5 血塗れの背教者
「ごきげんよう」
まるで社交の場で交わされる挨拶のようだった。
女の瞳は、その淑やかな声色とは裏腹に、暗い引力を湛えていた。
黒い外套のフードから、白金の髪が覗いている。
綺麗な色だったが、あまり手入れはされていないようだ。
そして、一際目を引く大きな戦鎚――
その鎚頭には、赤黒い汚れが付着している。
「あの衛兵達は、お前がやったのか?」
カルスが抑揚のない声で女に尋ねた。
「まあ……不躾な方ですねぇ」
女はカルスを非難したが、怒っている様子はない。
「そうですよ。あれは〝ママナ〟がやったのです」
〝ママナ〟とは、この女の名だろうか?
「なぜ、オリド・ガードを襲った?」
「質問ばかりですねぇ」
女の眉尻が下がる。
「それに、襲ったというのは間違いです。あちらがママナに乱暴しようとしたのですから、殺されても仕方ありませんよねぇ?」
屈強な衛兵を複数人相手にして、全員を絶命させるなど、尋常ではない。
無骨な戦鎚を振り回していた腕も、見る限り女の細い腕だ。
一体、何者なのだ――
「訊かれるだけでは不公平なので、ママナも質問しますね」
女は戦鎚を振りかぶった。
向かい合うエルヴィア達の間に緊張が走る。
「あなた方、〈教会〉の刺客ですかぁ?」
教会――?
なぜ、教会が出てくるのだ?
「いや、違うが……なぜそう思う?」
「そうですかぁ。ううん――本当ですかねぇ」
女は、こちらの三人を順番に凝視する。
「子供と女……あなたは若干、刺客っぽい雰囲気ですけどぉ」
カルスを特に警戒しているようだ。
「――では、名前を教えてください」
先にカルスが名乗り、次にエルヴィアが口を開く。
「エルよ――こっちは、ムース」
「はあぁ、知らないお名前ですねぇ」
女は、エルの顔をまじまじと見つめる。
この、ぞわりとする感覚――
どこかで感じた気がするが、思い出せない。
「まあ、いいでしょう。〝敵〟ではなさそうです」
どうやら、戦いにはならずに済んだらしい。
エルヴィアは、静かに息をした。
「――お前の名は?」
カルスが問うと、女は戦鎚を地面に突き立てた。
「我が名は『ママナ・ヴァーガルト』。忌まわしき略奪者の末裔です」
〝ヴァーガルト〟――?
その家名は――
「ヴァーガルト家の者か?」
「そうですよぉ。家出しちゃいましたけど」
「パリオ・ヴァーガルトを知っているか?」
ママナは、パリオの名を聞くと、少し目つきが揺らいだ。
「〝叔父様〟のお知り合いですかぁ?」
「知っている――パリオは友人であり、同胞だ」
「そうですかぁ! それは奇遇ですねぇ!」
パリオの姪、なのか――
そう言われると、なぜだか納得してしまう。
「叔父様とはもう、何年もお会いしていません」
「そういえば、パリオから聞いたことがある。〝修道女〟だった親戚が、行方をくらましたと」
このママナが、修道女だったというのか。
エルヴィアが想像する修道女像とは、まるでかけ離れている。
「そこまで知っているなら、嘘つきではなさそうですねぇ」
まだ少し、疑われていたようだ。
「叔父様は、お元気ですかぁ?」
「ああ……教会からは離れたが」
カルスが言うと、ママナは突然、大声を上げた。
「賢明ですねぇ! やはり叔父様は、他の者とは違う!」
エルヴィアは驚いて、びくりと体を震わせた。
「いいですか? 教会というのは、おぞましいほどに腐敗した組織です! 神の名を奪い、神の真実を隠し、強権によって民草を苦しめる、邪教の根源! あれは魔窟です! 冥府の門です!」
ママナは一気に興奮状態となった。
過去に、なにかあっただろうことは明らかだが――
この変貌ぶりの方が気になってしまう。
「それに〝貴族〟だってそうなのですよ? あの者たちが本当はなんなのか、ご存知ですか? 知らないでしょうねぇ。でも、ママナは知っています。一所懸命、調べましたから。ご本には書いていませんよ。それも〝隠された真実〟なのです」
なんだか、話がどんどん逸れてきている。
再び、不穏な空気が濃くなってきた。
「まあ、詳しいお話はまた改めて……叔父様のご友人であれば、いつでも歓迎ですわよ。今はちょっと忙しいので、そろそろお暇しますけど――」
さすがのカルスも勢いに飲まれていたようだが、
「ちょっと待ってくれ――お前はここで、なにをしていたんだ?」
と、ようやく肝心な質問を投げかけた。
「〈神の遺物〉を探していましたよぉ」
やはり、そうだったのか――
しかし、困ったことになった。
こちらも〈遺物〉を探しているのだ。
奪い合いになったら、無事では済まないだろう――
気づけば、ママナは街の奥へと歩き出していた。
「まずいな……とにかく、後を追うぞ」
カルスも困惑している。
オリド・ガードのことといい、突然現れた奇人といい――
余裕がなくなるのも、無理はない。
一歩踏み出し、ふと脇を見ると、ムースカリトゥが悲しそうに、白い粉の山を見下ろしていた。
「ムース、行きましょう」
エルヴィアが声をかけると、ムースカリトゥも歩き出す。
ママナの姿は、もう小さくなっていた。
その背中を見て、世界に置いていかれるような感覚を覚えた。




