1 異境の雨
「その指輪――〈神の遺物〉ね?」
エルヴィアを拘束した女の声は、わずかに熱を帯びていた。
「神の遺物――とは、なんだ?」
カルスが応えると、
「とぼけるなッ! 知らずにこんなモノを持ち歩くわけがない!」
女の声が気色ばむ。
「お前はもう、いい――そっちの男」
今度はパリオへ向き直る。
「この指輪の〝力〟について、教えなさい」
矛先となったパリオは静かな口調で切り出す。
「それは、持ち主に訊くのが手っ取り早いのでは?」
「駄目よ。呪文でも唱えられたら面倒だしね」
女はかなり用心深いようだ。
「あなたは――その指輪が〈神の遺物〉であることを、ひと目で看破した。普通の人間に、それができるとは思えない」
パリオの目が大きく見開かれる。
「先ほどの、目にも留まらぬ動きといい……主導権を握っているのはそちらだ。そう焦る必要など、ないではありませんか」
また、女の息がかかる。
「揺さぶろうとしても無駄よ。さっさと質問に答えないと、本当に殺す」
それを聞いてなお、パリオの口ぶりは変わらない。
「あなたは、その指輪が欲しい……しかし、〈遺物〉を扱う危険性も知っている。そこでひとつ、お教えしますが――」
雨が首筋や胸元を濡らす。
汗か雨粒か判然としない雫が、服の内側を滑っていく。
「その指輪は、呪われている。その者の指から離れることはないのです。あなたがそれを手に入れることはできません」
指輪が外れないのは事実だ――
だが、呪われた指輪であるというのは、誇張した表現だ。
こちらも、骨の指輪については多くを知らない。
「なら、こいつを殺し、指を切り落としてでも……」
「やってみますか? その結果、呪いであなたが死ぬかもしれませんよ?」
パリオの言葉を、女は笑い飛ばす。
「私が死ぬ? 面白い――」
逆手に握られたダガーが、エルヴィアの首元をなぞる。
「殺せるものなら、殺してみるがいい」
疼くような痛みが走る。
「この忌まわしき血を絶やすことができるなら――」
女の呼吸が急に荒くなる。
苦しんでいるのか、あるいは怒りに震えているのか――
明らかに、様子がおかしい。
「もしや――」
パリオの目から光が消える。
「不死の血族……夜の朋輩か!」
「あああああッ!」
女は、激昂とも愉悦ともしれない叫び声を上げた。
同時に、エルヴィアを拘束する手が緩む。
(今なら――)
乱れた女を振り払って、逃げ出せるかもしれない。
しかし、目の前で不規則に揺れるダガーに、腰が引けてしまう。
そこでふと、違和感を覚える――
離れた位置にいたはずのカルスが、近い。
そのカルスと目が合う。
まるで獲物を狙うような表情で「今だ」と言っているように見えた。
エルヴィアは、杖で女の右腕を払いのけた。
そのまま、一気に体を沈める。
その瞬間に、カルスが突っ込んでくる。
杖を手放し、側面へ避ける。
「貴様ッ!」
這いずりながら、どうにか立ち上がって振り向くと、カルスが女の右手を取り、地べたに押さえつけていた。
「離せッ」
女は暴れたが、カルスの腕力には敵わないようだ。
「どうやら、組み付かれると、瞬間移動はできないようですな」
パリオが、制圧された女を見下ろす。
そして、外套を開いて腕を突き出した。
その手のひらには――
まるで渇いた血のように黒い、〝傷のような痕〟があった。
「これは神に授かりし〈魔除けの聖痕〉。不死の存在を滅する力はないが――」
パリオの手が、顔を背ける女に、ゆっくりと伸びる。
「獣を躾ける鞭くらいの働きはします。このように――」
「ぐあああぁッ」
雨の中、女の絶叫が響く。
「あなたはなぜ、〈遺物〉の力を求めるのですか?」
「誰が貴様などに教えるか……うあああッ!」
パリオは容赦なく女に聖痕を押し当てる。
「死ねずに苦しみ続けるとは、なんと哀れなことだ……私は、定命の者としての幸福を感じます」
「や、やめろ……ああああああッ!」
まるで拷問だ。
たとえ、自分に刃を向けた者とはいえ――
こんな残酷な仕打ちは、望んではいない。
「もう、やめて……」
エルヴィアは、消え入りそうな声で制した。
雨の音と、女の苦しげな息遣いだけが聞こえる。
地面に落ちたダガーの汚れが、雨粒に清められていく。
「……なぜ、こんなことをしたの?」
虚ろな目をした女の顔は、しとどに濡れていた。
それはきっと、雨の仕業なのだろう。
だが、エルヴィアには、女が泣いているように見えた。
「力が……力が欲しい」
息も絶え絶えに、女は言った。
そして、その開いた口からは――
明らかに人のものではない〝牙〟が覗いていた。




