持ち合わせてはいない。
できるのは、ひたすらに悲しみが去っていくのを待つことだけだ――
こんな時に、父ならば、一体どうしただろう。
「――なあ、俺はどうすればいい?」
鍛冶屋の呟きは、そのまま、エルヴィアの心の内を映し出していた。
†
町の隠れ家へ戻ると、パリオが合流していた。
「各地の修道院や礼拝堂が、魔物の襲撃を受けています――」
パリオはエルオリドに残って、状況を見ていたらしい。
「町や村はどうなってる?」
カルスが尋ねる。
「今のところ、被害はなさそうです。標的になっているのは教会に関わる施設ばかりですね」
あくまで、狙いは貴族や教会の人間ということか。
「気になるのはむしろ――王都ですね」
〈王都ドミネシア〉――
貴族や教会の聖職者が多く暮らす場所だ。
アゼリア聖教の本拠地である〝聖教庁〟も、王都にある。
「優秀な魔術師や魔女は、教会に下った者も多いのですが――彼らが蜂起するおそれがあります」
教会の内側にも黒い月が紛れ込んでいるのか。
「各地での襲撃は、兵力を分散させるための陽動だろうと私は睨んでいます。本命は聖教庁、そして〈宮殿〉の〝王〟かと」
古の民による反乱か――
「先に砦の衛兵を片付けたのは、戦力を削っておく狙いもあったかもしれんな」
カルスが言うと、パリオは頷いた。
「オリド・ガードがいないとなれば、騎士団への助勢も期待できませんからね」
平穏な日々は終わりを告げ――
再び、人同士が争う戦乱の世が訪れる。
「さて、我ら闇のギルドは、この混乱とどう向き合いますかな?」
パリオが、まるで試すようにカルスを見つめる。
カルスはしばし考えた後、告げた。
「……人助けでもしてみるか」
その言葉に、皆が少し戸惑う。
「ひ、人助けってなぁ、どういう意味だよ」
ドグが思わず声を上げた。
「戦乱の世で犠牲になるのは、戦う者達じゃない。その狭間で押し流される、声なき弱者達だ」
エルヴィアは、悲しみに沈む鍛冶屋の顔を思い出す。
「奪われ、傷つけられ、それに抗う牙を持たぬ者達と手を取り合う――それが我らの信念だったはずだ」
ドグは、顔をしかめる。
「なんだよ、正義の味方にでもなるつもりか? それで、具体的にどうするってんだよ?」
「――この砦の町を、我々が再建する」
「お、おいおい、本気か?」
オリド・ガードが壊滅し、王都に火の手が上がらんとする今――
混乱に乗じて、新たな〝勢力〟を築くつもりなのか?
「まるで、火事場泥棒じゃねぇかよ。そらぁ、俺様の専売特許だぜ」
〝火事場泥棒〟――
その言葉に、エルヴィアは閃く。
「それ……ありえるわね」
「なにがだよ?」
「オリド・ガードはもういない――なら、誰もが東の地へ入れるのよ」
ある者は、力や富を求めて。
そして、ある者は戦から逃れるために。
「まさにそうだ。ここに、はぐれ者を集めるのさ。その勢いを利用して、新しい流れを作り出せるかもしれん」
そうか――
貴族による支配一辺倒だったこの地に、新たな道を作るつもりなのか。
それも、命を賭した争いでなく、生き延びんとする人々の力によって。
「実にカルス殿らしい答えですね」
パリオは満足げに頷いた。
「やってみる価値は大いにあります。早速、計画を練りましょう」
東の国境――
人々を拒み続けた境界が、新たな世界の入口へと変わる。
エルヴィアは、その未来を思うと、胸が高鳴った。
父が死に、その現実から逃げ出し――
いつの間にか、父が見ていたかもしれない景色を見つめている。
エルヴィアは、運命の不思議を感じる。
さっきまでは、雨の下でただ、迷っていたのに――
今は、進むべき道の上に立っている。
雨が止んだら、あの鍛冶屋の主のもとへ行こう。
それが、己が歩むべき道の、最初の一歩目だ。
†††
第6章「薄明の兆し」終




