5 森の魔女
エルヴィアと魔女のネラは、サルディアの町近くの森へと分け入る
エルヴィアとネラは、墓地の裏手を抜け、森に入った。
「埃っぽい地下室より、外で食べたほうが気分いいよ――」
ネラは森の中で料理をしようと提案してきた。
この森は彼女の〝庭〟なのだろう。軽い足取りで奥へと進んでいく。
しばらく歩くと、開けた空間に出た。
石で組んだ焚き火台や、簡素なテントが見える。
「ここが、アタシの〝ねぐら〟だよ」
ネラは野菜の入った麻袋を地面に下ろし、火を起こす。
「エルは水を汲んできてよ」
そう言われて、立ちすくんでしまう。
「あっちに水が湧いてるから。桶はそこのテントに――」
動かないエルヴィアを見て、ネラはきょとんとする。
「その……水汲みなんて、初めてで」
「そ、そうなの? 貴族って水汲みもしないわけ?」
「そういったことは、使用人が」
「へえぇ。なんか凄いね、貴族って」
結局、ネラが水の汲み方を一から教えることになった。
「身の回りの世話って、こういうことかぁ……」
どうにか調理の準備が整い、鍋に野菜が投入された。
「リーキとジャガイモに、このハーブを加えるのが魔女のレシピだよ。本当は肉やミルクも入れたかったけど」
ネラが変わった形の葉っぱを鍋に散らすと、良い香りが漂う。
エルヴィアの食欲は、かつてないほどにみなぎっていた。
生唾を飲み込んでいると、ネラが木製の食器を差し出す。
「お腹を空かせた子犬みたいな顔してるねぇ。最後に塩を入れたら完成だよ」
出来上がったスープが器に盛られる。
いつものように食前の祈りを口にしていると、ネラはすでにジャガイモを頬張っていた。
「んっ、熱っ!」
エルヴィアも湯気の立つ液体に口をつける。
ハーブの香ばしさと野菜の甘みが広がり、すぐに全身が温まる。
「庶民の味も、なかなかでしょ?」
ネラはエルヴィアの様子を見て、笑みを浮かべる。
「ええ――」
不思議と、涙がこぼれた。
それが悲しみか、安堵なのか判らなかったけれど、食べ終わるまで涙は止まらなかった。
†
食事の後始末をして、ふたりは森のさらに奥へと入った。
「この辺りで薬の材料を採るんだ」
ネラは、野イチゴやセージなどが必要だと言う。
「手伝ってもらいたいけど……植物の違いって、判る?」
エルヴィアは赤く色づいた実を指差した。
「あれが野イチゴですよね?」
「あ、知ってるんだ。じゃあ、持てる分だけ採っちゃってよ」
慣れない手つきで野イチゴを集める。
その真紅の果肉は血を思い出させた。
持ってきた籠が一杯になり、一息つく。
すると、離れた場所でハーブを摘んでいたネラが、足音を潜めて近づいてきた。
「エル、音を立てないように、静かに移動するよ」
小声でそう言った後、ネラは腰を落としたまま、来た方向を凝視する。
どうしたんだろう――?
エルヴィアはネラと、その視線の先を交互に見回した。
やがて、彼女の意図を悟る。
「〈マッド・ボア〉だよ」
木の間から、真っ黒な猪が姿を現した。
その大きな猪は、鼻を激しく鳴らしながら、こちらを睨んでいる。
「いい? アタシが合図したら、エルはキャンプまで逃げて」
ネラは立ち上がり、エルヴィアと猪の間に立つ。
そして左手で、胸の上に飾られたブローチに触れた。
猪は、今にも襲いかかろうと前のめりになっている。
このままでは、ネラが危ない――
しかし、
「止まれッ!」
ネラが叫ぶと、猪は突然、その巨体を痙攣させた。
まるで、見えない〝なにか〟に拘束されているように――
「今だよ! 走って!」
ネラの合図と共に、エルヴィアが飛び出す。
何度か振り返りながら、木や茂みの間を必死に駆け抜けた。
†
まだ熾火が残っている焚き火台の前で、エルヴィアは森の奥を見つめていた。
しばらく待っていると、ようやくネラが戻ってきた。
「いやぁ、危なかったねぇ。大丈夫だった?」
「私は平気……でも」
「あ、イチゴをだいぶ落としちゃったみたいだね、まあ仕方ないか」
「それよりも、ネラは――」
あんな大きくて獰猛そうな猪を相手に、どうして無事でいられたのだろう。
「ふっふっふ。あのくらいの魔物、どうってことないよ」
「魔物……?」
「そうだよ。この辺の森には、たまに魔物も出るんだ」
そんな話は知らなかった。
だが、このサルディアは東の地、〈モルディレイン〉の近くだ。
魔物がいても、不思議じゃない――
「アタシも、持ってるんだ。〈神の遺物〉をね」
ネラはそう言うと、胸の上にある緑色のブローチを指さす。
「〈大蛇の目〉の力を秘めた『蛇の水晶』。これに睨まれたヤツは、自由に動けなくなるんだ。便利でしょ?」
〝神の遺物〟――
エルヴィアが持つ「骨の指輪」の他にも存在するというのか。
「エルも持ってるんでしょ? それ、どんな力があるの?」
ネラは無邪気に尋ねるが、あまり話す気にはなれなかった。
自分の〈遺物〉がネラの持つ水晶だったら、どんなによかっただろう。
少なくとも、人の命を散らしてしまうことはなかった――
「どしたの? 顔色が悪いね。一旦、隠れ家へ戻ろうか」
ネラに促され、立ち上がって町へと向かう。
小雨が周囲の葉を叩き始めた。
空を見上げると、張り出した雲が、まるで〝悪魔の手〟に見える。
指の根本が少し、痛む気がした。




