7 黒い月
小雨の中、エルヴィアは、びくとも動かない衛兵を見下ろしていた。
あの轟音と、激しい光――
なにが起きたのか分からなかったが、次第に状況を飲み込む。
(あれはきっと、落雷……)
「魔法円を展開しろッ!」
マン・キンフの声だ。
エルフ達が携えた杖を掲げると――
エルヴィア達の足元に、光り輝く紋様が広がっていく。
「どこからか、魔術で狙われている! 皆、魔法円の中へ入れ!」
雷の魔術?
そんなものを操れるのは、魔女か、魔術師か――
「ダークエルフが隠れているかもしれん」
キンフが周囲を見回す。
「我がハイエルフの一族は、〈雷霆の神〉の力を借りたダークエルフの攻勢に、苦杯を喫した過去があるのだ」
空を見上げると、黒い雲が濃くなってきている。
この雲を呼ぶのも雷霆の神とやらの力なのか――?
「この魔法円の中であれば、魔術を退けられる。まずは敵を探すぞ」
敵はどこだ――
建物の陰か?
それとも胸壁の上か?
雨のせいで視界が悪く、索敵もままならない。
魔法円の中で、膠着状態が続く。
「やむを得んな……ムース、頼む」
カルスが目配せすると、ムースカリトゥは、振り香炉に骨を捧げた。
「死霊の軍勢……目覚めよ」
雨の町に、煙が広がっていく。
そして、辺り一面に転がっている屍が、ゆっくりと動き出す。
「な、なんだ、これは……」
エルフ達は、驚きの声を上げる。
砦の町は、たちまち死者の町へと姿を変えた。
死霊の群れは、やがて散開し、歩き出す。
その数は、相当なものだ。
死霊達が、裏路地や物陰へと向かったその時――
「待て!」
町に大声が響く。
「我らは対話を求める――死霊を止めろ!」
声はするが、その姿は見えない。
「ならば姿を見せろ!」
カルスが大声を返す。
少し間をあけて――
四、五人の人影が、町のそこかしこから現れた。
それらは皆、漆黒のローブをまとっている。
「出てきたぞ――死霊を止めろ」
ムースカリトゥが「囲め」と命ずると、死霊達は、黒ローブの者達を取り囲み、そのまま歩みを止めた。
「――魔物に町を襲わせたのは、お前達か?」
カルスが黒ローブのひとりに問いかける。
「だとしたら、どうだというのだ」
「……なぜ、ここを襲撃した?」
「なぜ、だと――?」
黒ローブの男は、少し驚いた様子だ。
「貴様らは何者だ? 砦の衛兵ではなさそうだが――」
何者か、と訊かれると、答えるのは難しい。
傍から見れば、烏合の衆といっても差し支えない集まりだ。
「ハイエルフがいるのか。その上、死霊を操る者まで――」
あちらも、エルヴィア達の素性を訝しんでいる。
「まさか、〝教会〟の隠し玉か……?」
「俺達は教会の手駒ではない」
カルスが言う。
「お前たちは、アゼリア聖教と対立する勢力なのか?」
教会と対立する勢力。
もしや――
「妙な集団だな……まあいい」
黒いローブの男は、短く鼻を鳴らす。
「こんな砦など、我々にとってはどうでもいい。ただ〝奴ら〟は選択を誤った。これはその報いだ」
〝報い〟――?
「……そこの女よ、貴様は貴族だな?」
黒ローブの男は、エルヴィアを睨む。
「ロルド・サルディーンを殺したのは愚かだったな」
父のことを知っているのか――
「あの男は、貴族とは思えぬ革新的な思想の持ち主だった」
ローブの男が語りだす。
「あれが生きていれば、多くの力なき民が救われる道もあっただろう」
〝誤った選択〟とは――
父を殺したことか。
「ロルドは殺された――奴を疎ましく思うのは、他の貴族……あるいは教会だ」
「……あなた方が、この砦を襲ったのは、辺境伯殺しの報復ですか?」
「そうだ――今更気づいても遅いがな。もはや、復讐の幕は開いたのだ」
エルヴィアは溜息をつく。
そして、黒いローブの男を見据えて言った。
「あなた方は古の民、ディの一族ですね?」
ローブの男もまた、エルヴィアを睨めつける。
「我らは決して、古き時代の敗残者ではない。今日この日まで、祖霊の屈辱を忘れず、復讐を遂げるために選ばれた民なのだ!」
男は灰色の空を仰ぎ、叫ぶ。
「我らは〈黒い月〉! スーラ=マナの意思を継ぐ、誇り高き神民である!」
カルスが一歩、前に出る。
「つまりは、教会や貴族を打倒し、この地を取り戻そうとしているわけか」
「それこそが、我らの悲願だ――」
彼ら――黒い月には、その道しかなかったのか。
「我らの行く手を阻むか? ならば、貴様らも葬らねばならん」
エルヴィアは、カルスの顔を見る。
カルスは、首を横に振った。
「私達は――あなた方に投げかける言葉を持たない」
エルヴィアは静かに、しかし力強く言い放つ。
「ここは、刃を収めましょう。無為に傷つけ合うつもりはありません」
カルスがムースカリトゥに耳打ちする。
振鈴が町に響き渡ると、死霊の群れは、次々に石畳の上に倒れ伏す。
「戦う意思がないならば、この地には近づかぬことだ――」
黒い月の者達は、倒れた死霊を避けながら、雨の向こうに消えていった。
いつの間にか、外套は水浸しになっていた。
エルヴィアは、石壁に描かれた印を眺める。
あれは、黒い月の暗示か――
遠雷が響く。
それはまるで、開戦を知らせる軍鼓のように轟いた。




