表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
逃げ続けた男、辺境貴族の赤ん坊に転生する 〜黒水の力と魔法灯の家族に救われ、今度こそ大切なものを俺は守る〜  作者: youmo
第1部 もう一度、家族になる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/17

第4話 怖いと言えた日

 訓練場の音が、やけに大きく聞こえた。


 木剣がぶつかる音。兵士の掛け声。土を踏む音。遠くで馬が鼻を鳴らす音。全部が混ざって、胸の奥に押し寄せてくる。


 グレンの腕の中は安全だった。


 父の腕は大きくて、温かくて、俺を落とさないようにしっかり支えている。分かっている。ここで俺に危険はない。木剣が飛んでくるわけでもない。今すぐ剣を握らされるわけでもない。


 でも、怖かった。


「いずれ、お前もここに立つ」


 その言葉が、胸の中で何度も響く。


 いずれ。


 いつか。


 将来。


 前世で俺が一番苦手だった言葉たちだ。


 今すぐではない。だからこそ、ずっと追いかけてくる。逃げても逃げても、未来の顔をして待っている。


 俺はグレンの服を握った。


 小さな指が、ぎゅっと布に食い込む。


「レオン?」


 グレンの声が近い。


 心配している声だった。


 やめてくれ。


 そんな声を出さないでくれ。


 心配されると、逃げたくなる。


 優しくされると、見たくない自分が見える。


 胸の奥で、黒い水が広がった。


 訓練場の景色が遠のいていく。兵士たちの声が水の向こうへ沈む。代わりに見えたのは、古いアパートの玄関だった。


 靴が乱れている。安い傘が倒れている。郵便受けには督促状が詰まっている。ドアの向こうから、管理会社の人間が叩く音がする。


「開けてください。お話だけでも」


 俺は布団の中にいた。


 息を殺していた。


 いないふりをしていた。


 その次に見えたのは、スマホの画面だった。


『母さんが倒れた。病院に来られるか』


 返信欄に、何も打てなかった夜。


 黒い水が足元に広がる。


 冷たい。


 けれど、その奥から母の声がした。


『つらいなら、つらいって言っていいんだよ』


 違う。


 今はつらいじゃない。


 怖いんだ。


 期待されるのが怖い。


 大事にされるのが怖い。


 また裏切るのが怖い。


 そう言いたい。


 でも、前世の俺は言えなかった。


 ずっと、「大丈夫」と言って逃げた。


 黒い水の上に、文字が浮かぶ。


 ――開封条件を確認。


 ――第一の鍵、恐怖の告白。


 ――言葉にしてください。


 無茶を言うな。


 こっちは赤ん坊だぞ。


 そう思ったのに、喉の奥が震えた。


 現実のグレンの声が、遠くから聞こえる。


「レオン、苦しいのか?」


 父は焦っていた。


 俺を抱く腕が少し硬くなる。けれど、強く締めるのではなく、落とさないように支えてくれている。


 怖い。


 父が怖いわけじゃない。


 期待が怖い。


 大事にされるのが怖い。


 帰る場所をもらったことが怖い。


 また失うかもしれないことが、怖い。


 逃げたい。


 また、大丈夫なふりをしたい。


 でも、ここで飲み込んだら、きっと何も変わらない。


 赤ん坊の舌は重い。唇はうまく動かない。言葉なんて、まだほとんど出せない。


 それでも、俺は父の服を握ったまま、息を吸った。


「こ……」


 グレンの動きが止まる。


 俺は震えながら、もう一度口を開いた。


「こわ……」


 喉が痛い。


 でも、言葉は止めなかった。


「こわ……い」


 言えた。


 声にした途端、胸の奥で固まっていたものが少しだけ崩れた。


 前世では、最後まで飲み込んだままだった言葉だった。


 訓練場の音が消えた。


 黒い水が、すっと引いていく。


 グレンは何も言わなかった。


 怒るかと思った。


 情けないと言われるかと思った。


 男なら怖がるな、と言われるかと思った。


 けれど父は、俺をゆっくり抱き直した。


「そうか」


 低い声だった。


 でも、さっきまでの硬さはなかった。


「怖かったか」


 俺は泣いた。


 返事の代わりに、泣いた。


 グレンは訓練場に背を向けた。兵士たちに何か短く命じ、屋敷の方へ歩き出す。


「今日は戻る」


 その声に、誰も異を唱えなかった。


 屋敷の入口で、エレナが待っていた。俺の泣き声を聞いたのだろう。少し不安そうな顔をしている。


「どうしたの?」


 グレンは俺を見下ろし、少しだけ困ったような顔をした。


「怖いそうだ」


 エレナが目を丸くする。


「レオンが、そう言ったの?」


「ああ」


「そう」


 エレナは俺の頬に触れた。


 指先がやわらかい。


「怖かったのね」


 俺はまた泣いた。


 エレナは責めなかった。


 グレンも責めなかった。


 ただ二人とも、俺が泣き止むまでそばにいた。


 その夜、魔法灯はいつもより少しだけ淡く光っていた。


 強く照らすのではなく、眠れない子どものために、部屋の隅で静かに待つような光だった。


 俺はベッドの中で、ぼんやりとその灯りを見ていた。


 怖いと言った。


 それだけで、世界が終わると思っていた。


 でも、終わらなかった。


 父は離れなかった。


 母も離れなかった。


 俺はその事実を、すぐには信じられなかった。


 信じられないまま、少しだけ眠くなった。


 まぶたが落ちる直前、黒い水の音がした。


 ぽちゃん。


 どこかで、小さな鍵が沈む音だった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


今回は、レオンにとってかなり大事な一歩の回でした。

強くなる前に、まずは「怖い」と言えることから始まっています。


次回は、黒い水と記録者について少し触れていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ