2 夜に潜む者達
カルスに取り押さえられた女は、もう抵抗する素振りを見せなかった。
「なぜ、〈遺物〉の力を求めるの……?」
エルヴィアの問いに、女は小さく答えた。
「ディードルグに、〝夜〟が来る――」
夜――
あの妖精の言葉を思い出す。
『いずれ深い夜が支配するだろう』
その〝夜〟とは、なにを意味するのか。
「順を追って話してくれる?」
エルヴィアの求めに、女は静かに頷いた。
――始めに、女は自らを「灰狼」と名乗った。
それは、カルスも聞いていた名前らしい。
灰狼は、ディードルグ伯に取り入って、諜報や連絡役を担っていたという。
「ディードルグ城伯――『ブラード・ドンサルオ』は傲慢で、そのくせ臆病な男だった」
ドンサルオ家は、元は商人の家系だ。
金で貴族の位を買った、ともいわれている。
「金払いはよかったし、人脈もあったから、色々と利用させてもらったけどね」
灰狼の目に、少しずつ生気が戻り始めた。
「なぜ、ディードルグ城伯に近づいたのです?」
パリオが尋ねると、灰狼は少し険しい表情に変わる。
「――初めは偶然だった。ディードルグの森に入った時、微かな〝臭い〟がした」
それは〝夜の魔〟の臭いだという。
夜の魔とは、すなわち〈吸血鬼〉のことだと灰狼は言った。
「そこの坊主は勘づいたようだけど、私は、その吸血鬼の血を引く者だ」
あの妙な力――
煙のように消え、いつの間にかエルヴィアの背後に回った。
あれは吸血鬼の能力なのだろう。
「ディードルグの城の近くは、妙に〝夜の臭い〟が強かった。そこに吸血鬼が出入りしていることが分かるくらいにね」
仲間を見つけたから城に潜り込もうとしたのか?
エルヴィアが疑問を口にすると、灰狼は首を振った。
「逆よ――〝敵〟を見つけたから」
どういう意味だ?
「私は、吸血鬼と人間、〝両方の血〟を宿す者。双方に忌み嫌われる存在」
「ふむ――世にも珍しい、混血種というわけですか」
パリオが灰狼を奇異の目で見つめる。
灰狼はその視線を、いかにも疎ましげに受け止める。
「私の目的は、〝夜の魔〟を滅ぼすこと。この手で、あの忌まわしい血を必ず、根絶やしにする」
「そのために〈神の遺物〉が必要、ということね?」
エルヴィアが訊くと、灰狼は「そうよ」と答え、横を向いた。
「ということは――」
黙って聞いていたカルスが口を開く。
「今、ディードルグ城は、その吸血鬼の住処になっているのか?」
灰狼は、短い溜息をつく。
「それは分からない。〝臭い〟が濃くなってから城を離れたから」
「なぜ、急にディードルグを離れた?」
再びカルスが問う。
「だから、〈遺物〉を手に入れるためよ。色々と探っているうちに、東の地のとある場所に、それがあることを突き止めたの」
しかし、灰狼は〈遺物〉を手にしてはいないようだ。
在り処は分かっても、たどり着けないということか。
「仮にディードルグが吸血鬼の手に落ちたとして――」
パリオが落とした武器を拾いながら言う。
「そこを足がかりに、エルオリド全体に侵攻してくることも、当然あると?」
それは――途方もない脅威だ。
吸血鬼は不死の存在。
そんなものに狙われたら、人間はひとたまりもない。
「それは困りましたね――」
パリオが腕を組む。
「さしずめ、吸血鬼は我らの共通の敵、ということですか」
「勘違いしないでほしいんだけど」
灰狼は、微かな侮蔑を込めて笑う。
「私は人間のために奴らを打倒するんじゃない。全ては自分のためよ」
雨が小降りに変わる。
エルヴィアは、フードを上げ、灰狼を真っ直ぐ見つめる。
琥珀色の瞳。
その目が語るのは――
孤独、失望、怒り?
まるであの日の、ベルアシーリアのような――
「私たちと、共闘するつもりはない?」
相手が応じるとは思わなかった。
しかし、なぜだか勝手に言葉が口をついた。
「共闘?」
灰狼も、こちらの目を見据える。
「利用、の間違いじゃない?」
エルヴィアは一歩前に出る。
「そう思うなら、あなたも私たちを利用すればいい」
「なら、その指輪を寄越しなさい」
「これは本当に外せない。私も、この指輪のことは殆ど知らないのよ」
短い沈黙――
灰狼がそれを破る。
「考えてもいい……ただし、条件がある」
「なに?」
「私が見つけた〈神の遺物〉を手に入れるために、力を貸しなさい」
雨が上がる。
微風が吹き、濡れた髪をあおる。
「分かったわ」
彼女は、深い闇を生きている。
死ぬことも許されずに――
『我々は、虐げられ、蔑まれ、翻弄される全ての者の同胞だ』
カルスは、そう言っていた。
灰狼――彼女もまた、その同胞となり得るだろうか?
「私はエル――あなたの、本当の名前は?」
灰狼は躊躇したが、やがて告げる。
「私は……アニス」




