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逃げ続けた男、辺境貴族の赤ん坊に転生する 〜黒水の力と魔法灯の家族に救われ、今度こそ大切なものを俺は守る〜  作者: youmo
第1部 もう一度、家族になる

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第15話 初めての友達は、少し眩しい

 その日は、朝から屋敷の空気が少し違っていた。


 マーサがいつもより早く廊下を磨き、ニナがいつもより真剣な顔で花瓶を運んでいる。


「ニナ」


 マーサの声が飛ぶ。


「その花瓶、両手で持ちな」


「持ってます!」


「目が泳いでる」


「泳いでません!」


 泳いでいる。


 俺は子ども椅子に座りながら、静かに見守った。


 ニナは花瓶を抱え、そろそろと歩く。


 一歩。

 二歩。

 三歩。


 よし。

 今日は割らないかもしれない。


 そう思った瞬間、ニナの足が絨毯の端に引っかかった。


「あっ」


 花瓶が傾く。


 まずい。


 俺の足元の影が、反射的に揺れた。


 だが、その前にマーサが動いた。


 信じられない速度だった。


 マーサは片手で花瓶を受け止め、もう片方の手でニナの襟首をつかむ。


「ほらね」


「す、すみません……」


「割ってないから合格」


「合格なんですか!?」


 マーサの基準は意外と甘い。


 俺は小さく息を吐いた。


 最近、足元の影が勝手に動きそうになることがある。


 転びそうな時。

 何かが落ちそうな時。

 誰かが危なっかしい時。


 黒水そのものではない。

 でも、影がわずかに重くなる。


 エレナは気づいている。

 オスカーもたぶん記録している。


 グレンは、俺の前で何も言わない。


 ただ、朝の鍛錬前に、俺の頭を大きな手で一度だけ撫でていくようになった。


 無言で。


 あれは、たぶん確認だ。


 俺がちゃんとここにいるか。

 怖がっていないか。

 沈んでいないか。


 父の手は重い。

 でも、不思議と嫌ではない。


「本日は、リュミエール家の奥様とお嬢様がお見えになります」


 オスカーが俺の横で言った。


 リュミエール家。


 聞いたことがある。


 エレナの本棚。

 魔法灯。

 光。

 七つの塔。


 どこかでつながっていそうな名前だ。


「おじょー?」


 俺がそう言うと、オスカーはうなずいた。


「はい。セラ・リュミエール様。レオン様と年の近いお嬢様でございます」


 年の近い。


 つまり子ども。


 俺の中身はさておき、外見上は同年代ということになる。


「初めてのお友達候補でございますな」


 オスカーが眼鏡の奥で、ほんのわずかに笑った。


 友達。


 その言葉に、俺は一瞬だけ固まった。


 前世で、友達がいなかったわけではない。


 大学に入った頃はいた。

 バイト先にも、少し話す相手はいた。


 でも、連絡を返さなくなった。

 誘いを断るようになった。

 だんだん顔を合わせづらくなり、最後には、こちらから全部切った。


 気づいた時には、スマホの連絡先だけが残っていた。


 鳴らない名前ばかりだった。


 俺は手元を見た。


 小さな指が、膝の上で丸まっている。


 友達。


 今さら、そんなものをやり直せるのか。


「レオン様」


 オスカーが静かに声をかけた。


「難しく考える必要はございません」


 この執事、時々こちらの内心を読んでいるのではないか。


「子ども同士の交流でございます。積み木を崩されても、怒鳴らない。髪を引っ張られても、泣く。以上でございます」


 最後がひどい。


「なお、先に手を出した場合、奥様と旦那様から非常に悲しい目で見られます」


 それは嫌だ。


 俺は真剣にうなずいた。


「あい」


「大変よろしい」


 オスカーは満足げに言った。


 まるで礼法の授業を受けた気分だ。


 昼前。


 屋敷の門の方から馬車の音が聞こえた。


 玄関ホールには、エレナとグレンが並んでいる。


 エレナは淡い白の服。

 グレンはいつものように無表情だが、今日は少しだけ姿勢が硬い。


 俺はエレナの隣に立たされていた。


 正確には、エレナの服の裾を握って立っていた。


 転ばないためである。


 決して緊張しているわけではない。


 たぶん。


 扉が開く。


 春の光が、玄関に差し込んだ。


 最初に入ってきたのは、柔らかな雰囲気の女性だった。


 淡い金色の髪。

 細い首。

 白を基調にした品のいい服。


 エレナとはまた違う、透き通った印象の人だ。


「エレナ様、お久しぶりです」


「カミラ様。お会いできて嬉しいわ」


 二人が挨拶を交わす。


 この人が、リュミエール家の奥様。


 そして、その後ろから小さな影がひょいと出てきた。


 俺は思わず見た。


 淡い金色の短い髪。

 肩にかからないくらいで、少し跳ねている。


 白いリボン。

 白を基調にした子ども用の服。


 目は、琥珀色だった。


 魔法灯の光を、そのまま丸く閉じ込めたみたいな色。


 少女は母親の後ろから俺を見つけると、遠慮なくまっすぐ歩いてきた。


 近い。


 近いぞ。


 子ども特有の距離感なのか。

 それともこの子の性格なのか。


 彼女は俺の目の前で止まり、じっと俺の顔を見た。


「あなた、レオンでしょ」


 いきなり呼び捨てである。


 俺は一瞬、返答に困った。


「あい」


「変な返事」


 初対面でそれを言うか。


 俺が眉を寄せると、少女はさらに顔を近づけた。


「それに、変な顔してる」


 おい。


 初対面で二度目だぞ。


 エレナが口元を押さえた。

 グレンの眉がわずかに動く。


 オスカーは見事な無表情だったが、目だけが楽しそうだった。


「セラ」


 カミラが困ったように言う。


「ご挨拶は丁寧に」


「したよ」


「していません」


 セラと呼ばれた少女は、少しだけ頬を膨らませた。


 それから、俺に向き直り、スカートをつまんで小さく頭を下げる。


「セラ・リュミエールです」


 おお。


 ちゃんとできるじゃないか。


「よろしく、レオン」


 そしてすぐ呼び捨てに戻った。


 俺はエレナの裾を握ったまま、できる限り真面目な顔を作る。


「れ、おん」


「自分で言った」


 セラは目を丸くした。


「あなた、自分の名前言えるの?」


 言える。

 だが、それ以上の説明は難しい。


「れお」


「ふうん」


 セラは俺の周りを一歩回った。


 観察されている。


 完全に観察されている。


「子どもなのに、子どもじゃないみたい」


 その一言に、俺の胸が小さく跳ねた。


 エレナの手が、そっと俺の肩に触れる。


 グレンがセラを見る。

 視線が少しだけ鋭い。


 セラはまったく怯まなかった。


「だって、目が変」


「セラ」


 今度はカミラの声が少し強くなる。


 だがセラは、悪口を言っている顔ではなかった。


 本当に見えたことを、そのまま言っている。


 そういう顔だった。


「変っていうか」


 セラは首を傾げる。


「遠くを見てる。でも、ここにもいる」


 俺は息を止めた。


 この子。


 何を見ている?


 俺は何も言えず、ただセラを見返した。


 琥珀色の目。


 その奥に、玄関の魔法灯が小さく映っている。


 ふと、その灯りが揺れた。


 風はない。


 扉はもう閉まっている。


 なのに、魔法灯の光が一瞬だけ細く伸びた。


 セラは、それに気づいたように顔を上げる。


「この家の灯り、少し低いところを見てるね」


 低いところ?


 エレナの表情が変わった。


 ほんの一瞬。

 でも俺には分かった。


「セラ」


 カミラが小さく呼ぶ。


 その声には、さっきとは別の意味があった。


 止める声。

 隠す声。


 セラは唇を結んだ。


「……なんでもない」


 なんでもなくはないだろう。


 絶対に。


 だが、大人たちはそれ以上、その場では話さなかった。


 リュミエール家の訪問は、表向きには穏やかに進んだ。


 エレナとカミラは応接室で話し、グレンは必要最低限だけ挨拶してから席に座った。


 俺とセラは、庭に出された。


 もちろん、完全に二人きりではない。


 少し離れた場所にニナがいる。

 さらに遠くにオスカーもいる。


 護衛か監視か分からないが、まあ両方だろう。


 庭は明るかった。


 花壇には白と薄紫の花が咲いている。

 風が通ると、草の匂いがする。


 セラは遠慮なく庭を歩いた。


 俺はその後ろを、よちよちと追う。


 いや、追わされている。


 彼女が振り返る。


「遅い」


「う」


「足、短いもんね」


 事実は人を傷つける。


 俺が抗議の目を向けると、セラは少しだけ口の端を上げた。


 笑った、というより、面白がっている顔だ。


「でも、ちゃんと来るんだ」


 その言葉に、俺は一瞬だけ黙った。


 来る。


 今、俺はこの子の後ろを歩いている。


 たったそれだけのことだ。


 でも、前の俺は、誰かの後ろを歩くことすら下手だった気がする。


 誘われても断る。

 連絡が来ても返さない。

 顔を合わせる前に距離を取る。


 それが癖になっていた。


「レオン?」


 セラが顔を覗き込む。


「また変な顔」


 またか。


「へん、ない」


「変だよ」


「ない」


「変」


「な、い」


 俺がむきになって言うと、セラは少しだけ目を丸くした。


 そして、急に満足そうにうなずく。


「しゃべった」


 なんだその達成感。


 俺を鳴き声の珍しい動物みたいに扱うな。


 セラは庭の端にある古い魔法灯の前で止まった。


 屋敷の外灯だ。

 昼間なので火は入っていない。

 けれど、ガラスの内側にはうっすら白金色の光が残っている。


 セラはその灯りをじっと見た。


 さっきまでの遠慮のなさが、少しだけ消える。


 横顔が静かになる。


「これ、古いね」


 俺は魔法灯を見上げた。


 古い。

 確かに、屋敷のものより金具が黒ずんでいる。


「古いけど、まだ見てる」


 見る?


 灯りが?


 俺は首を傾げた。


 セラは当たり前のように言う。


「灯りって、見るでしょ」


 いや、普通は照らすものだと思う。


 少なくとも前世では。


「見えないの?」


 セラが俺を見る。


 俺はどう答えればいいか分からず、曖昧に声を出した。


「う」


「そっか」


 セラはそれ以上、馬鹿にしなかった。


 ただ、魔法灯のガラスに指先を近づけた。


 触れはしない。


 ほんの少し手前で止める。


 すると、彼女の指先に小さな光が灯った。


 太陽の光ではない。

 炎でもない。


 夜の部屋に置かれた小さなランプみたいな光。


 白金色より少し柔らかく、琥珀色に近い。


「ルミナ」


 セラが小さく言った。


 光が、ふわりと浮いた。


 俺は息を忘れた。


 綺麗だった。


 ただ明るいだけではない。


 その光は、まるでどこかへ行きたがっているみたいに、空中でゆっくり揺れた。


 セラは光を見る。

 光も、セラを見る。


 そんな感じがした。


 小さなルミナは、魔法灯の周りを一度回り、庭の石畳の上へ落ちた。


 そこに、小さな輪ができる。


 俺の足元の影が、ほんの少し反応した。


 黒水は出ていない。


 でも、影の底に、水面がある気がした。


 セラの光が、その水面に届きかけている。


「……きれ」


 思わず声が出た。


 セラが振り返る。


「今、綺麗って言った?」


 しまった。


 口が勝手に動いた。


「きえ」


「言った」


「ない」


「言った」


 セラは勝ち誇った顔をした。


「あなた、ちゃんと見てるんだね」


 何を。


 そう聞きたかった。


 だがセラは、石畳に落ちた光の輪を見ていた。


「みんな、明るいか暗いかしか言わないけど」


 彼女は少しだけ声を落とす。


「灯りって、向きがあるの」


 向き。


「強いとか弱いとかじゃなくて、どこを見てるか」


 セラは庭の魔法灯を指差した。


「ここの灯りは、家の方を見てる」


 次に、屋敷の窓を指差す。


「あっちは、庭を見てる」


 そして最後に、俺を見た。


「あなたの影は、たまに下を見てる」


 胸の奥が、すっと冷えた。


 セラは俺の影を見たわけではない。


 たぶん、彼女が見ているのは灯りだ。


 灯りに映る何か。

 光の揺れ。

 向き。


 それでも、俺の中にある黒水に気づきかけている。


「怖い?」


 セラが聞いた。


 俺はすぐに答えられなかった。


 怖い。


 そう言うのは簡単だ。


 でも、今は違う。


 セラが怖いのではない。

 見られたことが怖いのでもない。


 自分の中にあるものが、外からも見えるかもしれない。

 そのことが、少しだけ落ち着かなかった。


 俺は自分の手を見た。


 小さい。

 まだ誰かを支えるには頼りない。


 でも、さっきのルミナを見た時、俺は確かに思った。


 綺麗だ、と。


 黒水とは違う。


 でも、遠すぎるわけでもない。


 黒い水面にあの光が落ちたら、どうなるのだろう。


 そんなことを考えてしまった。


「レオン」


 セラが俺の名前を呼んだ。


 不意に呼ばれて、俺は顔を上げる。


 彼女はまっすぐこちらを見ていた。


「あなた、友達いなさそう」


 ぐさり。


 言葉が容赦なく刺さった。


 ニナが遠くで「あっ」と声を漏らした。

 オスカーは咳払いをした。


 セラは気にしない。


「だから」


 彼女は俺に手を差し出した。


「私が最初になってあげる」


 俺は、その小さな手を見た。


 白い指。

 少しだけ土がついている。

 爪の端に、さっき触りかけた魔法灯の光がまだ残っているように見えた。


 友達。


 その言葉は、少し眩しかった。


 前の俺なら、たぶん笑って流した。

 どうせ続かない、と決めつけた。

 自分から遠くへ置いた。


 でも、目の前の手は、今ここにある。


 俺は、ゆっくり自分の手を伸ばした。


 小さな手同士が触れる。


 セラの手は、思ったより温かかった。


「よし」


 セラは満足そうにうなずく。


「今日から友達」


「あい」


「返事が変」


「う」


「でも、まあいいか」


 いいのか。


 俺は内心で突っ込みながらも、手を離さなかった。


 魔法灯のガラスの奥で、昼の光が小さく揺れる。


 セラのルミナはもう消えている。


 でも、石畳の上に残った光の輪は、しばらく俺の目に残っていた。


 その時だった。


 庭の端の魔法灯が、ほんの一瞬だけ黒く揺れた。


 白金色の中に、細い影が混じる。


 俺は目を細めた。


 セラも同時に振り返った。


 彼女の手に、わずかに力が入る。


「今の」


 セラの声は小さかった。


 いつもの遠慮のない声ではない。


 少しだけ硬い声。


「見えた?」


 俺は答えられなかった。


 見えた。


 たぶん。


 魔法灯の光の奥に、黒い筋が走った。


 そして足元の影が、ほんの一滴だけ重くなった。


 ぽちゃん。


 胸の奥で、水音がした。


 セラは俺の手を握ったまま、魔法灯を見ていた。


「この灯り」


 彼女は静かに言う。


「少し、変な音がする」


 音。


 俺には聞こえない。


 でも、足元の影は揺れている。


 俺は魔法灯を見上げた。


 白金色の光。

 その奥に、一瞬だけ混じった黒。


 温かい庭。

 花の匂い。

 セラの手。


 その全部の下で、何かが小さく動いた気がした。


 セラは、俺の方を見た。


「ねえ、レオン」


 琥珀色の目が、まっすぐ俺を捉える。


「今いる方も、ちゃんと見た方がいいよ」


 俺は何も言えなかった。


 ただ、その手を握り返した。


 ほんの少しだけ。


 セラはそれに気づいて、口の端を少し上げた。


 庭の魔法灯は、もう普通の光に戻っている。


 けれど俺は、その一瞬の黒を忘れられなかった。


 そしてたぶん、セラも。


 初めてできた友達は、少し眩しい。


 でも、その眩しさは、目をそらしたくなる光ではなかった。


 暗いところにあるものまで、勝手に見つけてしまう。


 そんな、少し困った灯りだった。

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