4 残魂の喚醒
東の地の遺跡へ踏み込んだその奥には、巨大なネズミの魔物が巣食っていた
「落ち着いて! アタシが動きを止める!」
ネラは部屋の入口を塞ぐように立ち、人喰いネズミと対峙した。
彼女の遺物の力〝大蛇の目〟は、目を合わせたものの動きを封じる。
サルディアの森で、その力を目の当たりにしたが――それでも手が汗ばむ。
(お願い、止まって――)
エルヴィアは己の心拍を感じながら祈る。
魔物は――動かない。
〝蛇の睨み〟が効いているのだ。
真っ黒なネズミは、ビクビクと震えながら、その場で鳴き声を上げるばかりだ。
「今のうちに、やっちゃって!」
ネラが叫ぶ。
ここはエルヴィアが〝悪魔の手〟で魔物を倒すべきなのだろう。
でも――
〝影の位置〟が悪い。
自分の影が部屋の奥へ伸びていれば、そこから攻撃できる。
しかし、影は反対側にある。
このままでは、味方を巻き込んでしまいそうだ。
ネラの横を通って部屋へ入るか――?
だが、いくら魔物が麻痺しているとはいえ、その目前に乗り出すのは恐ろしい。
人間を相手にするのとは、また別の怖さがあった。
「なにしてんの、早くッ」
ここで動けない自分が情けない。
やれると思っていたのに。
なぜ――動けない?
「冥府の喚鐘――」
背後から、子供のような声が聴こえた。
ムースカリトゥだ。
彼女は、小さな〝振り香炉〟のようなものを手にしている。
黒く、鈍く輝くその香炉からは、煙が立ち上っていた。
「おい、下がってろ」
ドグがエルヴィアに呼びかける。
なにが起こるというのだ――?
ムースカリトゥは、香炉の蓋を開け、中に石の欠片のようなものを散らした。
その様は、まるで神聖な儀式を想起させた。
エルヴィアが、その姿につい見惚れていると――
カタリ、となにかが動いた。
その小気味良い音は、次第に輪唱のように重なり始める。
奥の部屋に散らばっていた、沢山の骨が――
青白い霧のようなものを帯びて、〝元の形〟を成してゆく。
骸達が、立ち上がった。
だがエルヴィアは、その形が歪であることに気づく。
腕の無い者、左右の足の長さが不揃いな者――
中には頭を置き去りにして立つ者までいる。
その混沌の中、骸達は部屋に落ちていた武器を手に取り始める。
まるで戦士としての記憶を取り戻すかのように。
骸達は、静かな闘志を漲らせ、ネズミの魔物を取り囲んだ。
死者の復活――
これがムースカリトゥの遺物の力なのだ。
「ゆけ――死霊の軍勢」
ムースカリトゥの静かな号令と共に、骸骨の亡者達が一斉に人喰いネズミへと襲いかかった。
まずは剣が背中に突き刺さり――
それを皮切りに、槍が脇腹を抉り、戦鎚が頭骨を叩き割る。
四方から、冥府の戦士達の連撃が無慈悲に降り注ぐ。
巨大なネズミは、まるでか弱い小動物のように、絶望の悲鳴を上げた。
その忌まわしく恐ろしい光景に、エルヴィアはいつの間にかへたり込んでいた。
亡者達が蹂躙する音は止まらない。
ネラも、もうネズミを見ていない。
死に際の声は、もはや聴こえなかった。
「いやぁ、相変わらず加減ってモンを知らねぇなあ――」
ドグは驚きもせず、するりとネラの脇を抜けて、部屋の中を物色し始める。
胸の動悸は、まだ治まらない。
気づけば、ネラがこちらを見つめていた。
「ムースの力、初めて見たけど、噂以上に凄いね……」
〝凄い〟どころではない。
死者を蘇らせるなど――あまりにも不条理だ。
「ケッ、シケてやがる。この部屋、なにもねえじゃねぇか」
ドグは、未だ通路に佇むムースカリトゥに近づき、
「そろそろ、そこの〝死霊〟さんたちを眠らせてやっちゃくれねぇか? そいつらの荷物に目ぼしいモンがあるかもしれねぇ――」
それを聞くやいなや、風を切るような鋭い音が響いた。
「あいたッ!」
ムースカリトゥの手に、鞭が握られている。
あの力といい、この鞭といい、ドグが彼女に気後れする理由がよく解った。
†
しばらく経つと、死霊たちは、糸の切れた操り人形のように次々と崩れ落ち、元の亡骸へと還った。
ムースカリトゥは、危機を救ってくれた戦士達を弔うように振鈴を鳴らし、部屋の床に塩のような粉末を撒いた。
ようやく許しが出たのか、ドグは骸達の持ち物を探り始める。
「しかしよぉ、〝遺物持ち〟のお嬢さん方――今後もあのザマでは困るぜぇ? やるときゃサクッとやってくれねぇと、命が幾つあっても足りやしねぇ」
それは――ドグの言うとおりだと思った。
エルヴィアは、なにもできずに立ち尽くすばかりだった。
もし、この部屋に死骸がなければ、ムースカリトゥの力にも頼れなかっただろう。
次こそは、迷わない――
まだ少し震える膝を拳で叩き、立ち上がる。
そして自分の影を見つめ、エルヴィアは深く息を吸った。




