11 暁の瞳
吸血鬼の息の根を止めたアニスは、雨の中に立ち尽くしていた
雨が、血汐の痕を洗い流していく。
〝不死〟を滅ぼしても、夜は変わらず訪れた。
「母は、吸血鬼の眷属となった人間だったの」
隣に佇むエルヴィアの顔を見ずに、アニスは語りだした。
「眷属は、吸血鬼の〝紛い物〟――時が経つほどに、血への渇望が心を支配し、ただ人を襲うだけの獣になる」
もう雷は止み、ただ冷たい雫だけが降り続いている。
「〝呪われた〟私達母娘は、人里を離れて東の地で暮らした。それでも――母は血の渇きを潤すことはできなかった」
苦しかっただろう――
言葉にこそしなかったが、アニスは母を解放してやりたかったのだろう。
エルヴィアは、彼女にかける言葉を持たなかった。
ただ、じっと隣で、雨が地面を叩く音を聞いていた。
パリオが城の塔の地下で、ディードルグ城伯らしき骸を発見したらしい。
その死の真相も、もはや確かめようがない。
「いずれエルオリドの兵がやってきます。そろそろ城を離れましょう」
灯りのない暗闇の中を、アニスの夜目だけを頼りに、三人は森の転送石を目指して歩いた。
†
空が白み始めた頃、エルヴィア達はサルディアの隠れ家へ着いた。
入口の扉を開け放つと、そこにはネラの姿があった。
「あ、生きてた!」
パリオが外套の雫を払いながら尋ねる。
「ネラ、カルス殿の所へ行かなかったのですか?」
「いや、それがさぁ、マスターが馬に乗って帰ってきたんだよね」
部屋の奥を見ると、カルスがベッドに横になっている。
眠りが浅かったのか、すぐに目を開けて起き上がった。
「――無事だったか」
アニスが早足でベッドに近づく。
「どうして、こっちに――?」
「お前達だけ行かせるのは、やはり気がかりでな……」
横から脇腹を突かれて振り向くと、ネラの顔があった。
「なんか、あのふたり、いい雰囲気じゃない?」
ネラは悪戯っぽい笑みを浮かべている。
三人は、カルスとネラに事のあらましを話した。
「結局、ディードルグ伯については分からずじまいか」
カルスが呟くと、パリオが数枚の紙切れと、何冊かの本を荷物から取り出した。
「偶々見つけたので、拝借してきました。やはり〈遺物〉の情報を熱心に集めていたようです」
父が持っていた骨の指輪も、狙われていたのだろうか。
「ともかく、よくやってくれた。これで魔物の侵攻も止まるだろう」
カルスの表情に、ようやく安堵の色が浮かんだ。
「ねえ、皆――」
アニスが、伏し目がちに切り出す。
「あなた達がいなければ、〝夜の魔〟を打ち倒すことはできなかった。心から感謝するわ」
短い間に、彼女は随分と変わった。
出会った時の敵意や刺々しさは、もう見る陰もない。
「よかったじゃん、思いを遂げられて」
ネラが朗らかな声で言う。
「結果的に魔物もどうにかなりそうだしさ。エルオリドを救ったんだよ。いいことをしたんだよ」
「いいこと……」
アニスは眉をひそめる。
「そんなの、考えたこともなかったわ」
「でもさぁ、この手柄はどうせ、オリド・ガードのものになるんでしょ?」
笑ったり膨れたり、ネラの表情はくるくると変わる。
「それはやむを得ませんね。闇ギルドが〝手柄〟など立てようもない。我々が〝いいこと〟をするなど、それこそ妙な話ですよ」
パリオの言葉にネラは「そうかなぁ」などとこぼしている。
「これから、どうするんだ?」
カルスがアニスに尋ねると、
「まずは母の墓前に報告に行く。それからは――なにも決めていないわ」
と答えた。
また――独りに戻るのだろうか。
彼女は〝生きる意味〟を、再び見つけられるのか。
それを思うと、エルヴィアの胸は痛んだ。
「カルス――アニスを闇のギルドに迎えられない?」
気づけば、そう口にしていた。
「あなたは言った。ここは血に濡れ、闇に堕した者達が集う場だと。もし彼女が望むなら……」
少しの沈黙の後、カルスは言った。
「俺達は定命の者。いずれ先に朽ち果てる運命にある。それでも、この手を取り、同胞として生きることを良しとするか?」
アニスは、しばらくカルスを見つめていたが――
やがて、差し出されたその手をしっかりと握った。
「先のことは分からない。でも、あなた達は私と共に、その命をも顧みず戦った。同胞となるに値するわ」
ふたりの握手を見て、ネラは手を叩いて喜んでいる。
「それに、私はまだ二十にもなっていないのよ? 生きることに絶望するほど達観しちゃいないの。まだ知るべきことは沢山ある……勿論、人間のこともね」
新たな仲間が増えた。
エルヴィアは、アニスが前を向いて生きることを選択したのが、なによりも嬉しかった。
寂しげな琥珀の瞳は、黄昏から暁の色へと変わっていた。
†††
第3章「黄昏の剣」終




